「佐藤ビル」と「銀座SSビル」のあいだにあるもの――ビル名でたどる家と場と記号の戦後史
皆さん、こんにちは。
株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事は「『佐藤ビル』と『銀座SSビル』のあいだにあるもの――ビル名でたどる家と場と記号の戦後史」というタイトルで、2026年2月4日に執筆しています。
少しでも、皆さんに新たな気づきをもたらして、お役に立てる記事にできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめに
街を歩いていると、大きなビルの裏通りで、「佐藤ビル」「山本ビル」「田中ビル」に出会う。同じくらい、「銀座ビル」「日本橋ビル」「○○一丁目ビル」も多い。もう少し新しめの「銀座SSビル」「日本橋YKビル」みたいな、地名+アルファベット2文字のビル名もよく見かける。
ふだん意識することはほとんどないかもしれないけれど、そのようなビル名には“順番”なり“歴史”がある。
戦後の「雑居ビル」建築ブームとともに名字ビルが増え、そのあとに地名ビルが広がり、さらに名字+地名、アルファベット2文字、地名+2文字……と、同じ街のなかで、ビル名のフォーマットが少しずつ入れ替わってきた。
例えば、中央区銀座1丁目にあるある一棟は、もともと「佐藤ビル」だったのが、のちに「銀座SSビル」へと改称されている。
別の八丁堀のビルは、「後関ビル」から「八丁堀中央ビル」になっている。
どちらも建て替えられたわけでもなく、同じ住所で、「賃貸オフィスビル」用途であり続けている。でも、ビルの名は、はっきりと、「家」から離れ、「街」や「記号」に重心を移している。
このコラムでは、
- 名字ビル(家)
- 地名ビル(場)
- 名字+地名ビル
- アルファベット2文字(記号)ビル
- 地名+アルファベット2文字(記号)ビル
といったパターンを、実在するビルの分布と改称履歴から追いかける。
「佐藤ビル」はなぜ「銀座SSビル」になったのか。
その変化の中に、戦後東京で個人地主がどのようにビルを建てて、持ち続け、どのように名前を替えて、何を前面に出してきたのか――賃貸オフィスビルの名前を手がかりに、その歴史を辿ってみたい。
第1章:1950年代後半〜1970年代:「雑居ビル」と名字ビルの時代
戦後の混乱が一段落し、神武景気以降の高度成長が始まる1950年代後半から70年代にかけて、東京では中小企業の都心回帰・進出が一気に進んだ。戦争直後の焼け跡や駅前の闇市、木造バラックが整理され、その細かく分筆された土地のうえに、鉄筋コンクリート造・4〜6階建て程度の小ぶりなビルが、個人名義で次々と建てられていく。
この個人地主・オーナーの多用途・多テナント型の建物を、当時のメディアや研究者は「雑居ビル」と呼び始める。たとえば新橋西口エリアの調査では、1965年に27棟(全建物の約7%)だったビルが、1995年には131棟(約40%)まで増えており、木造建物がビルへと置き換わっていくプロセスが、数字としても見えてくる。(出典:東京都市大学都市空間生成研究室2022_1841165_yamamotosakuya.pdf)
このエリア分析では、「複合商業型」「準オフィス型」のビルは法人→法人で所有が移転する例が多い一方、「雑居ビル型」のモデルケースはすべて「個人所有」だったと指摘されている。つまり、戦後東京で個人地主が賃貸オフィスビル(実際にはオフィス兼店舗の雑居ビル)をガンガン建て始めるコアの時期が、まさにこの1950年代後半〜70年代ということになる。
この流れを支えていたのが、都市の土地構造だ。終戦直後の土地政策や相続を通じて、都市部の土地はさらに細かく私有化され、「この一角は○○家の土地」という単位が無数に残ったとする研究がある。そうした零細な私有地の上に、闇市跡の整理、高度成長、建築技術の普及が重なり、個人所有の雑居ビルが量産されていく。ここで初めて、「個人地主が、家名を冠した“○○ビル”として賃貸オフィス・店舗を持つ」という、現代的な意味での“名字ビル”が一気に増えていく。
では、なぜ名字がビル名に前面に出てくるのか。そこには少なくとも三つの機能が重なっている。
1つ目は、家名の可視化=地主性の宣言だ。江戸期以来の都市では、「この筋は△△家の持ち」という感覚が根強く、土地と家名がセットで記憶されてきた。その土地にRC造のビルを建てたとき、「佐藤ビル」「山田ビル」と名乗るのは、「ここは佐藤家の不動産だ」という、きわめてストレートなラベリングに近い。
2つ目は、信用装置としての名字。テナント側から見れば、「○○ビル=地場の○○さん」がオーナー、というほうが、「よく分からない法人名義」やペーパー会社よりも、相手をイメージしやすい。とくに小規模ビルでは、「誰の懐に家賃を払っているのか」が見えること自体が、ローカルな商習慣のなかで安心材料として機能した。
3つ目は、相続をまたぐ“家の資産”としての一貫性だ。ビル名に家名を入れておけば、代替わりしても名称はそのまま残る。実務的にも、所有名義が個人から同族法人へと移っても、「○○ビル」という看板だけは変えない、というパターンと相性がいい。名字をビル名に埋め込むことで、「土地・建物・家名」がひとつのブランドとして街に刻まれていく。
なお、この流れの延長線上で考えると、森ビルの出自もまさに同じ時代構造の中にいる。創業者の森泰吉郎は1955年に森不動産(のちの森ビル)を設立し、ほどなく虎ノ門交差点近くに「西新橋1森ビル」「西新橋2森ビル」を建設している。(出典:森株式会社)ここでも、「森ビル」という家名+ビルの組み合わせからスタートしている点は、戦後東京における個人オーナー型ビルの典型と地続きだと言っていい。ただし、森ビルはその後、エリア一体開発や超高層再開発へとスケールアウトしていく、かなり特殊な成功例でもある。
| ビル名 | 分布している区・エリア | 竣工年 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 田中ビル | 千代田区神田多町2-11(本館)/ 中央区東日本橋・馬喰町周辺/ 港区新橋4-30-6/ 新宿区四谷4-8/ 渋谷区桜丘町・南平台界隈 | 神田多町:1980年 | - |
| 高橋ビル | 千代田区神田小川町2-2/ 港区新橋3-9-10/ 新宿区神楽坂・牛込周辺/ 渋谷区渋谷・神南周辺/ 中央区築地(高橋ビル〈築地〉) | 築地:1978年 | - |
| 小林ビル | 千代田区内神田・神田周辺/ 中央区日本橋・八丁堀周辺/ 港区芝・三田界隈/ 新宿区高田馬場・早稲田界隈 | - | - |
| 小林ビル本館 | 中央区日本橋 | 1978年 | - |
| ニュー小林ビル | 中央区入船 | 1958年 | 昭和30年代に流行った “ニュー◯◯”系 |
| 山本ビル | 千代田区神田・秋葉原寄り/ 中央区日本橋室町/ 港区西新橋・虎ノ門近辺/ 新宿区四谷・新宿三丁目周辺 | 日本橋人形町:1978年/ 銀座:1984年 | - |
| 井上ビル | 千代田区神田須田町・淡路町界隈/ 新宿区余丁町・若松河田周辺 | - | - |
| 木村ビル | 港区新橋・浜松町界隈 | - | - |
| 木村ビルディング | 中央区銀座 | - | - |
| 鈴木ビル | 渋谷区渋谷2-4-10 | 1987年 | - |
| 鈴ビル | 渋谷区富ヶ谷1-15-12 | - | 「鈴木」の略称系か |
| 田村ビル | 千代田区神田紺屋町 | - | - |
| 西村ビル | 中央区京橋・新富町 | - | - |
| 竹田ビル | 中央区京橋 | - | - |
| 後関ビル | 中央区八丁堀 (現:八丁堀中央ビルの旧称) | 1974年 | 「八丁堀中央ビル」へ改称 |
第2章:名字ビルvs地名ビル――“誰の場所か”をめぐる引き合い
ビル名にはもうひとつ、「場所として記憶される」という流れがある。
戦後すぐに量産された名字ビルは、「佐藤さんのビル」「山田さんのビル」というかたちで、まず家を中心に場所を名付けていた。
一方で、もう少しスケールの大きなところでは、少し違う流れが先に走っていた。
丸の内では、1923年竣工の「丸ノ内ビルヂング」が、三菱地所の大規模オフィスとして「丸ノ内」という地名をそのまま冠しているし、神武景気の1958年には「大手町ビルヂング」が誕生し、官庁街・金融街としての「大手町」をそのままビル名にしている。
さらに高度成長期になると、「新橋駅前ビル」「大阪駅前第1〜4ビル」のように、市街地改造事業や再開発で自治体+大手デベロッパーが“駅前+ビル”という純粋な地名ビルを次々と建てていく。
ここで先に地名を看板にしていたのは、
- 丸の内・大手町のような都心一等地のオフィス街
- 駅前再開発の「玄関口」を名乗る大型ビル
といった、スケールの大きいプロジェクト側だった。
この「地名+ビル」というフォーマットがひととおり見本として出揃ったあとで、
中小型ビルの個人オーナーにも、じわっと同じ語法をまねようとする動きが広がっていく。
ただ、個人地主の中小型ビルの名前に地名を取り込もうとする流れが目立つようになっていくなか、その流れを押しとどめる3つの事情がある。
まずは、めちゃくちゃ分かりやすい“ルールの問題”だ。
不動産広告の世界には「不動産の表示に関する公正競争規約」というルールがあって、物件名に使っていい地名が細かく決められている。基本的には、
- 実際の所在地の地名・歴史的地名
- 最寄り駅名
- 一定距離以内の公園・施設・道路名(通り名・坂名など)
このあたりに限定しろ、というスタンスだ。
ルールが強化された理由はシンプルで、「ブランド地名の盛りすぎ」が横行したからだ。
実際には恵比寿エリアでもないのに「恵比寿〇〇ビル」と名乗ったり、
八重洲通りに面してもいないのに「八重洲通り〇〇ビル」と名乗ったり――
そういう“盛った物件名”が、探している側を誤誘導するよね、というところから締め付けが強くなっていった。
結果として、
- ガチの「丸の内」「六本木」を名乗れるのは、そのど真ん中にいる大規模プロジェクト
- 少し外れにいる中小ビルは、どうしても実在の「町名・丁目・通り名」スケールに寄せざるを得ない
という力学が生まれている。
ただ、実務の現場を見ていると、地名の付け方にも「ちょっとした工夫」というか、「解釈の余地」が見えるケースもある。
そのようなネーミングの一例として、大手町の北側に位置する千代田区内神田のロケーションで、「北大手町ビル」という名前を採用しているケースもある(当社の管理物件)。
「北にある大手町的な場所」という感覚を名前に込めたもので、実際の所在地を偽っているわけではないので、表示上のトラブルにはなっていない。
とはいえ、表示規約の趣旨に鑑みると、かなり攻めたネーミングであることも確かだ。
次に、“実務的にそれじゃ案内にならない”という問題。
日本の住所は街区方式だし、東京だと行政が「通称道路名」を整備して、交通情報や防災、道案内でガチガチに使っている。現場感覚でいうと、
- 「渋谷のビルです」→範囲が広すぎて、どこか分からない
- 「道玄坂のこの通り沿いのビルです」→一気に場所が特定できる
この差がとんでもなくデカい。
テナント募集の案内、内見の待ち合わせ、郵便や宅配のやり取り……。全部「どれだけ説明しやすいか」が効いてくるから、エリア名だけよりも「町名+丁目+通り名」でビル名まで揃えておくほうが、情報量としては圧倒的にコスパがいい。
その結果、
- 再開発・大規模ビル
→「渋谷マークシティ」「渋谷道玄坂○○ビル」みたいに、エリア名+サブエリアを大きく抱え込んで名乗る側
- 個人ビル・中小規模ビル
→「道玄坂○丁目ビル」「○○通りビル」「新富一丁目○○ビル」みたいに、町名・丁目・通りでピンポイントに名乗る側
という役割分担になりやすい。
そして最後が、“サイズ感の問題”だ。
「六本木」「丸の内」「表参道」クラスの地名って、それ自体がブランドだし、その中に立っている巨大プロジェクトがさらにそのブランドを増幅している。そこに、延べ数百坪クラスの小粒なビルが「六本木○○」とだけ名乗ると、どうしても名前のサイズ感だけが過剰に大きく見えやすい。
だから中小型ビルのオーナーほど、ブランド地名をそのまま一人称で名乗るのではなく、「○丁目」や通り名、あるいはオーナーの名字と組み合わせて、名前の“縮尺”をビルの実物に合わせにいく。
「個人ビルがエリア名単独を名乗るのは、ちょっと荷が重い」という感覚が共有されるなかで、「渋谷の中の道玄坂」「銀座の中の銀座一丁目」といった“エリアの中のエリア”を切り出して名乗るイメージになっていく。
個人ビルにとって、ここからようやく現実的な選択肢になるのが「町名ビル」だ。
同じ「渋谷」でも、「渋谷ビル」より「道玄坂ビル」「桜丘町ビル」の方が、
- 住所との対応が素直
- バス・タクシー・徒歩での案内もしやすい
という意味で、現場の実務にもフィットする。
ただ、それでも人気エリアでは「町名だけ」の名前が、やや“盛り気味”に見えることがある。そこで、さらに一段スケールを細かくしたネーミングが増えていく。
三段階目が「町名+丁目」だ。
- 「道玄坂二丁目ビル」
- 「新富一丁目○○ビル」
- 「神宮前三丁目○○ビル」
ここまで来ると、「渋谷」「銀座」といったブランド地名を丸ごと背負うのではなく、そのブランドエリアの中の一画だけを名乗るバランスになる。
- ブランドエリアの“おこぼれ”は少しもらいたい
- でもエリア全体の代表を名乗るほどの器ではない
という、小規模ビルの正直なポジショニングが、そのまま名前のスケールに出ている。実務的にも、「○丁目」まで入っていれば、地図検索・配達・タクシーの行き先としても迷いが少ない。
さらにスケールを詰めたのが、「通り名」「坂名」スケールだ。
- 「○○通りビル」「外堀通り○○ビル」「職安通り○○ビル」
- 「靖国通り○丁目ビル」「目黒通り○○ビル」など
これはほぼ、道案内・動線設計に全振りしたネーミングと言っていい。不動産広告のルール上も、「一定距離以内の道路名」は物件名に使える地名として認められているので、所在地と名前の整合も取りやすい。
こうして見ると、地名のスケールを「区・エリア」から「町名」「丁目」「通り」へと細かく落としていくプロセスは、単なる住所表記の精度の話じゃない。
広告規制のルール、現場の案内のしやすさ、小さなビルなりのサイズ感――その全部が絡んだ結果として、個人ビルはより細かいスケールで自分の場所を名乗るようになっていった、という話になる。
| ビル名 | 区・エリア | 竣工年 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 日本橋ビル | 中央区日本橋 | 1983年 | - |
| 銀座ビル | 中央区銀座 | 1987年 | - |
| 人形町ビル | 中央区日本橋人形町 | 1985年 | - |
| 新川ビル | 中央区新川 | 1988年 | - |
| 日本橋中央ビル | 中央区日本橋 | 1973年 | - |
| 八重洲中央ビル | 中央区八重洲 | 1975年 | - |
| 八丁堀中央ビル | 中央区八丁堀 | 1974年 | 「後関ビル」から改称 |
| 銀座中央ビル | 中央区銀座 | 不詳 | - |
| 八丁堀駅前ビル | 中央区八丁堀 | 不詳 | - |
| 茅場町駅前ビル | 中央区茅場町 | 不詳 | - |
| ビル名 | 区・エリア | 竣工年 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 日本橋人形町1丁目ビル | 中央区日本橋人形町 | 不詳 | - |
| 新川一丁目ビル | 中央区新川 | 不詳 | - |
| 日本橋本町二丁目ビル | 中央区日本橋本町 | 2018年頃 | - |
| 銀座七丁目ビル | 中央区銀座 | 不詳 | - |
| ビル名 | 区・エリア | 竣工年 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 銀座外堀通りビル | 中央区銀座 | 不詳 | - |
| 銀座中央通りビル | 中央区銀座 | 不詳 | - |
| 日本橋さくら通りビル | 中央区日本橋 | 不詳 | - |
| 銀座柳通りビル | 中央区銀座 | 不詳 | - |
| 銀座レンガ通りビル | 中央区銀座 | 不詳 | - |
| 銀座並木通りビル | 中央区銀座 | 不詳 | - |
第3章:名字+地名のハイブリッドは、「家」と「場」の折衝案
地名だけのビル名、名字だけのビル名を見てきたあとで、気になってくるのがその中間にいるやつだ。
いわゆる「新橋伊藤ビル」「銀座山本ビル」「神田佐藤ビル」みたいな、名字+地名のハイブリッド型である。
ここにはけっこう分かりやすい構造がある。
- 名字:このビルは「誰のものか」「誰が責任を持っているか」という“家”の側の情報
- 地名:このビルは「どこにあるのか」「どの街に属しているのか」という“場”の側の情報
名字+地名のビル名は、この2つを一行のなかで折衝しているネーミングだと言っていい。
「伊藤ビル」だけでは届かないところを、地名で補う
まず、純粋な名字ビル――「伊藤ビル」「山本ビル」「佐藤ビル」だけで名乗ろうとすると、今の感覚だとどうしても情報が足りない。
- 住所と即座に結び付かない
- 同じ名字ビルが街の中に複数あり得る
- 探す側からすると「どの伊藤さん?」状態になりやすい
昔はそれで通用していたとしても、テナント募集、Web掲載、地図アプリ、配送、タクシー、とにかく「場所情報」が細かく紐づくようになった今だと、名字だけで押し切るのはだいぶキツい。
そこで出てくるのが「新橋伊藤ビル」型だ。
地名が、場所情報と識別性を一気に補ってくれる。
- 「新橋」という単位で街のイメージと大まかな位置を示しつつ
- 「伊藤」でオーナーの顔とビル個体を特定する
名字ビルが持っていた「家」の情報に、「場」をあと付けで足しているイメージに近い。
「新橋伊藤ビル」と「伊藤新橋ビル」は、前に出ているのが違う
ハイブリッド型の中でも、実は微妙な差がある。
- 地名+名字型:「新橋伊藤ビル」「銀座山本ビル」
- 名字+地名型:「伊藤新橋ビル」「山本銀座ビル」
ぱっと見は似ているけれど、ニュアンスは逆だ。
- 「新橋伊藤ビル」
→まず「新橋」という“場”を掲げて、そのなかの伊藤さんのビルですよ、という言い方
- 「伊藤新橋ビル」
→伊藤さんのビルであることを先に出しつつ、その伊藤ビルの新橋棟、という読み方もできる
どちらもルール的には問題ないが、どちらを前に置くかで、「家」と「場」のどちらに主導権を寄せるかが変わる。
個人オーナーの小さなビルが、地名を先頭に置いているケースが多いのは、「まず街の名前で検索される」という現実を意識しているからだと考えた方が自然だ。
「ブランド地名を丸ごと背負う」ことへの“逃げ道”としてのハイブリッド
ここで、さっきのスケールの話とつなげると分かりやすい。
- 「六本木ビル」「銀座ビル」と名乗るのは、ブランド地名を丸ごと背負う行為
- 小さな個人ビルには、その看板を一人称で背負うのは正直重たい
とはいえ、
- 「伊藤ビル」だけだと、場所としての情報がなさすぎる
- 地名を完全に捨てるほど、街との接続を諦めたいわけでもない
その間を埋める折衷案として、
- 「六本木伊藤ビル」「銀座山本ビル」
- さらに一歩進めて「六本木三丁目伊藤ビル」「銀座一丁目山本ビル」
といったハイブリッドが選ばれやすくなる。
地名単独で大上段に構えるほどの器ではない。
でも、ブランド地名の外側に完全に追いやられるのも避けたい。
その微妙なバランス感覚が、そのまま名字+地名の組み合わせににじんでいる。
規制と実務の要請にも、わりと素直にハマる
名字+地名型が“生き残りやすい”のは、感覚の話だけじゃなくて、制度と実務にもちゃんと噛み合っているからだ。
- 規約上、地名や通り名は「実際の所在地」と紐づいていれば使ってOK
- 名字部分は、オーナー名や企業名として扱われるので、地名規制とは別枠
つまり、
- 「所在地に合った地名or通り名」+「オーナー名字」
という組み合わせにしておけば、
広告規制もクリアしつつ、場所情報とオーナー情報を同時に載せられる。
検索性・案内のしやすさ・法令対応を、一発で全部そこそこ満たせるフォーマットになっている。
小さなビルが、「家」を消さずに「場」に合わせるためのフォーマット
まとめると、名字+地名のビル名は、
- 名字ビルが持っていた「家」の記憶を完全には手放さない
- でも、地名ビルが要求する「場の説明」にも、きちんと参加する
ための、現実的な妥協案だと言える。
地名のスケールが区/エリアから、町名、丁目、通りへと細かく落ちていくなかで、
個人ビルは「自分のサイズに合った地名」と「自分の名字」をどう組み合わせるかで、立ち位置を微調整してきた。
| ビル名 | 区 | エリア | 竣工年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 田中八重洲ビル | 中央区 | 八重洲1-6-21 | 1966年 | - |
| 佐藤代々木ビル | 渋谷区 | 代々木1-14-3 | 1992年 | - |
| 銀座小林ビル | 中央区 | 銀座1-6-8 | 1963年 | - |
| 東日本橋佐藤ビル | 中央区 | 東日本橋2-16-7 | 1987年 | - |
| 築地小川ビル | 中央区 | 築地 | 1991年 | - |
| 京橋山本ビル | 中央区 | 京橋 | 1986年 | - |
| 日本橋山本ビル | 中央区 | 日本橋エリア | 1985 | - |
| 日本橋加藤ビルディング | 中央区 | 日本橋本町 | 1988年 | - |
| 恵比寿佐藤ビル | 渋谷区 | 恵比寿南3-2-12 | 不詳 | - |
| 銀座中村ビル | 中央区 | 銀座 | 1984年 | のちに「銀座THビル」へ改称 |
| 八重洲通ハタビル | 中央区 | 八重洲通り | 不詳 | 通り名(八重洲通)+姓(ハタ) |
第4章:アルファベット2文字ビル
名字ビルを見ていくと、途中から混ざり始めるのが「YKビル」「KSビル」みたいな、アルファベット2文字だけのビル名だ。
地名も付けず、「アルファベット2文字」+「ビル」。
何の略なのかは外から見ても分からない。けれど、街を歩いていると、一定数こういう名前に出会う。
これは単純に「横文字の方がカッコいいから」という話だけではない。
名字ビルが抱えていたいくつかの“やりにくさ”を、アルファベット2文字がうまく薄めてくれる、という構造がある。
まず、名字ビルは情報として正直すぎる。
「佐藤ビル」「山田ビル」「鈴木ビル」――
そこにはっきり「家」が出てしまう。誰が持ち主か、どんな規模感のオーナーか、おおよそのイメージが一発で伝わってしまう。
ところが、ビルの中身はだんだん変わっていく。
テナントは多様化し、フロアごとに違う会社が入り、相続や共有で所有関係も複雑になる。そうなってくると、
- 「このビルは“山田家”のものです」と強く言い切る感じ
- それを看板に永久保存する感じ
が、少し重くなってくる。
名字を看板に掲げ続けること自体が、ビルの運営実態と合わなくなっていく。
そこで出てくるのが、アルファベット2文字だ。
「YKビル」と書かれていれば、
それが「山田工業」なのか「吉川興産」なのか、「山口・木村」の頭文字なのか、外からは判別できない。
内側の論理としてはオーナー名字や社名から取っているとしても、表向きはただの“記号”として振る舞ってくれる。
- 名字ビルが持っていた“家”の匂いはうっすら残す
- でも、その家をむき出しでは出さない
このぼかし方がちょうどいい。
看板やサイン計画の面でも、2文字のアルファベットは扱いやすい。
小さな袖看板やエントランスのプレートに、漢字三文字の名字を載せるよりも、省スペースでロゴっぽく収まる。
ビル単体というより、「複数テナントを入れる箱」としての顔つきに寄せやすい。
もう一つ大きいのは、「誰のものか」よりも「どのビルか」が重要になっていく、という変化だ。
テナント募集、ネット掲載、地図アプリ、配送、タクシー…。
ビル名に求められるのは、オーナーの自己紹介というより、「識別記号」としての機能になっていく。
- 「佐藤ビル」は街に何軒あってもおかしくない
- 「STビル」も同じくらい被りうるけれど、そもそも“意味が分からない記号”なので、そこまで気にされない
アルファベット2文字は、意味よりも“コード感”で押し切るネーミングだ。
オーナー側は「自分たちには分かる略称」を仕込んでおきつつ、外側からはただの記号として見てもらう。
名字を前面に出すのをやめて、半歩だけ匿名寄りに逃がしている。
歴史的に見れば、「名字ビル→アルファベット2文字ビル」ときれいに世代交代したわけではない。
1950〜60年代の時点で、名字ビルと並行して、アルファベット2文字のビル名もすでに立ち上がっている。
それでも、オーナー側の感覚としては、
- 家の名前でビルを運営していくには、そろそろ無理が出てきた
- かといって、地名や企業ブランドを全面に出すほどの規模でもない
という板挟みのなかで、「とりあえず2文字のアルファベットにしておく」という逃げ道が選ばれていった、という読み方はできる。
アルファベット2文字ビルは、
名字ビルほど“家”を出さず、地名ビルほど“場”に寄りきらない。
その中間に、記号としてちょこんと座っている。
第5章:地名+アルファベット2文字は、「場+記号」
「銀座KSビル」「新宿YKビル」「渋谷HFビル」みたいな名前を見かけることがある。
さっきまでの流れでいうと、
- 名字ビル:家
- 地名ビル:場
- 2文字ビル:記号
だったのに対して、地名+2文字ビルは「場+記号」だけを前に出すネーミングになっている。
外から見える情報は、こう分解できる。
- 「銀座」「新宿」「渋谷」…→ここがどの街のビルか
- 「KS」「YK」「HF」…→どのビルかを区別するための記号
中にオーナーの名字や会社名の略が仕込まれていたとしても、それはもはや外向きの主役ではない。
名字ビルが抱えていた「家」の気配は、アルファベット2文字のなかに沈められて、ほぼ“識別記号”としてだけ扱われる。
名字の「生々しさ」を、地名と記号で薄める
名字ビルから2文字ビルへの移行は、「家の名前を看板から引っ込めたい」という動きだった。
そこに地名が乗ると、さらに整理される。
- 「山田ビル」
→誰のビルかが一発で分かる。家が全面に出る
- 「YKビル」
→山田かもしれないし、吉田かもしれないし、山口×木村かもしれない。家はぼやける
- 「銀座YKビル」
→街ははっきり示しつつ、所有者は記号の奥に隠す
「場」ははっきり、「家」はぼかすというチューニングが、ここで完成する。
地名部分が、テナントや来訪者に向けた「表の顔」になる。
2文字は、オーナーや管理側だけが分かればいい「裏の意味」を背負う。
名前の一行の中で、役割分担がはっきりする。
まず街で検索される」前提に合わせた並び順
地名+2文字ビルが素直なのは、「検索の順番」と噛み合っているからでもある。
実務でビルを探すとき、多くの人は
- エリア(銀座・新宿・渋谷…)で絞る
- その中から、通り・番地・ビル名で特定する
という順番で情報にアクセスする。
だから、名前の並びが
- 「銀座KSビル」
→検索・会話の入り口と同じ順序(銀座→KS)
- 「KS銀座ビル」
→まずKSが来てしまい、何の略か分からない記号から入る
この差は地味に大きい。
エリア名を先頭に置くことで、「街の中の一棟」としての見つけやすさに振り切っている。
2文字は、その中で「どのビルか」を区別するための添え物に回る。
ブランド地名を“割り振る”ためのフォーマット
人気エリアほど、地名を単独で名乗るのはハードルが上がる。
「銀座ビル」「六本木ビル」と書いた瞬間に、その名前が表す範囲が広すぎて、街全体の看板みたいになってしまうからだ。
そこで、
- 「銀座KSビル」
- 「六本木YTビル」
- 「表参道HFビル」
のように、ブランド地名+記号という形で、エリア名を細かく割り振っていく。
地名を丸ごと抱え込むのではなく、「銀座のKS」「六本木のYT」として、ブランド地名のなかに自分の枠を刻むイメージに近い。
ここには、
- ブランド地名とのつながりは維持したい
- でも「銀座そのものの代表です」とまでは言い切れない
という、小さめのビル側の本音がそのまま出ている。
ポートフォリオを“並べる”ときにも使いやすい
地名+2文字ビルは、複数棟を持つオーナーにとっても扱いやすい。
例えば、同じオーナーが
- 「新宿YKビル」
- 「渋谷YKビル」
- 「池袋YKビル」
を持っているとする。
YKという記号はオーナーやグループを指し示しつつ、地名部分がそれぞれの立地を整理してくれる。
逆に、
- 「YK第1ビル」「YK第2ビル」「YK第3ビル」
とだけ名付けると、エリアが分散した瞬間に、外部から見て意味を成しづらくなる。
記号を縦軸、地名を横軸にしてポートフォリオを並べるのに、地名+2文字はちょうどいいフォーマットになっている。
「家+場+記号」の三角形のうち、何を残すか
整理すると、地名+アルファベット2文字ビルは、
- 家:名字を前に出すのはやめる
- 場:エリア名でしっかり押さえる
- 記号:オーナーや由来はアルファベット2文字の中に沈める
という選択の結果だと言える。
名字ビルが「家」に振り切りすぎていたとすれば、
地名ビルは「場」に、2文字ビルは「記号」にそれぞれ寄っていった。
地名+2文字ビルは、そのうちの二つ――「場」と「記号」だけを残し、家を表から外すための形だ。
| ビル名 | 区 | エリア | 竣工年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 銀座YKビル | 中央区 | 銀座1-14-10 | 1964年 | - |
| 銀座SSビル | 中央区 | 銀座1-14-15 | 1984年 | 旧称は「佐藤ビル」 |
| 銀座KMビル | 中央区 | 銀座8-10-4 | 1974年 | - |
| 銀座THビル | 中央区 | 銀座 | 1984年 | 旧称:銀座中村ビル |
| KM新宿ビル | 新宿区 | 新宿1-6-11 | 1991年 | - |
| 京橋YSビル | 中央区 | 京橋 | 1984年 | - |
| 日本橋YKビル | 中央区 | 日本橋 | 1985年 | - |
| 日本橋KSビル | 中央区 | 日本橋 | 1988年 | - |
| 日本橋本町NSFビル | 中央区 | 日本橋本町 | - | - |
第6章:一棟のビルに刻まれた、「家/場/記号」のゆらぎ
――改称履歴から見るビル名の系譜
ここまで、
- 名字ビル
- 地名ビル(区・町名・丁目・通り)
- 名字+地名
- アルファベット2文字
- 地名+2文字
と、パターンごとにバラして見てきた。
最後に、それらが一棟のビルのなかでどう連結しているかを、改称履歴が追える実例からざっと総覧しておきたい。
ポイントはシンプルで、ビル名の変化は、
- 「家」=誰の土地か・誰のビルか
- 「場」=どの街・どのエリアに属しているか
- 「記号」=識別コードとしての名前
この三つのうち、どれを残して、どれを引っ込めるかの調整として読める、ということだ。
①後関ビル→八丁堀中央ビル
――「家」から「場」へ、地主性を看板から消す
中央区八丁堀の「後関ビル」は、のちに「八丁堀中央ビル」へ改称されている。
ここで起きているのは、かなり分かりやすいスライドだ。
- 旧:後関ビル
「後関」という名字が、ローカル地主としての「家」をそのまま表に出している
- 新:八丁堀中央ビル
名字が消え、「八丁堀」というエリア名+「中央」という位置付けだけが残る
三角形でいえば、
- 家:バッサリ削る(後関の名は表から消える)
- 場:最大化する(八丁堀の中央、という言い方に振る)
- 記号:ほぼゼロ(「中央」は位置付けの形容であってコードではない)
というチューニングになっている。
なぜこう振るのか。
ありそうなのは、
- 所有が個人から法人へ移った
- 同族では持ち切れなくなり、外部資本が入った
- 「後関さんのビル」ではなく、「八丁堀の賃貸オフィスビル」として扱われたいという希望
といった事情だろう。
テナントから見ても、「後関ビル」より「八丁堀中央ビル」のほうが、
- 立地が一発で伝わる
- ビル紹介資料に載せたとき、“地主さんの名前のビル”感が薄まる
という意味で、扱いやすい。
この改称は、地主性を看板から外して、ビルを“町の在庫”側に寄せる動きとして読める。
②佐藤ビル→銀座SSビル
――「家」から、「場+記号」への一気跳び
銀座1丁目の「銀座SSビル」は、旧称が「佐藤ビル」だと確認できる。
ここでの変化は、さっきの八丁堀とは別の軌道を取っている。
- 旧:佐藤ビル
典型的な名字ビル。「家」が全面に出ている
- 新:銀座SSビル
銀座=場
SS=記号(たぶん佐藤の頭文字を含んでいるが、外からは分からない)
ここで三角形は、
- 家:SSの中に沈める(オーナー側だけが分かるレベルに格下げ)
- 場:銀座を前面に押し出す
- 記号:SSというアルファベット2文字の記号を新たに立てる
というふうに組み替えられている。
つまり、「佐藤」という名字を完全に捨てたわけではなく、
「銀座+SS」というフォーマットの中に、家名をコードとしてアルファベット2文字の記号のなかに埋め直した、という動きだと読める。
- 外から見る人にとっては、「銀座にあるSSビル」という“場+記号”の組み合わせ
- 内側の人間にとっては、「もともと佐藤ビルだったSS」のように、家の記憶もかすかに残る
名字ビルからいきなり「銀座ビル」に飛ぶと、地名のスケールが大きすぎてビルの器とズレる。
そこで、「銀座」+「SS」という二段構えにして、ブランド地名の中に、控えめなコードとして自分の痕跡を残す。
そのくらいの温度感がちょうどいい、という判断がにじんでいる。
③銀座中村ビル→銀座THビル
――「家+場」から、「場+記号」へのスライド
もう少しソフトな変化をしているのが、「銀座中村ビル」→「銀座THビル」だ。
- 旧:銀座中村ビル
「銀座」=場
「中村」=家
家と場のハイブリッド型
- 新:銀座THビル
「銀座」=場(維持)
「TH」=記号(新たに立ち上がった記号)
ここでは、
- 場:ほぼ据え置き(銀座は残す)
- 家:中村を外し、記号の中に退避(THが何の略かは外からは読めない)
- 記号:初めて前面に立つ
という変化が起きている。
「佐藤ビル→銀座SSビル」が、
家→場+記号へのジャンプだとすると、
「銀座中村ビル→銀座THビル」は、
家+場→場+記号への横スライド、という感じだ。
- 立地ブランド(銀座)と地図上の位置付けは維持したい
- ただし、ビル名としては、特定の家名から少し距離を取りたい
- とはいえ、完全な地名ビルにするほど「街の看板」を名乗る覚悟もない
この三つの要請を同時に満たそうとすると、
「銀座」+アルファベット2文字の記号という選択肢が、もっとも摩擦が少ない。
④「銀座SS」「銀座TH」「銀座YK」…
――同じエリアに並ぶビル名が示すもの
銀座周辺だけを切り取っても、
- 銀座ビル(地名のみ)
- 銀座中央ビル(地名+位置付け)
- 銀座山本ビル(地名+名字)
- 銀座SSビル/銀座THビル/銀座YKビル(地名+2文字)
みたいな名前が雑居している。
これを年代と改称履歴を乗せて眺めると、
- まず、名字ビルや名字+地名ビルとして立ち上がる
- その一部が、地名ビル(銀座ビル/銀座中央ビル)側へ寄っていく
- 別の一部は、地名+2文字(銀座SS/銀座TH…)側へ滑っていく
という、複数のベクトルが見えてくる。
重要なのは、「名字→地名→2文字」と一直線に進化したわけじゃない、ということだ。
むしろ現実は、
- 「家をどれだけ残したいか」
- 「どこまで街の看板を名乗れると思っているか」
- 「識別コードとしてどれくらい匿名でいたいか」
によって、
同じ出発点(名字ビル)から、地名型・2文字型・ハイブリッド型に分岐していった、という方が近い。
⑤まとめ:ビル名は、小さな経営史のアーカイブ
後関ビル→八丁堀中央ビル、
佐藤ビル→銀座SSビル、
銀座中村ビル→銀座THビル――。
この3つを並べるだけでも、ビル名が、
- 「家」を消す
- 「場」に寄せる
- 「記号」に逃がす
という三方向の動きの中で揺れてきたことが、かなりはっきり見える。
名前の変遷を追うことは、
- 誰がこのビルを持っていて
- その「持ち方」がいつ、どう変わり
- どのタイミングで「家」を下げ、「場」や「記号」を前に出したのか
という、小さな経営史・都市史を読むことでもある。
戦後の名字ビルの時代から、地名ビル、名字+地名、アルファベット2文字、地名+2文字へ。
その流れは、「雑居ビルが増えた」「英語がカッコいい」といった表面的な話ではなく、
家と場と記号の三角形のどこに重心を置き直すかという、わりとシビアな現実の調整として積み重なってきた。
中央区のごく限られた一角を歩くだけでも、その系譜はそこら中に落ちている。
ビル名を順番に眺めていくとき、
- これはまだ“家”で持っているビルだな
- これはもう“場”に完全に解けているな
- これは“コード”としてしか自分を残していないな
という視点で見直してみると、
東京の賃貸ビルストックが抱えている構造と、オーナーたちのささやかな選択が、少し違う輪郭で見えてくるはずだ。
| 旧名称 | 新名称 | 住所 | 竣工年 | 変化のタイプ |
|---|---|---|---|---|
| 後関ビル | 八丁堀中央ビル | 中央区八丁堀 | 1974年 | 姓→地名のみ |
| 佐藤ビル | 銀座SSビル | 中央区銀座1-14-15 | 1984年 | 姓→地名+アルファベット2文字 |
| 銀座中村ビル | 銀座THビル | 中央区銀座 | 1984年 | 地名+姓→地名+アルファベット2字 |
終章:シリーズ・ビルの時代に、個人ビルはどこに立つのか
いま、中型オフィスの世界では、「名前」のゲーム盤そのものがまた一段変わりつつある。
野村不動産のPMO、ボルテックスのVORT、日鉄興和のBIZCORE、住友商事のPREX、中央日本土地建物のREVZO、三菱地所のCIRCLES――それぞれが、延床数千㎡クラスの中型オフィスを、シリーズブランドとして一気に並べている。かくいう当社も、BRとNEWSという二つのシリーズを展開している。
ここまでくると、ビル名は「家/場/記号」に加えて、シリーズブランドという第四のレイヤーを持ち始める。
- PMO・BIZCORE・PREX…というコードそのものが「一定水準以上のスペック」を約束するラベルになり
- その後ろに、大手デベロッパーという“家”が控え
- 立地は「○○駅徒歩○分」「○○通り沿い」としてカタログ的に並べられる
つまり、「家」は企業ロゴに吸収され、「場」はスペック表の一項目になり、ビル名の表層にはほぼ“シリーズ名+地名コード”だけが残る構造だ。
このゲームに、そのまま個人地主のビルが乗るのは正直きつい。
「PMOっぽい名前」「BIZCOREっぽい横文字」を後追いしても、テナント側から見れば単なる“なんちゃってシリーズ”にしか見えないし、仲介の現場でも区別されない。
じゃあ、個人ビルはどうやって生き残るのか。
ここで、名前の話と運営戦略がつながってくる。
個人オーナーが本当に持っている強みは、大手のシリーズと同じフィールドでの“ブランド勝負”ではない。
- 地場の文脈や細かい立地に対する感度
- テナントの顔を見ながら決められるスピードと裁量
- 建物の癖や履歴を踏まえた、現場レベルの調整余地
こうした「顔の見える判断」と「場所のリアリティ」をどこまで出せるかが、本来の勝負どころだとすれば、ビル名もそこに合わせてチューニングした方がいい。
- 「○○コア」「○○スクエア」みたいな、量産型の横文字に寄せるのではなく
- 「町名+丁目+ビル名」や「通り名+ビル名」で、立地の精度をきちんと出す
- 必要なら、名字やアルファベット2文字の記号を足して、“誰が持っていて、どの箱か”を最低限区別できるようにする
要は、自分のスケールに合わない“シリーズごっこ”をやらないことだ。
これから築40〜50年を迎える個人ビルは、建替え・改修のたびに、いやでも名前をどうするかを問われることになる。
- まだ「田中ビル」で行くのか
- 「日本橋田中ビル」として場との接点を強くするのか
- 「日本橋TKビル」のように、家をアルファベット2文字の記号にコードとして沈めるのか
- あるいは、シリーズブランド(自前の小さなレーベル)を立ち上げるのか
その選択は、「どのマーケットで戦うつもりか」を決める行為でもある。
PMOやBIZCOREのように、シリーズ名だけで案件検索される世界線も、たしかにもう目の前にある。
一方で、「人形町一丁目ビル」「新川一丁目ビル」「日本橋さくら通りビル」のように、エリアの肌感に直結した名前で語り継がれていく箱も、同じ街の中に残り続けるはずだ。
個人地主のビルがこれからも生き残るとしたら、
そのどちら側に寄るのか、どこまでシリーズ化するのか、どこまでローカルな“顔”を残すのか──その線引きを、名前の一行でちゃんと決めることが避けて通れない。
ビル名の変遷を追うことは、過去を振り返る話であると同時に、
「この先、自分たちのビルをどう名乗っていくのか」を考えるリハーサルでもある。
シリーズ・ビルのロゴが増えていく街の中で、
まだ“佐藤ビル”でいくのか、
“銀座SSビル”になるのか、
まったく別の軸で名乗り直すのか。
その小さな決断の積み重ねが、10年後・20年後の「個人ビルの立ち位置」を静かに形づくっていく。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2026年2月4日執筆