『築古賃貸オフィスビルの清掃、その静かな再生術』
皆さん、こんにちは。
株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事は「築古賃貸オフィスビルの清掃、その静かな再生術」のタイトルで、2025年11月27日に執筆しています。
少しでも、皆様のお役に立てる記事にできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
導入部:いつもの清掃の情景
定時、この築古の賃貸オフィスビルの清掃が始まる。灰色がかった壁には埃が溜まり、床には午前中に出入りした人たちの靴跡が残っている。清掃スタッフは毎日同じ時間に現れ、それらの汚れを黙々と拭き取っていく。
このビルは竣工してから30年以上が経過しており、建物全体に経年劣化が見られる。清掃スタッフはいつもエントランスホールから作業を開始する。まずは床の埃や靴跡をモップで拭き取り、その後、手が届く範囲で、窓ガラスの目立った汚れの清掃も行う。
清掃スタッフの作業は一貫して事務的である。床を掃除し、窓を拭き、共用トイレの清掃を行うほか、設備の簡易点検も日常業務に含まれている。スタッフ自身は特別な感情を抱くこともなく、日々の作業を機械的に繰り返している。
一方で、この清掃作業自体が入居を検討するテナント企業や仲介業者に意識されることは少ない。内覧に訪れる担当者が気にするのは、設備や築年数、賃料、間取りといった条件である。清掃スタッフが日常的に細かな作業を行っていることは目に留まりにくい。しかし、その目立たない作業が物件の第一印象を大きく左右していることもまた事実である。
作業時間が終わると、清掃スタッフはその日の作業を終了し、静かに退出していく。この繰り返しが毎日続くことで、築古ビルの清潔さは一定の水準で維持されている。
第1章:築古ビルの本当の課題─清潔さの印象が見えない壁をつくる
オフィスマーケットにおいて、「築古」という言葉がいつから「競争力の低下」と同義になったのか、はっきりとはわからない。しかし、現実として築古ビルの空室率は近年、明らかに上昇傾向にあり、物件オーナーや管理会社は、その問題に直面している。彼らは築古ビルが市場で敬遠される原因を設備の古さや立地条件、あるいは家賃設定が実情に見合っていないからと考える。しかし、そこにはもっと根本的な要因がある。それは「清潔さの印象」だ。
東京都心のオフィス街におけるあるアンケート調査によると、テナント企業が内覧時に最も気にするポイントの上位は、「エントランスの清潔さ」「トイレの衛生状態」「共用部の清掃状況」といった清潔感に関する項目が並んでいる。新築ビルが好まれるのは設備の新しさもあるが、その前提には「清潔さ」が約束されているからだ。一方、築古ビルでは、オーナーや管理会社が無意識に「古さ」による清潔感の低下を受け入れてしまっていることがある。「古いビルだから仕方ない」と考え、汚れや埃、経年劣化を放置してしまう。それが内覧者の第一印象を悪化させ、心理的な壁を築いてしまうのだ。
実際に、不動産仲介担当者へのヒアリングでは、「入居希望者は意外なほど、第一印象で物件を判断することが多い」と語られることが少なくない。どんなに家賃を下げても、フリーレント期間を設定しても、エントランスの汚れた床や薄暗く埃っぽい廊下を見ると、「ここでは働きたくない」と感じるテナントが多いという現実がある。つまり、築古ビルの空室率上昇の本質的な原因は、「清掃管理の詰めの甘さ」に起因している部分が大きいのだ。
築古ビルオーナーの多くは、古さや設備面ばかりに目を向け、清掃業務をコストカットの対象にしてしまいがちだ。しかし、その選択こそが築古ビルの本来の価値をさらに低下させていることに気付いていない。清掃によって、ビルの価値は着実に変わりうる。これは単なる感覚論ではなく、具体的なデータに基づいた事実でもある。
次の章では、「なぜ築古ビルの汚れが際立つのか」という時間と記憶の堆積に目を向け、それを清掃によってどのように静かに変容させられるのかを探っていきたい。
第2章:築古ビルの「汚れ」はなぜ目立つのか─時間と記憶の堆積
築年数が経過したオフィスビルほど、「汚れ」が目立つという問題が顕著になる。その理由は単純に清掃が不足しているというだけではない。むしろ、日々の通常の清掃では落としきれないほど、長い年月をかけて蓄積された汚れが素材の内部に浸透していることが主な原因である。
オフィスビルの日常的な汚れの多くは、最初は簡単に拭き取れるレベルのものである。例えば、来訪者が靴底に付着させた泥汚れや埃は、発生直後であればモップや掃除機で比較的容易に除去することが可能だ。また、コーヒーや飲料水が誤って床や壁面に飛散した場合でも、直ちに清掃すれば問題なく取り除けることが多い。
しかし、これらの汚れが放置され、一定の期間を経過すると状況は変化する。築古ビルの床や壁の素材は、時間とともに劣化が進み、表面に微細な傷やひび割れが生じる。その傷や隙間に汚れが入り込み、時間とともに内部まで浸透することで、容易に落とせない頑固な汚れへと変質してしまう。
具体的な例として、オフィスビルの廊下やエントランスホールの床材でよく使用される塩ビタイルやビニルシートを挙げてみよう。これらは耐久性に優れ、汚れにも比較的強い素材とされているが、長年の利用で表面の保護層が徐々に摩耗する。摩耗が進行すると、微細な傷が多く発生し、その傷の中に土砂や砂埃などが入り込みやすくなる。さらに、こうして入り込んだ汚れは日常的なモップや掃除機では取り切れず、徐々に蓄積されていくことになる。その結果、表面的な清掃作業では改善されない「黒ずみ」や「くすみ」が顕著になってくるのである。
また、壁面においても同様の現象が発生する。築古ビルでは壁面にビニルクロスや塗装が一般的に使われるが、これらの壁材も経年劣化により表面が荒れたり剥がれたりすることが多い。来訪者が壁に手をついたり、あるいは偶然何かがぶつかったりすることで、壁面には手垢や傷が付着しやすい。これらは新築ビルの場合であれば目立たずに済むが、築年数が長くなるにつれて素材の劣化が進み、表面が汚れを取り込みやすい状態となる。さらに、空気中の埃や油分、湿気などが壁面に付着し続けることで、表面の汚れが頑固な染みや汚れとして定着してしまう。
このような汚れが築古ビルにおいて特に目立つ理由は、汚れそのものの物理的な原因に加えて、「心理的」な印象にも起因する。築年数が経過したビルを訪れるテナントや入居希望者の視点では、建物の古さに対して敏感であり、小さな汚れや染みを無意識のうちに注視する傾向がある。築古物件に対してあらかじめ「清潔感に乏しいのではないか」という先入観を持っているため、実際に細かな汚れを目にすると、それを建物全体のイメージに直結させてしまうケースが多い。言い換えれば、物理的な汚れが心理的な「古さ」の印象を増幅してしまうのだ。
清掃を担当する現場スタッフの視点から見ても、日常的な作業だけでは対応しきれない汚れがあることは明白である。日常清掃では、決められた範囲を毎日掃き、拭き、整えるというルーチン業務が基本であり、共用部の床面やトイレ、階段、手すりなど、日々使用される場所を中心に淡々と作業が進められる。しかし、素材の奥にまで染み込んだ汚れや、石材や長尺シートの経年によるくすみ・変色に対しては、日常の清掃だけでは限界がある。
そのため、月次で実施する定期清掃が、美観維持の観点では重要な役割を果たす。たとえば、石材床のポリッシャー清掃は、日々の汚れではなく“蓄積された汚れ”に対応するための作業であり、施工後には床の見た目が明らかに明るく、清潔に見えるようになる。こうした月次クリーニングは、ビルの印象を支える下支えとなる作業であり、日常清掃とのセットで機能して初めて、全体の清掃品質が維持される。
結局のところ、築古ビルにおいて汚れが特に目立ちやすいのは、単に清掃が行き届いていないからではなく、日常の汚れが積み重なり、素材自体の劣化と結びついて「定着」してしまうという構造的な問題にある。だからこそ、日常清掃の基本的な水準を維持しつつ、定期的かつ専門的なクリーニングを計画的に実施することが、築古物件においては現実的な美観維持策となる。
こうした取り組みによって、「古さ」自体を取り除くことはできなくても、その印象を和らげ、入居検討者や既存テナントに対してポジティブな印象を与えることは可能となる。築古ビルの印象を左右するのは、単なる築年数ではなく、どのように維持・管理されているかという、日常と定期清掃が連携して生み出す“積み重ねの成果”なのである。
第3章:清掃で変化する築古ビルの第一印象─劇的改善より「静かな変容」
築古の賃貸オフィスビルが直面する課題として、建物の「古さ」そのものを劇的に変えることは難しい。そのため、ビルオーナーや管理会社が着目すべきポイントは、「古さを消すこと」ではなく、適切な清掃やメンテナンスを通じて「清潔感」という価値を改めて提供することである。ここでは具体的な清掃事例を挙げ、清掃が築古ビルにもたらした静かな変容について説明していく。
ある東京都心にある築32年の賃貸オフィスビルでは、長年の清掃管理が不十分であったため、共用廊下の床は全体的に黒ずみ、窓ガラスも曇りが目立つ状態であった。エントランスホールには経年によるくすみがあり、初めて訪れる人に対して古さや暗さというネガティブな印象を与えてしまっていた。このビルは立地が良く、賃料設定も比較的リーズナブルだったにもかかわらず、内覧後の成約率が低迷している状況だった。
管理会社は、築古ビルの印象改善にあたって、大規模なリノベーションや高額な設備更新を行うのではなく、まずは清掃の質を徹底的に見直す方針を取った。その一環として、日常清掃とは別途、月次の定期清掃において、エントランスや共用トイレなどの床面に対し、ポリッシャーを用いた洗浄作業を実施。長年蓄積した黒ずみが大幅に軽減され、床材が本来持っていた色味やツヤを取り戻す結果となった。
また、2ヶ月に1回の専門業者による窓ガラスの高所清掃も導入。特殊薬剤でガラスの水垢や蓄積汚れを徹底除去したところ、窓が本来の透明感を取り戻し、室内の明るさが格段に改善された。これによりテナントや内覧者から「清潔で明るい」とポジティブな評価が寄せられた。
興味深いことに、このビルの改善ポイントとして評価されたのは、築古であるにもかかわらず、「静かで落ち着いた清潔さ」が感じられるという点であった。つまり、「新品のような完璧さ」ではなく、「適度に古さを残したまま、丁寧な手入れが行き届いている」というバランスが評価されたのである。このことは、特に中小規模の築古オフィスビルにおいて重要なポイントである。
テナント企業や入居希望者は、築古物件に「新品のような美しさ」や「完璧な設備」を求めているわけではない。彼らが求めているのは、設備が古くても手入れが行き届いている安心感であり、落ち着いて仕事ができる環境である。その意味で、清掃という日常的な作業によって、「古さ」を「落ち着き」や「安心感」へと静かに変容させることは極めて有効な戦略となる。
第4章:実践的・築古ビル清掃の具体的な方法─プロが教えるポイント
ここでは、築古の賃貸オフィスビルの競争力向上につながる具体的な清掃方法を、実務的な視点からポイントごとに詳しく説明していく。特に入居希望者や内覧担当者が強く注目するエリアとして、「エントランスの床面研磨」「窓・サッシの徹底洗浄」「階段・手すりの日常清掃」「トイレ清掃のレベルアップ」の4つを挙げ、それぞれに効果的な方法を示したい。
①エントランスの床面研磨(ポリッシャー洗浄)
築古ビルのエントランスは建物の顔であり、テナントや内覧者が最も早く印象を受ける場所である。そのため、床面が黒ずみや傷で汚れていると、清潔感を大きく損ねることになる。これに対処するため、ポリッシャー洗浄を導入するのが効果的だ。
まず最初に床の表面に付着したゴミや砂埃を掃除機やホウキで丁寧に取り除く。その後、専用洗剤を散布し、ポリッシャーで表面を研磨しながら汚れを浮き上がらせる。汚水を回収後、水拭きをして完全に乾燥させることが重要である。
②窓・サッシの徹底洗浄
築古ビルでは窓ガラスやサッシに水垢や埃が付着し、くもった印象になりやすい。これを改善するには、市販のガラスクリーナーでの表面拭きだけでは不十分だ。専門的な清掃業者によるガラススクイージー(専用のガラス清掃道具)を使った徹底洗浄が求められる。
具体的には、まず専用のガラス用洗浄剤を窓全体に散布し、汚れを浮き上がらせる。次にガラススクイージーを一定方向に引き、余分な洗剤や水滴を丁寧に取り除いていく。この際、拭き跡が残らないよう、吸水性の高いマイクロファイバークロスを併用すると効果的である。窓サッシについても洗剤を含ませたブラシで細部まで丁寧に擦り、埃や汚れを落としてから水拭きをする。窓やサッシが綺麗になると自然光の入り方が明らかに改善し、室内の明るさと清潔感が増す。
③階段・手すりの日常清掃のレベルアップ
階段や手すりの清潔感も、テナントや来訪者が細かくチェックするポイントである。階段は日常的に汚れや砂埃が溜まりやすいため、毎日の清掃をルーチン化する必要がある。
具体的には、階段の隅に埃や砂が溜まりやすいため、ホウキや掃除機を使って毎日必ず除去する。週に数回は水拭きやモップで丁寧に拭き取ることで、埃がこびりつくことを防げる。手すりに関しても、毎日水拭きを行い、さらに週に一度は除菌剤を使用することで手垢による汚れや衛生面の不安を軽減することが可能である。
こうした日常清掃のレベルアップは決して難しい作業ではないが、習慣的に行うことで常に清潔な状態を保つことができる。結果として訪れた人に対して、管理が徹底されているという信頼感を与えることができる。
④トイレ清掃のレベルアップ(清潔感と衛生管理の徹底)
築古ビルにおいて最も不潔感が目立ちやすいのがトイレである。入居検討時の担当者は特にトイレの清掃状況を厳しく見るため、ここを集中的に管理することは非常に重要である。
まず便器や洗面台は毎日専用洗剤で清掃し、汚れや水垢を残さないように徹底する。特に便器内部はトイレ用ブラシで丁寧に洗浄し、黒ずみを予防する。トイレの床や壁も毎日拭き掃除を実施し、臭いや汚れの発生を防ぐことが大切だ。
さらに、トイレットペーパーやハンドソープなど消耗品が常に補充されている状態を保つことで、清潔で安心感のあるトイレ空間が維持できる。トイレが清潔であれば、築年数が経過している建物でもテナントからの印象は大幅に改善する。
以上、4つのポイントにおいて実務的な視点から具体的な清掃方法を説明してきた。これらの作業は、日常的な清掃の工夫と定期清掃、さらに専門業者の導入も組み合わせることで、築古ビルの清掃レベルを着実に向上させ、第一印象の改善に確実につなげることができるのである。
第5章:清掃をルーチン化する──築古ビルにおける日常と定期清掃の“維持力”
築古オフィスビルの価値を左右する要素の一つが「清潔感」である。特に共用部の状態は、テナント企業や内覧者にとって最も目に触れやすいポイントであり、ビルの管理品質を象徴する場でもある。そのため、日々の清掃業務に加えて、定期的な専門清掃までを含めたルーチンの仕組み化が求められる。
(1). 毎日の清掃業務(日常清掃)
日常清掃は、築古ビルの基本的な衛生環境を保つために不可欠な業務である。主に次のような作業が含まれる:
・エントランスホール・共用廊下・階段の床清掃
埃や砂などを掃き掃除または掃除機で除去したのち、モップ掛けや水拭きを行う。特に雨天時には泥汚れが広がるため、重点的な対応が必要となる。
・階段・手すりの拭き掃除
日常的に手が触れる箇所は、衛生面・印象面の両方から定期的な水拭き清掃が必要。
・共用トイレの清掃
便器、洗面台、鏡などを専用洗剤で清掃し、トイレットペーパーやハンドソープなどの備品を補充。
・ゴミ箱の回収・整理
こうした日常清掃は、チェックリスト形式での実施記録が推奨される。清掃スタッフが作業完了後に各項目を記録し、管理会社がその内容を随時確認することで、実施状況を可視化し、清掃品質の安定につながる。
(2). 月次の清掃業務(定期清掃)
日常清掃では対応しきれない蓄積汚れや素材のくすみに対しては、月次での定期清掃が有効である。主な作業内容は以下の通り:
・エントランス・共用廊下・洗面所・給湯室などの床のポリッシャー洗浄
ポリッシャーを使った床面洗浄により、表面の黒ずみや堆積汚れを除去。必要に応じてワックスを塗布することで、素材の保護とツヤ出しを兼ね、美観が回復する。
定期清掃は、年間スケジュールに基づき実施日をあらかじめ設定しておくことが望ましい。管理会社・清掃会社・必要に応じてテナントにも共有することで、スムーズな対応が可能になる。また、作業終了後には管理会社の担当者が仕上がりを確認し、記録として残す運用が推奨される。
(3). 高所窓ガラスの清掃(2ヶ月に1回程度)
ガラス面の汚れは、物件の第一印象を左右する重要な要素である。中小規模ビルであっても、複数階にまたがる窓面については、専門業者による高所作業での定期清掃(2ヶ月に1回程度)が必要となる。
この作業では、ロープアクセスや高所作業車を使用し、長年にわたって蓄積した水垢や汚れを、専用薬剤と技術によって丁寧に除去する。清掃前は曇っていたガラスも、作業後には透明感を取り戻し、自然光が十分に室内に差し込むようになる。
結果として、窓からの明るさや開放感が増し、内覧時の印象やテナントの満足度に大きく寄与する。外観・ファサードの清掃は、ビルの「顔」を整える作業として非常に効果が高い。
小さな積み重ねが、築古ビルの印象を変える
日常清掃・定期清掃・高所窓清掃といった複数の清掃メニューを組み合わせ、ルーチンとして確実に実施・記録・評価する体制が整えば、築年数という物理的な古さをカバーするだけの「清潔さ」「丁寧さ」が物件の印象として伝わるようになる。
結果として、「築年数は古いが、管理が行き届いていて安心できる」といった評価を得られやすくなり、内覧者の印象改善、テナントの定着率向上、空室期間の短縮といった効果が期待できる。
終章:清掃スタッフの静かな仕事─築古ビルを支える「見えない力」
定時、清掃スタッフはオフィスに戻ってくる。オフィスで働く人々の目に付かないように、ひっそりと、彼はいつものように掃除用具を取り出し、まずは床の掃き掃除から淡々と作業を始める。小さな砂埃や落ち葉、誰かが落としたであろう紙くずなどを集める。集めたゴミを回収した後は、モップを持ち替え、静かに床面を拭きあげていく。
この清掃作業自体は特別なものではなく、毎日繰り返される単純で地味な仕事である。清掃スタッフ自身も、その作業に特別な意味を見出しているわけではない。あくまで決められた業務を確実にこなしているだけである。床を掃き、拭き、トイレの清掃を行う。その作業に派手さはなく、誰かに褒められることもまずない。彼にとっての清掃は日々の習慣であり、繰り返しであり、淡々とした仕事であるに過ぎない。
しかし、この静かな仕事の積み重ねが、築古のオフィスビルを支える上で実は非常に重要であることを、彼自身はおそらく意識していない。彼の作業は単に汚れを取り除くという物理的な行為にとどまらない。彼が毎日床を丁寧に磨き、埃を取り去り、ガラスを拭き取ることで、このビルを訪れる人々が無意識に感じ取る「安心感」や「清潔感」が形成されるのだ。つまり、清掃作業という地味な行為が、心理的な要素となって訪問者や入居テナントに与える影響は非常に大きいのである。
テナントの担当者が内覧に訪れる際、彼らは決して清掃スタッフの姿には気付かないだろう。だが、彼らは間違いなくその仕事の成果を感じ取っている。掃除の行き届いたエントランスホールや窓の透明感、丁寧に磨かれた手すりや床を目にすることで、彼らは自然とビルの管理状態を肯定的に評価する。これは表面的には些細なことだが、築古ビルにとっては極めて重要な価値である。
清掃スタッフは、毎日壁に残った染みや床に刻まれた靴跡、ガラスについた水垢に向き合いながら、自分が作業を進めることによって、わずかずつでも状況が改善されていくことを知っている。もちろん、一日で完全に綺麗にすることはできない。築古ビルの汚れは、それだけ時間が深く刻まれているからである。しかし、彼は決して焦らず、その積み重なった汚れに根気強く向き合い、少しずつでも改善していくことを目指している。そこには劇的な変化はないが、確実な静かな変容がある。
清掃という仕事には派手な結果や即効性のある変化はない。しかし、彼が日々の作業を続けることで、ビル全体には確実に好影響がもたらされる。彼の仕事は、目立つことも評価されることもないが、築古ビルの持続可能な競争力を支える上では欠かすことができない存在となっているのである。
築年数が経過したオフィスビルにとって、この日々の清掃作業は決して軽視できない重要な意味を持つ。ビルという空間は時間とともに古くなり、その古さは汚れとして視覚化されている。清掃は、その蓄積した「時間」を静かにリセットし、「空間」を再定義していく作業であると言えるだろう。
こうした見方は一見抽象的に思えるかもしれないが、実際の賃貸市場においては極めて現実的な意味を持っている。内覧者やテナントは無意識のうちにビルの清潔感を「管理状態」や「安心感」の尺度として評価している。日々行われる地味で淡々とした清掃作業は、まさにこの無意識の評価に直結しているのだ。清掃によって古びた空間が再び明るさや清潔さを取り戻すことで、テナントはその空間に新しい可能性を感じるようになるのである。
作業時間内で行われる清掃作業は、その日の汚れを丁寧に取り除き、翌日のための準備を静かに整える。この行為を日々繰り返すことで、古びたビルは少しずつだが確実に再生される。特別な魔法など存在しない。ただ清掃スタッフの静かな作業が、日常という時間の流れを整え、空間を再定義し、再び価値あるものへと回復させているだけなのだ。
やがて清掃スタッフは本日の作業を終え、静かに掃除用具を片付ける。エントランスホールは整然とした静かな空気に包まれ、床は再び清潔感を取り戻し、窓ガラスは西日の柔らかな光を透過している。特に誰から感謝されるわけでもなく、彼はただ静かに帰途につく。だが、この日々の静かな仕事の積み重ねがあるからこそ、築古のオフィスビルは再び価値を見出し、活力を取り戻すことができるのだという事実を、私たちはもっと意識すべきだろう。
彼の仕事はまさに、このビルを陰ながら支える「見えない力」なのである。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2025年11月27日執筆