築古オフィスビルにありがちな設備クレーム対応術―ビル管理者が押さえるべき要点:後編
皆さん、こんにちは。
株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事は「築古オフィスビルにありがちな設備クレーム対応術―ビル管理者が押さえるべき要点:後編」のタイトルで、2025年12月18日に執筆しています。
「築古オフィスビルにありがちな設備クレーム対応術―ビル管理者が押さえるべき要点:前編」に引き続いて、今回、後編をお送りします。
少しでも、皆様のお役に立てる記事にできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめに
築30年を超えるビルでは、空調・給排水・電気・昇降機といったライフライン系設備の故障頻度が急激に高まります。実際に不動産管理会社200名への調査では「故障が多い設備」のトップがエアコン36%、次いで給湯器30%、水道25.5%と“水と空気”を支えるインフラが上位を独占しました。
出典:GMO賃貸DX編集部による独自アンケート「故障が多いと思う設備」(2021年/不動産管理業従事者200名対象)
こうしたトラブルはテナントの事業継続と満足度に直結します。夏場の空調停止は室温の上昇だけでなく熱中症リスクを招き、エレベーターの長期停止は高層階テナントの移転検討を誘発しかねません。ビル管理会社の調査でも「故障・トラブルへの対応の速さ」は5点満点中4.2と評価が高く、迅速対応が信頼維持の生命線であることが裏付けられています。
出典:平成ビルディング「お客さま満足度調査2024年度」
経営面への影響も深刻です。ザイマックス総研のオーナー調査では「築古に伴う修繕費の増加」を不安視する声が72%で最多となり、「賃料下落64%」「空室増加62%」を大きく上回りました。さらに2024年調査では、66%のオーナーが「支出が増えた」と回答し、修繕費・資本的支出については6割超が増加を実感しています。資材高騰と人件費上昇が重なれば、突発的な故障対応がキャッシュフローを一気に圧迫するリスクは無視できません。
出典:ザイマックス総研「ビルオーナーの実態調査2025①」
本コラムでは、こうした“築古オフィスビルの宿命”とも言える設備クレームを〈発生源×緊急度〉で整理し、原因究明からテナント・コミュニケーション、応急処置と恒久改修の費用対効果、外注先マネジメント、データドリブンな予防保全までを体系的に解説します。読み終えたときには
・優先順位の誤りを防ぐ判断軸
・テナント満足度と修繕コストを同時に最適化する実務ノウハウ
・老朽設備を抱えたままでも“選ばれるビル”を維持する戦略的視点
を手に入れられるはずです。
前編では、「いざという時どう動くか」に焦点を当てて、設備トラブルの初動対応や判断基準、テナント対応の基本などを整理してきました。
後編は、そこから一歩進んで「その対応力をどう支えるか」に目を向けていきます。
第5章からは、外注先との役割分担の整理、予防保全の考え方、情報の見える化、マニュアル整備といった、実務の仕組みづくりにフォーカスしていきます。
5.外注先マネジメントと「責任分界点」の設定
設備クレーム対応を円滑に進めるためには、ビル管理会社や設備専門業者などの外注先との連携体制を整えることが欠かせません。
ところが実際の現場では、「どこまでを管理会社が対応し、どこからを外注先の専門業者に任せるのか」が曖昧になっていることも少なくありません。
その結果として、対応の遅れ・二重手配・責任のなすり合いといったトラブルが起きることも。
本章では、こうした行き違いを防ぎ、外注先と信頼ある連携関係を築くための実務上の工夫と整理方法を解説します。
(1)なぜ「責任分界点」の明確化が必要か?
責任分界点とは、ビルの設備トラブルが起きた際に「どこまでが自社(ビル管理者)の責任」で、「どこからが外注業者の責任か」を明確に示した境界線のことです。
例えば、エレベーターの故障対応を例にとると、
●管理会社の責任範囲
トラブル発生の受付、一次対応(状況確認、利用停止措置、テナントへの周知)
●外注先の専門業者の責任範囲
技術的な原因究明、修理作業、部品交換などの二次対応
というように、業務の切り分けをあらかじめ決めておきます。
この線引きを曖昧にしたままだと、「管理会社は外注業者任せ」「外注業者は管理会社待ち」という無駄な待ち時間が発生し、初動が大幅に遅れるリスクがあります。責任分界点を明確に設定しておけば、トラブル発生時に迷わず役割分担ができ、迅速な対応が可能になります。
(2)実務で役立つ責任分界点の具体例
実際の現場では、以下のように責任分界点を設定するとスムーズです。
| 設備カテゴリ | 管理会社(自社)の責任範囲 | 外注業者の責任範囲 |
|---|---|---|
| 空調設備 | 初動確認・運転再起動・冷暖房仮設機手配 | 冷媒補充、部品交換、恒久修理 |
| 給排水設備 | 一次止水措置・漏水状況確認・被害拡大防止 | 配管補修・バルブ交換・ポンプの修理交換 |
| 電気設備 | ブレーカー復旧・応急的な仮設配線 | 配電盤改修・漏電箇所特定と修理 |
| 昇降機設備 | 停止措置・利用者誘導・状況確認 | 閉じ込め救出作業・点検修理・部品交換 |
| ICT設備 | 再起動・通信会社への一次連絡 | 配線修理・機器の交換・通信障害の根本調査 |
このような表を管理室や共有フォルダに掲示・保存し、定期的に見直すことで、初任担当者でも迷わず対応できる体制が整います。
また、外注先との契約書や仕様書に明記することまではできなくても、「運用上の目安」として合意しておくことで、現場の混乱を抑えることができます。
(3)外注業者との“期待値のすり合わせ”をしておく
中小規模の築古ビルでは、対応時間や復旧スピードを数値で規定するSLAのような契約を明確に交わすケースは多くありません。
それでも、「緊急時はどのくらいで来てもらえるか」「夜間・休日の対応体制はどうなっているか」といった基本的な期待値を、日頃から言葉で共有しておくことがとても重要です。
たとえば、下記のようなポイントを口頭やメールで確認・整理しておくと、トラブル時に判断が早くなります。
・「原則○時間以内には到着できるか?」
・「夜間・休日でもつながる連絡先はあるか?」
・「応急処置で済むケースと、恒久修理が必要なケースの切り分け方法」
・「修理の可否が現場で即断できるか、メーカー確認が必要か」
こうした内容を簡単な備忘録や共有メモとして残しておくだけでも、属人化のリスクが減り、判断スピードが上がります。
まとめ:「責任の見える化」がチーム対応力を高める
外注先とのマネジメントで最も大切なのは、「お互いが何をどこまでやるか」の線引きを、暗黙の了解にしないことです。
築古ビルだからこそ、人任せにしない“仕組みとしての対応力”が求められるのです。
次章では、こうした対応力を日常的に高めていくための、「予防保全とデータの活用」について詳しく掘り下げていきます。
6.予防保全を「データドリブン」で最適化する
築古オフィスビルにおける設備トラブルは、対応の「速さ」だけでなく、「そもそも未然に防げるかどうか」が大きな差になります。
突発的な故障や緊急対応が頻発すると、テナント満足度や更新率に影響が出るだけでなく、修繕費の平準化も難しくなります。
こうした背景から、近年ではBEMS(ビルエネルギー管理システム)やIoTセンサーを活用した“予兆保全”という考え方が注目されています。
こうした技術的手法が今後の保全手段として有効な可能性があると考え、当社においても検討中です。ここでは代表的な仕組みと実務的な検討視点をご紹介します。
(1)IoTによる予兆保全:トラブルを“起きる前”に見つける
IoT機器を活用した予防保全では、空調やポンプ、昇降機といった設備に後付けでセンサーを取り付け、稼働データ(温度、振動、電流など)を常時取得・蓄積。
異常傾向が検知されると、早期対応が可能になるという考え方です。
代表的な技術サービス例(メーカー事例に基づく):
・空調機器:冷媒圧力や電流値の変化を監視し、コンプレッサー故障前に検知
・給水ポンプ/モーター:振動センサーで異常振動を把握、部品の摩耗を推定
・昇降機制御部:モーターの電流パターンや制御系の応答遅れから不具合の兆候を検知
こうした仕組みが構築されていれば、実際に停止・故障が起きる前に「計画停止・早期対応」が可能になり、緊急対応のコストや手間を抑えられるとされています。
(2)BEMSの活用と保全KPIの考え方
BEMSは本来、電気・空調などのエネルギー使用を把握・管理するための仕組みですが、そのログデータは予兆保全にも応用可能です。
実際に一部の大規模ビルでは、AIで異常挙動を解析し、機器の負荷や性能低下を早期に抽出するシステムが運用されています。
参考事例(大林組などの公表資料より):
・空調の電力消費パターンから冷却塔ファンの不具合兆候を検出
・フィルター詰まりを推定し、性能低下前に清掃
・長期データから設備の異常傾向を「スコア化」して運用判断
当社ではこうしたBEMS運用やAI解析体制は導入していませんが、中長期的に省エネと安定稼働を両立させる方策として、こうした先進事例に学ぶ姿勢は持っておくべきと考えています。
(3)KPI管理という視点(考え方の参考)
予防保全の効果を“なんとなくの印象”ではなく、数値で検証・改善につなげる手法として、KPI(重要業績指標)の設定があります。以下は一般的に使われるKPIの一例です。
| KPI項目 | 意義 | 改善の指標例 |
|---|---|---|
| 設備稼働率(アップタイム) | 稼働の安定性 | 計画停止の活用で稼働率99%以上へ |
| 故障/クレーム件数 | 再発予防 | 空調系のクレーム件数が半減 |
| 平均修理時間(MTTR) | 対応スピード | 初動連絡や部品備蓄で短縮 |
| 維持コスト/設備 | コスト平準化 | 緊急出動費が減り、年次計画化へ |
| テナント満足度(設備面) | 更新率に直結 | 定期点検と早期対応で不満率低下 |
現状ではここまでの数値管理をシステム化していませんが、今後の設備管理体制の改善を考える際の“参考軸”として有用な考え方です。
(4)導入のハードルと段階的な対応策
もちろん、こうした仕組みをすぐに取り入れられるわけではありません。そこには築古物件ならではの“導入障壁”も存在しています。以下ではそれらの課題と、現場で可能な現実的なアプローチについて見ていきます。
❶築古オフィスビル特有のハードル
①既設設備にセンサーが付いていない
築古オフィスビルの多くは、設計当初からIoTやセンサー実装を想定しておらず、運転データを取得する機構そのものがありません。
例)空調機に電流計がない、ポンプに温度計がない、エレベーターにモニタリング端末がついていない、など。
②BEMSが導入されておらず、ログが一切蓄積されていない
BEMSは省エネ観点で導入されるケースが多く、築古オフィスビルでは未導入が一般的。したがって、「どの設備がいつ、どれくらい動いていたか」という情報が残っていない状態です。
③データ分析スキルが現場にない/管理会社が対応できない
たとえセンサーを導入しても、「そのデータを誰が見て、どう判断するのか」が曖昧だと、システムが“宝の持ち腐れ”になります。とくに中小規模の管理現場では、読み解き・活用の人材が不在という課題があります。
④導入コストや予算確保のハードル
オーナーが費用対効果に懐疑的だったり、既に限られた修繕予算が割り当てられていたりすると、“実績がないと稟議が通らない”という悪循環に陥りがちです。
❷現実的な解決アプローチ:小さく始めて成果を見せる
これらの課題に対しては、「すべてを一気にやろう」とせず、小さな実装→効果検証→段階的拡大というステップで取り組むことが重要です。
●後付けセンサーの活用
「センサーがないなら、後付けする」というのが最もシンプルな解決策です。
現在は、既存設備に簡単に取り付けられる後付け型IoTセンサーが充実しており、数万円レベルから導入可能です。
例:
・電流センサー:空調機やポンプの過負荷を検知
・温度・振動センサー:ポンプ・モーター・昇降機の劣化予兆を検知
・水漏れセンサー:給排水設備周辺に設置し、漏水時に通知
・エレベーターのドア開閉回数センサー:異常挙動の兆候を検出
センサーは電源不要なバッテリー式や、無線通信型もあり、配線工事が困難な築古オフィスビルでも対応可能です。
●異常兆候がある機器だけにクラウド遠隔監視サービスの限定的な導入
センサーで取得したデータを可視化・アラート管理するには、月額制のSaaS型クラウド監視ツールが便利です。
これは、専門業者がデータを常時モニターしてくれるため、管理会社側の人手や分析スキルが不足していても運用可能です。
例:
・空調の稼働ログに異常あり→異常をメール通知→管理者が判断or修理手配
・監視データはレポート化され、KPIや予防保全履歴としてエビデンス化される
導入初期は月額数万円で始められ、緊急対応件数が減ることで中長期的には修繕コストの平準化につながるケースも多いです。
●段階導入+トライアルから始める
「いきなり全館導入」ではなく、まずはトラブルが頻発している設備や、リスクが高い設備に絞って始めるのが現実的です。
ステップ例:
①空調機2台だけに電流センサー+クラウド監視を導入
②月次レポートで負荷変動や故障兆候を確認
③効果を確認したらポンプ・昇降機へ拡大
このように、「一部から試す」「成果を見せて広げる」という戦略ならば、現場の負担を最小限に抑えつつ、「やってみて分かること」、「改善すべきこと」を共有しながら検討しつつ進めることができます。
まとめ:「まずは情報収集と選択肢の整理から」
予兆保全の技術や仕組みは、現時点では多くの中小規模・築古ビルにとって、“現実味が薄い”と感じられる場面も少なくありません。
しかし一方で、「突発トラブルが減ることで、対応がしやすくなる」「クレームが起きにくくなる」といった効果が期待できる仕組みであることも事実です。
今すぐ導入を進める段階ではないとしても、
・こうした仕組みがどのように機能するのか
・同規模他社ではどのように検討・活用されているのか
・自社で取り入れるなら、どこから始めるのが現実的か
といった観点で情報を整理し、導入の優先順位を検討しておくことは、将来的な判断や業務改善の下地になります。
実際、「データで察知し、先手を打つ」という予防的アプローチが機能すれば、
・緊急対応の発生頻度が減り、
・テナントの安心感が高まり、
・修繕費の見通しも立てやすくなり、
・担当者も“後追い対応”ではなく、“戦略的な運用”に時間を使えるようになります。
情報を持ち、いつでも動ける状態をつくっておくこと。
それ自体が、築古ビルにおける「予防保全力」の第一歩だといえるでしょう。
7.ケーススタディ:実際のクレーム対応から学ぶ
設備クレームの実務対応には、マニュアル化されたフローだけでは対応しきれない現場特有の判断力と対応力が求められます。
本章では、築古オフィスビルで実際に発生した設備トラブルの中から典型的な3ケースを取り上げ、
・発生の背景
・初動対応の工夫
・恒久的な対策
そこから得られた教訓を詳細に解説します。
Case1:空調停止がテナント移転リスクに発展
状況:
築30年を超えるオフィスビルにおいて、8月の猛暑日にビル東側フロアの空調機が故障。室温が35度近くまで上昇し、テナント社員から「暑くて業務ができない」とのクレームが集中。原因は老朽化した空調機のコンプレッサーの停止でした。
初動対応:
管理スタッフはすぐに現場を巡回して謝罪し、スポットクーラーや扇風機を緊急手配。並行して保守業者を手配し、到着後の点検でコンプレッサー故障と確定。即日中に仮設の代替冷房を設置し、テナントには「夕方までに一時復旧を目指します」と報告・実行。
恒久対策:
翌週末に本格的な部品交換を実施し、恒久復旧。テナントには「今後は同型空調機も含めて順次更新していく」との説明を行い、信頼回復を図った。
教訓:
真夏の空調停止は最も緊急度・重要度の高いトラブルのひとつであり、対応の遅れはテナントの退去リスクに直結する。
本件では、迅速な応急処置とテナントへの丁寧な説明により、最悪の事態は回避できたが、老朽化の兆候を放置していたことが根本原因であり、季節前点検と消耗部品の先行更新の重要性が浮き彫りとなった。
Case2:ガス漏れと安全対応
状況:
築40年の雑居ビルに入居する飲食店より、「厨房でガス臭がする」との通報。営業中に発生したため、火災や中毒への不安が拡がった。現場確認により、厨房のガス配管からの微小な漏洩が確認された。
初動対応:
管理会社は即時出動し、ガスの元栓を閉めて避難誘導を実施。ガス会社の緊急対応班を呼び、30分以内に現場到着。漏洩箇所は接続部の腐食であると判明し、即日配管交換を実施。該当店舗はその夜の営業を休止。
恒久対策:
ビル全体でガス配管の総点検を実施。接続部品の交換とあわせて、ガス漏れ警報器の追加設置を行い、さらにテナント向けガス使用マニュアルと啓発資料を配布。
教訓:
人的被害こそ回避できたものの、ガス漏れは人命リスクを伴う重大インシデント。老朽化したインフラに対する計画的な予防保全と、テナントとの情報共有・教育体制の整備が求められる。また、通報→出動→遮断の初動が迅速だったことで、被害を最小限に抑えられた好事例でもある。
Case3:エレベーター停止・閉じ込めによる業務影響
状況:
築35年の8階建てビルで、営業中にエレベーターが突然停止。乗客が閉じ込められる事故が発生し、複数テナントから「業務に支障が出ている」「荷物搬送ができない」との苦情が集中。原因は制御基板の故障だったが、交換部品の入手に数日を要した。
初動対応:
管理会社は保守業者へ即連絡。技術者が到着し、乗客の救出に成功(閉じ込め時間:約20分)。
その後、修理には数日を要することが判明したため、「復旧見込み:◯日予定」と書面掲示とメール通知で周知。管理会社は各テナントに対し荷物搬送や接客対応の代替支援を実施。
恒久対策:
同形式のエレベーター制御盤を全棟調査し、交換部品の事前確保・代替輸送手段の確保(荷物用昇降機や非常階段の改善)をマニュアルに反映。保守契約についても、24時間対応の契約内容への見直しを検討中。
教訓:
エレベーターは“止まってはいけない設備”の代表格。復旧見込みの明示や、定期点検だけでなく「事前備品確保」や「代替動線設計」などのBCP的視点が必要。また、テナントからの「営業補償」や「賃料減額」要請に発展するリスクを考慮し、法的・契約的整理も今後の課題。
総まとめ:3つのケースが教えてくれるもの
これらのケーススタディは、以下の共通した実務的示唆を与えてくれます。
| 教訓 | 解説 |
|---|---|
| 初動対応の迅速性 | 状況確認・一次遮断・専門業者手配・テナント説明をいかに早く行えるかが信頼維持の分水嶺になる |
| テナントとの継続的コミュニケーション | 見通し・進捗・再発防止策の3点をセットで説明し、誠実な姿勢を見せることが、心理的不満の抑制につながる |
| 予防保全の重要性 | 老朽化した設備はいつか必ず“壊れる”。事前更新とトラブル傾向のデータ管理こそが最も効果的なリスク対応 |
| マニュアル・BCP体制の整備 | クレーム対応のたびにノウハウを蓄積し、手順化することで、組織的対応力が向上する |
8.すぐに使えるチェックリスト&テンプレート集
設備クレーム対応を確実・効率的に行うためには、現場でそのまま使えるチェックリストやテンプレートの整備が欠かせません。
属人化しがちな対応を「誰がやっても一定の品質で回せる」ように標準化することで、対応漏れの防止、初動の迅速化、組織全体の対応力強化につながります。
この章では、実際のビル管理現場で即活用できる代表的なツールとその運用法、さらに導入のメリットや更新のコツまで解説します。
(1)日常点検チェックリスト──“気付き”がトラブルを未然に防ぐ
築古オフィスビルにおいては、「異常が起きてから対応する」のではなく、「小さな異変に早く気付く」ことが重要です。
そのためには、項目が網羅されたチェックリストを活用し、定期的に点検・記録する仕組みが不可欠です。
チェックリスト例(空調設備):
・異音・異臭がしないか
・フィルターの目詰まりがないか
・吹出口に風量のムラがないか
・冷媒配管に霜・結露が見られないか
・コントローラーの誤表示がないか
運用ポイント:
・最低月1回は記録を残す
・異常が見つかった項目には「対応要否」も記載
・写真添付可能なスマホアプリやExcel化で共有性を高める
日々のルーティン点検をチェックリスト化して習慣にすることで、重大トラブルの予兆を早期に発見できます。
(2)クレーム受付シート──誰でも正確なヒアリングができる
夜間や休日にトラブル連絡が入った場合、電話を受けたのが警備員や当直者など非専門職であることも多く、聞き漏れ・記録漏れが課題になります。
その解決策が、「聞くべき項目を並べた受付シート」です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生日時 | 〇年〇月〇日〇時〇分 |
| 発生場所 | 〇階〇号室/共用部(例:男子トイレ) |
| 内容概要 | 「空調が効かない」「異臭がする」など |
| テナント希望対応 | 「すぐ見てほしい」「明日対応でOK」など |
| 通報者名・連絡先 | 社員名・携帯番号など |
| 現場の安全性 | ガス漏れ/水漏れ/感電リスクの有無確認 |
クレーム受付シートがあれば、非専門の担当でも確実に必要情報を取得でき、後工程の引き継ぎもスムーズです。
(3)緊急対応フローチャート──初動の混乱をなくす「地図」
クレーム発生時に「まず何を確認するか」「誰に連絡するか」が明確になっていないと、初動が遅れ、被害が拡大するおそれがあります。
そうした場面では視覚的に分かりやすい「フローチャート形式の初動マニュアル」が有効です。
例:漏水発生時の初動対応フロー
①現場で安全確認(感電・階下漏水等の危険)
↓
②止水弁の閉鎖→応急措置(バケツ設置・タオル巻き)
↓
③テナントへ一次連絡+状況説明(いつ対応予定か)
↓
④業者へ連絡・到着予定確認
↓
⑤写真撮影・受付シート記入→管理会社・オーナーへ報告
このように、「どんなときに、誰が、何をするか」がひと目で分かる構成にすることで、現場の不安を軽減できます。
(4)事後報告書テンプレート──「説明責任」を果たすために
クレーム対応が終わった後に、オーナーやテナントへ経緯・原因・対策を報告する必要があります。
フォーマットが統一されていれば、報告品質のバラつきもなくなります。
標準構成:
【概要】発生日時・場所・事象の要約
【原因】点検・修理結果を踏まえた分析(写真付きが望ましい)
【初動対応】応急処置や現場での判断・連絡履歴
【恒久対策】今後の対応・再発防止策
【周知状況】テナント/オーナー/関係業者への説明有無と手段
【添付資料】写真・点検票・業者報告書など
この報告書は社内レビュー用(技術的詳細含む)と、社外共有用(簡潔な文体・平易な表現)で分けて用意しておくと便利です。
(5)年間予防保全スケジュール──“壊れる前”に計画的対応を
突発トラブルの多くは、「いつかやろう」と後回しにしていた予防点検・改修を逃した結果です。
それを防ぐには、あらかじめ設備ごとの保全スケジュールを立て、年単位で管理することが有効です。
| 月 | 保全項目 | 内容 | 担当 |
|---|---|---|---|
| 4月 | 空調設備の試運転 | 夏季稼働前点検 | 管理会社+空調業者 |
| 6月 | 給排水設備点検 | 水漏れ・ポンプ圧チェック | 配管業者 |
| 9月 | 照明器具・非常灯交換 | 老朽LED更新 | 電気業者 |
| 11月 | エレベーター保守 | 制御基板チェック・潤滑 | 昇降機メーカー |
| 通年 | 巡回点検 | チェックリスト対応 | 日常管理 |
このようにスケジュールを事前に組むことで、「忙しくてできなかった」という属人的な抜けを防ぎます。
(6)テンプレート活用のメリットと運用のコツ
導入のメリット:
対応漏れの防止:誰がやっても必要な項目をカバー
初動スピードの向上:判断に迷わず、行動が早くなる
説明責任の確保:記録が残ることで報告対応も万全
品質の平準化:経験の浅いスタッフでも一定水準の対応が可能
実務運用のコツ:
現場で実際に使ってみて、使い勝手を確認
定期的にアップデート(毎回の対応後に「次に活かす」工夫を追記)
紙・Excel・クラウドのハイブリッドで共有
新人教育に活用し、OJT+テンプレで戦力化を早める
まとめ:チェックリストとテンプレートは“実務知の結晶”
築古オフィスビルの設備管理は、人に依存せず、対応の質を組織的に担保する仕組みが求められます。
チェックリストやテンプレートはその最たるものであり、日々の点検から緊急対応・再発防止までを一貫して支える実務ツールです。
・見逃しをなくす
・行動を標準化する
・対応を見える化する
この3つの効果を最大限に活かすことで、築古オフィスビルの“クレームに強い現場”づくりが実現します。
9.現場知を組織知に──マニュアルと教育体制の整備
築古オフィスビルの設備クレーム対応は、どうしても属人的になりがちです。
「●●さんがいたから対応できた」「あの人がいなければ判断できなかった」──。
このような状態では、担当者の異動や外注先の変更などで対応力が著しく低下するリスクがあります。
だからこそ、これまで見てきた実践ノウハウやツールをマニュアル化し、組織全体で共有できる仕組み=“組織知”として定着させることが不可欠です。
(1)クレーム対応マニュアルの整備──“経験則”を“再現可能な手順”に
マニュアル化の第一歩は、「現場で実際に行われている対応フローを可視化すること」です。
たとえば、空調トラブル対応であれば、以下のような構成で整理できます。
構成例:「空調トラブル発生時の対応マニュアル」
【初動対応】
・受付内容の確認項目(気温・範囲・時間帯など)
・テナント第一報フォーマット
・初期確認・仮対応手順(換気・スポットクーラー等)
【技術対応】
・業者連絡先・契約内容の整理(緊急対応の可否)
・点検依頼書・履歴の記録様式
・仮復旧策とその判断基準
【事後対応】
・復旧完了報告テンプレート(社内・テナント別)
・写真の撮り方・文書への添付ルール
・再発防止策の検討フロー(5Why分析等)
このように一連の対応プロセスを「誰でも」「迷わず」「漏れなく」再現できる形に整備することが、現場力の底上げにつながります。
(2)ローカルナレッジを活かす──“設備ごとの個性”を記録に残す
築古オフィスビルでは、各設備に現場特有のクセや注意点(=ローカルナレッジ)があるのが常です。
・「ここのボイラーは冬場の立ち上がりが遅い」
・「東側フロアは日当たりで温度ムラが出やすい」
・「3階の給水ポンプだけ異音が出やすい」
こうした情報は経験者の頭の中にあるだけでは、“暗黙知”のままで再現性がなく、離職と同時に消えてしまいます。
✅対応策:
・設備ごとの“注意点メモ”を台帳に一元管理
・月次会議やインシデントレビューで「今回の学び」を共有
・トラブル発生→報告書作成→マニュアルへの反映というPDCAサイクルを明文化
地味な蓄積ですが、これが“このビルに詳しい人がいなくても回る”状態を作る鍵になります。
(3)教育体制の整備──「OJT任せ」からの脱却
現場教育が先輩のOJT頼みになっていると、対応レベルは属人化し、質もバラつきます。
そこで、あらかじめ定型化された教育カリキュラムを整備することが重要です。
| 時間 | 内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 1日目午前 | 築古オフィスビルの設備構成と代表的トラブル | 講義+点検動画視聴 |
| 1日目午後 | チェックリスト実習 | 実地巡回形式 |
| 2日目午前 | 緊急対応フローと通報訓練 | ロールプレイ方式 |
| 2日目午後 | クレーム報告書の書き方 | 実例を使った演習 |
| 3日目 | ケーススタディ発表 | グループ討議+改善提案 |
また、年1回の振り返り研修や、テンプレート更新の共有会などを通じて、現場と本部・外注先が同じ温度感を持てるようにすることも大切です。
(4)ナレッジを「更新可能な形」で残す
せっかく作ったマニュアルも、1年放置すれば陳腐化してしまいます。
・使用中止された設備
・廃番になった部品
・新しい業者や契約先への変更
・法改正による対応義務の変化
こうした変更をタイムリーに反映できる体制=ナレッジマネジメント体制が必要です。
更新を滞らせないコツ:
・担当者を“更新責任者”として指定
・毎月のクレーム件数報告と一緒に「テンプレ更新要否」の確認欄を設ける
・マニュアル管理用のGoogleDriveやNotionなどのクラウド運用を基本とする
「実際の現場で使えるナレッジ」を「誰でも、いつでも取り出せる形」に整えることで、管理品質のばらつきを防ぎ、長期的な運営安定につながります。
まとめ:仕組みで人を支え、知見を積み重ねる
築古オフィスビルのクレーム対応は、知識・経験・対応力のすべてが問われる難しい領域です。だからこそ、そのノウハウを属人化させず、組織で共有し、更新できる仕組みが必要です。
●マニュアル化=誰でも再現できる対応力
●ナレッジ蓄積=設備特有のクセを共有
●教育体制=OJTだけに頼らない人材育成
●定期更新=マニュアルを“死蔵”させない工夫
この4つを備えた管理体制を築けば、築古オフィスビルでも安定した品質でクレームを抑止・対応できる現場が実現します。
最終章
本コラムでは、築古オフィスビルにおける設備クレーム対応を「単なるトラブル対応」ではなく、テナント満足度と資産価値を守る“経営戦略”として捉える視点から、全9章にわたって実務的な方法論を整理してきました。
最終章では、ここまでの議論を振り返りながら、築古オフィスビル管理者・オーナーが実践すべき本質的な考え方を再整理します。
(1)設備クレームは“見えない価値”の喪失につながる
設備クレームが発生すると、目に見える修繕費用だけでなく、
・テナントの業務機会損失
・担当者の心理的ストレス
・他テナントへの悪印象の伝播
といった定量化しにくい損失が広がります。
そしてそれが続けば、やがて「ここでは長く借りられない」という印象が定着し、空室リスクや賃料減額交渉、更新拒否といった経営課題に発展します。
すなわち、設備クレームへの対応力は、ビルの“目に見えない信頼価値”を守るための根幹だといえます。
(2)「備えるビル」が選ばれる時代へ
老朽化は止められませんが、トラブルへの備え方は変えられます。
本コラムで取り上げた対応フレーム、点検チェックリスト、予防保全、テンプレート活用、マニュアル整備といった一連の手法は、どれも築古オフィスビルでも“すぐ始められる改善”ばかりです。
ポイントは、「壊れるのを待ってから動く」のではなく、
・兆候を見逃さない
・対応を定型化して迷わない
・状況を共有して誠意を伝える
・記録を残して次に活かす
という地道なPDCAを、全員で回していける体制を整えることにあります。
(3)設備クレーム対応力は“賃貸経営の強さ”を示す
設備が壊れないビルはありません。
しかし、「壊れたときにどう対応するか」で、テナントの信頼・満足度・継続意向が決まります。
逆に言えば、クレームを通して管理体制の成熟度が問われるということです。
そして、その体制を支えるのが、これまで見てきたようなチェックリスト・対応フロー・テンプレート・KPI・教育マニュアルといった仕組みの質です。
こうした運用の積み重ねが、結果として
・空室率の低下
・入居期間の長期化
・「信頼できるビル」としての評判
を生み出し、築古オフィスビルでも“選ばれる存在”になることが可能です。
(4)最後に:クレーム対応は、資産価値を守る「最前線」
設備クレーム対応というテーマは、一見すると後ろ向きな「消極的業務」に見えるかもしれません。
しかし実際には、これほどまでにテナントとの信頼関係や、ビルそのものの価値に直結する業務は他にありません。
・一件一件の対応を通じて、「このビルは信頼できる」と思わせる
・「困ったときの対応力」こそが、築古オフィスビルに求められる最大の差別化要素
それを可能にするのが、「現場の経験知」を「誰でも実践できる仕組み」に落とし込むマネジメント力です。
設備は古くても、「対応力」は新しくできる。
それこそが、築古オフィスビルにおける“最大の価値再生策”だと言えるのではないでしょうか。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2025年12月18日執筆