築古の賃貸オフィスビルにおける“水回りの整え方”再考―どこを、どう整えるか―
皆さん、こんにちは。
株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事は「築古の賃貸オフィスビルにおける“水回りの整え方”再考―どこを、どう整えるか」のタイトルで、2026年1月8日に執筆しています。
少しでも、皆様にお役に立てる記事にできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめに
「内見はトイレで決まる」という言葉を、築古賃貸オフィスビルのビル管理会社の担当者なら一度は耳にしたことがあるだろう。正直に言えば、賃貸オフィスを選ぶ企業がトイレや給湯室といった水回り設備を、なぜそこまで重視するのか、と思った経験もあるのではないだろうか。
しかし、現場の実情は驚くほどシンプルだ。
「立地は申し分ない、坪単価も魅力的、レイアウトも悪くない。でも、水回りがちょっと…」
築30年以上の賃貸オフィスビルを案内するリーシング営業担当者から、このような声が後を絶たない。
内見に来た企業の担当者が眉をひそめる瞬間を見逃さず、その後の意思決定に大きな影響を与えているのが「水回りの第一印象」なのである。
オーナーにとって水回りは、どちらかと言えばコストや手間ばかりが目につく箇所という印象だ。老朽化した便器、独特の空気感、薄暗く古びた給湯室……日常的な清掃の手間や、突発的な不具合対応の煩雑さに、頭を悩ませることも少なくない。
だが、こうした「なんとなくどんよりした」水回り空間は、内見者にとってもまた、ビル全体の印象を静かに下げる要因となっている。そしてその場面で、多くの内見者が無意識に求めているのは、派手な演出や高級感ではない。
重要なのは、視覚的・感覚的に、瞬時に不快感がないと判断できる状態――つまり「機能的清潔感」である。
空間の用途に対して、無理のないかたちで整備されていて、使うことに何のストレスもない。そのように整えるだけで、水回りは印象を下げない空間として機能する。
本コラムでは、築古の賃貸オフィスビルにおける水回り――とりわけ、トイレと給湯室に焦点をあてる。単なる老朽化設備としてではなく、整え方そのものがビルの信頼性を左右する空間として捉え直し、実務の視点から考える。
以下の観点を通して、水回り整備の本質に迫っていく
- なぜ、今あらためて水回りが問われるのか?
- 単なるリフォームの検討で見落とされがちな、整備と対応体制の設計とは?
- 「どこを、どこまで整えるか」を判断する基準は、どう持つべきか?
テナントにとって、水回りは日常的に使われる場所でありながら、最も素の状態があらわれる空間でもある。整っていて当然と思われている空間がゆえに、ほんの少し乱れているだけで、「このビル、大丈夫かな」という印象に変わってしまう。
逆に言えば、派手な演出ではなく、考え抜かれた整え方ができているかどうか――そこにこそ、築古の賃貸オフィスビルの実力がにじみ出る。
設備を入れ替えるかどうかよりも、その整備方針をどう考え、どう現場に落とし込んでいるか。
「水回りで決まる」とは、そうした実務の積み重ねと正面から向き合うことなのかもしれない。
このコラムでは、その具体的な視点と整備の考え方を、整理していく。
第1章:水回り設備が築古の賃貸オフィスビルの意思決定を左右する理由
「立地・坪単価・広さ」だけでは決まらない
築古の賃貸オフィスビルのオーナーにとって、テナントに選ばれるか否かは死活問題だ。そのため、多くの場合、オーナーは立地条件や坪単価の競争力、または内装の見栄えといったポイントに注力しがちである。実際、マーケットにおいてこれらが重要なファクターであることに異論を唱える人はほとんどいないだろう。
しかし、実務的には「条件はすべてクリアしているはずなのに、なぜか決まらない」というケースが少なくない。その際、営業担当者や管理会社が現場で頻繁に遭遇する落とし穴が、水回りである。特にトイレと給湯室は、物件内見時のわずか数秒でテナントの判断を左右してしまう。
内見担当者が水回りに「過敏な反応」を示す理由
では、なぜテナント企業の担当者は、わずかな内見時間でそれほどまでに水回りの印象を重視するのだろうか?その理由は心理学的・行動経済学的な視点からも説明できる。
人間は本能的に、衛生面での嫌悪感を強く持っている。清潔さや衛生状態に関する直感は、生存本能に根ざした深い心理的反応であり、ロジカルな意思決定よりもはるかに瞬間的かつ感情的なレベルで行われてしまうのである。
トイレや給湯室のくすんで、古ぼけた感じが与える直感的な嫌悪感は、その後に見る部屋や設備がいかに優れていても、簡単には払拭できない負の印象を生んでしまう。内見後に意思決定プロセスが進むにつれて、担当者の頭の中には「トイレが古い・キレイではない」という負のイメージが無意識に残り続ける。
つまり、築古の賃貸オフィスビルの内見では、水回りの印象が決定的な影響を与える瞬間が存在するのである。
意思決定プロセスにおける「瞬間的判断」の力
テナント企業が物件を選ぶプロセスは、必ずしも論理的かつ合理的な判断だけで成り立つわけではない。むしろ、「直感的判断(First Impression)」によって方向性がある程度固まり、その後、合理的にその判断を補強する情報を探す、というプロセスで決定される場合が多い。
実際のテナント意思決定においても、内見後の社内会議などで物件評価が行われる際、「何となくトイレがキレイではなかった」という理由は明確なマイナス材料となり、後に「管理体制が不安」「社員の不満につながる」などの合理的理由付けがされるケースが多い。
これは行動経済学で言うところの「後知恵バイアス(Hindsight Bias)」とも関連している。人間は直感的に嫌悪感を感じた後、その感覚を正当化するために論理的な理由を後付けする傾向がある。水回りのネガティブな印象は、こうした心理的バイアスによって簡単に強化され、意思決定を覆すほどの力を持ってしまうのである。
築古の賃貸オフィスビルが抱える水回りの構造的課題
築古の賃貸オフィスビルにおいて、内見時の印象形成で最も弱さが出やすいのが水回りだ。築年数を重ねるにつれて、配管設備の老朽化、給排水性能の低下、防水処理の劣化、そして湿気による影響など、構造的な問題が次々と表面化してくる。
多くのオーナー/管理会社は、表面的なリフォームで対応しようとするが、大抵の場合、これらの問題は表面的な対処法では解決しない。築古の賃貸オフィスビルにおいて効果をもたらす水回りの改善とは、「瞬間的に感じられる清潔感」=「機能的清潔感」を追求することである。
「機能的清潔感」という視点の導入
築古の賃貸オフィスビルの水回りをどう整えるか――これは、表面的なキレイさを演出することとは少し違う。
本コラムで扱う「機能的清潔感」とは、テナントにとって「使ううえで不安や嫌悪を感じない状態」を、過度な投資を伴わずに実現する整備のあり方である。
便器やシンクの形状が多少古くても、床や排水口まわりが適切に清掃され、違和感なく使える状態に保たれていれば、内見者はそこで判断を止めてくれる。
逆に、見た目を取り繕っても、日常的な清掃・管理が甘ければ、「このビルは大丈夫だろうか?」という不信感につながってしまう。
水回りがきちんと整っていると、それだけで信頼感が生まれる。
つまり、「この空間はきちんと扱われている」という印象が、無意識のうちに伝わってくるからだ。そして、人は目に見える部分が整っていれば、見えない部分もきちんと管理されているはずだと感じるものだから。
今後の章では、そうした「機能的清潔感」をどう実務に落とし込むか――その際、どこまでをやるべきで、どこからはやらなくてよいのか。
現場感のある判断のヒントを、できるだけ具体的に整理していく。
第2章:「機能的清潔感」とは何か―表層的なリフォームからの脱却
「キレイに見せる」と「清潔感」は違う
築古の賃貸オフィスビルのオーナー/管理会社が陥りがちな失敗の典型が、表面的な装飾や部分的な見た目のリフォームだけで内見評価を改善しようとすることだ。
例えば、古いトイレの壁紙を明るい色に変えたり、手洗い周りにデザイン性の高い照明やアートパネルを設置したりするなどの方法がよく見られる。確かに、内見時の第一印象としては一見「オシャレ」「キレイ」という評価を得る場合もあるかもしれない。
しかし、こうした改善策の多くは、内見後の意思決定を好転させることにはつながりにくい。テナント企業が重視する「清潔感」とは、整えた美観にではなく、「日常的に問題なく使えるという安心感」と共にあって、毎日の「適切な維持管理」によって保たれるものだからだ。
見た目だけ整えても、日々の清掃や、トラブル時の迅速な対応力がなければ、テナント側はそのことを敏感に感じ取り、逆に「作られた清潔感」に違和感を覚えるようになる。
表層的な改善が心理的に逆効果となる理由
実務的に重要なのは、内見時の第一印象が持続する「深い納得感」を持っていることだ。人間の認知プロセスは、初見の印象が後の評価を強く方向付ける傾向にあるが、同時に「本質的でない装飾」には非常に敏感である。
心理学において「認知的不協和(Cognitive Dissonance)」と呼ばれる状態がある。これは、見た目の印象(キレイ)と実際の状態(古い・使いづらい)にギャップがある場合、そのギャップ自体が不快感を増幅させるという現象である。
トイレや給湯室において表面的な改善を施しても、日常清掃や管理体制がおざなりになっていると、この「認知的不協和」が生じ、内見時にマイナスの心理状態をかえって増幅させてしまうリスクが高まるのだ。
「機能的清潔感」という視点の重要性
このコラムで提唱する「機能的清潔感」とは、「日常的な維持管理によって自然に保たれる、実務的かつ現実的な清潔感」のことを指す。
それは、表面的な外観を取り繕うことで生まれるものではなく、実務的に言えば、以下のような「管理やメンテナンスがしやすい状態」をつくることを意味している。
- ・日常的に問題が起こらないよう、清掃、管理が行き届いている
- ・トラブルが発生した場合でも、迅速かつスムーズな対応ができる体制が整備されている
このように、「機能的清潔感」とは単に表面的にキレイに見せることではなく、日々の清掃、管理とトラブル対応の仕組みまで含めて整備された状態を指すのである。
第3章:築古ビルの水回りは「対応力」で決まる―トイレと給湯室の実務評価軸
「古い=汚い」と思われないために必要なこと
築古の賃貸オフィスビルでは、水回り、とりわけトイレに対する内見者の目は厳しい。一方で、給湯室はあまり目立たない存在ではあるが、「日常的に使われる場所」として、整っていて当然とみなされやすい。
つまり、見られ方に違いはあっても、いずれも同じ基準で判断されている。
きちんと清掃されているか、そしてトラブル時にすぐ対応できる体制があるか。
水回りの評価を左右するのは、この管理の姿勢に尽きる。
本章では、築古の賃貸オフィスビルにおける水回りの評価を大きく左右する実務的な対応力について、具体的な視点で整理していく。
①清掃体制が整っていれば、水回りは嫌われない
内見時に、もし万が一、水回りで「臭いが気になった」「床が汚れていた」と感じたとしたら、後から、なにをしたとしても、その印象を拭うことは難しい。だが、適切な清掃体制と頻度が確保されていれば、そもそも問題は起こり得ない。
実務的な現場感覚から言えば、トイレや給湯室の不具合の多くは、清掃不足に起因する。
築年数が半世紀を過ぎた飲食雑居ビルじゃあるまいし、排水トラップが正常に機能していれば、下水の臭いが逆流することはまずない。施設面の不備で臭いが問題になることはあり得ない。
トイレの便器や床、洗面周り、給湯室のシンクの汚れ・水アカが目につくとしたら、100%、日常清掃の不徹底を意味するだけである。
したがって、「古いから清潔に見えない」のではなく、「清掃が足りていないから不潔に見える」という認識が重要だ。
実務ポイント
- ・日次・週次での清掃範囲と手順の明確化(壁・床・便器・シンクまわり等)
- ・清掃チェックリストの導入と巡回点検の仕組み化
- ・内見前のスポット清掃(最低でも床・手洗い・便器・シンク周辺)
②詰まり・水漏れ等のトラブルへの即応体制が信頼につながる
築古の賃貸オフィスビルでの水回りトラブルのあるあるが、トイレの詰まりと、給湯室を含む水漏れだ。どちらも「いつか起きるもの」として、起きた際にいかにスムーズに対応できるかが、テナント満足度に直結する。
トイレの詰まりの実態
詰まりの原因は、便器の問題ではなく、配管内部に長年蓄積した尿石などによる通水断面の狭まりが多い。とくに築古の賃貸オフィスビルでは、配管自体の経年劣化も相まって、詰まりやすい傾向がある。
対応としては、次のような段階的対応が現場では一般的だ:
- 一次対応:ビル管理会社の社員が、ラバーカップ(すっぽん)で解消できるかを確認
- 二次対応:業者を手配し、薬剤やトーラー(ワイヤー)での貫通作業。更に、対応をエスカレートする必要がある場合のみ、高圧洗浄を実施
便器を交換したとしても、配管がそのままなら再発は避けられない。詰まり対策は日常管理+トラブル即応体制の整備が基本である。
水漏れトラブルへの備え
水漏れの主因は、トイレ、給湯室に共通しているが、配管接続部のパッキン劣化によるもの。数百円~数千円程度の部材交換で対応可能なケースが大半だ。
だが、対応が遅れると下階への漏水など大きな損失に発展するリスクがあるため、初期対応力と業者との連携体制が鍵になる。
実務ポイント:
- ・ビル管理会社の社員が一次対応(ラバーカップ/止水確認)を担える体制整備
- ・トラブル発生時の連絡・対応フローを掲示・マニュアル化
- ・提携業者と「即日対応」の関係性を構築しておく
③設備更新は「印象を変える切り札」として戦略的に使う
便器・洗面台・シンクなど水回りの設備更新、内装素材の更新は、「劇的に印象を変える手段」である。ただし、これは清掃とトラブル対応という管理体制の基盤が整った上で初めて効果を発揮する。
更新の判断基準は、「清掃しても古さの印象が払拭できないか」に尽きる。
古いピンクの便器、黄ばみの取れない洗面台、曇ったままのシンクなど、清掃ではどうしようもない状態のとき、更新=印象刷新という意味で効果を発揮することがありえる。
空室募集の内見での第一印象を重視する場合や、バリューアップの一環として賃料水準を引き上げようとするのであれば、そうした水回りの刷新は象徴的なサインとして効果的である。ただし、そうした設備更新はあくまで最後の一手として冷静に判断するべきである。
✦ミニコラム
オフィスの「水回り」は、共用部でありながら、もっとも“個人的な”場所かもしれない
トイレや給湯室は、あくまで共用部の一部として、ビル側が用意し、管理する空間である。区画ごとに間仕切られた専用部のオフィスとは異なり、それ自体が賃貸契約上でも専用部とは扱いが区別されている。
ところが、そうした制度上の取り扱いとは裏腹に、実際のオフィスで働くテナント従業員にとって、この水回り空間は、
同僚との会話も、視線のやり取りも、意識しなくて済む。
個室の扉を閉じるあの数分だけは、自分の時間に戻れる。
それが共用部であることなど、日々の使用者にとっては関係ない。
給湯室は、もう少し開かれた、しかしやはりオフィスの
マグカップをすすぐ音、ポットの湯気、漂うコーヒーの香り。
ここでは、たとえば別部署の社員とたまたま会って交わす一言が、業務とは関係のない雑談になったりする。
「ここ、寒いですよね」とか、「あの会議長かったですね」とか。
その会話は、Slackにも議事録にも残らないが、たしかに職場の空気をつくっている。
つまり、給湯室はオフィスの
こうした水回りの空間性は、オーナー/管理会社側が直接コントロールできるものではない。
だが一方で、その空間が整っているか、整っていないか――それだけで、テナントの従業員が感じる「職場としての快適さ」には差が出てしまう。
「汚れていないこと」「トラブルが起きてもすぐ直ること」は、実務的な信頼の土台だ。
だが、それだけではない。
この空間の持つ
第4章:「どこまで整えるべきか」――築古の賃貸オフィスビルの水回り改善における実務的判断軸
「水回りをきれいにすれば、決まるのか?」
築古の賃貸オフィスビルの空室が長期化しているとき、オーナー/管理担当者のあいだでよく話題に上るのが「水回りの刷新」である。
「トイレを新しくすれば印象が変わるのではないか」「給湯室を改装したら空室が埋まるかもしれない」――こうした相談を受ける機会は少なくない。
たしかに、水回りは日常的に使われ、かつ印象に直結する空間だ。そこに手を入れることで反応が変わることもあるだろう。
しかし実際には、「整っていなくても決まる」こともあれば、「整えても決まらない」こともある。
つまり、水回りの整備にはやるべきこととやらなくていいことの線引きが必要であり、その判断を誤ると、投下コスト倒れに終わる危険もある。
この章では、築古の賃貸オフィスビルにおける水回り改善について、何をどこまで整えるべきかという判断の順序と軸を整理する。
清掃とトラブル対応こそが「やるべきこと」
水回りに関して、まず確認すべきは「清掃が行き届いているか」「トラブル時の対応が整っているか」である。
この2点は、整備の基本であると同時に、評価の前提条件でもある。
言い換えれば、どれだけ設備が新しくても、清掃が甘ければ意味はなく、対応が遅ければ信頼は得られない。
逆に、多少古くても、「整っている印象」が生まれているならば、更新せずとも十分に評価されうる。
水回りに関しては、この基本動作だけで印象が改善する余地が大いにあることを、まず押さえておくべきだ。
設備更新は「整え方の最後の一手」として冷静に判断する
一方で、設備更新が避けられないケースもたしかに存在する。
清掃しても取れない黄ばみや水垢、明らかに古さが目立つ陶器の色味や金物の劣化など――こうした状況では、「整っている」という評価自体が成立しないこともある。
特に以下のような状態であれば、更新を検討する意味が出てくる:
- ・ピンクやアイボリーの古い便器・洗面台が視覚的に目を引く
- ・鏡や流し台がくすみ、どう清掃しても古びた感じが残る
- ・清掃や補修では印象が改善しないと、現場でも判断されている
こうしたケースでは、設備更新=印象刷新の切り札として機能する可能性がある。
ただしそれも、日常の清掃・点検・対応体制が整っていることを前提とした話であり、それなしに改修だけを行っても、効果は、ほとんど望めない。
「設備更新すれば埋まる」とは限らないという現実
ここで重要なのは、設備更新をしたとしても、テナントが埋まらない物件が現実に存在するという事実だ。
テナントがなかなか決まらない状況に焦ったオーナーが、打開策として水回りに手を入れる――そんな場面は少なくない。
だが、その結果として劇的に反応が変わるかといえば、そうとは限らない。
そもそも、テナントの判断軸は水回りだけにあるわけではない。
更新に踏み切るなら、どこをどう整えるのかという方針を明確にし、戦略的に取り組むべきだ。
設備更新の資金負担と“踏み切るか”の判断材料
以下は、設備更新を検討する際の概算支出額の目安である。
これを参考に、「費用をかけるに見合うだけの判断ができているか」を自問しておくべきだ。
※以下は、当社が手掛けた場合、オフィス用途としては最高級のブランド・イメージを確立せんと改装した場合の目安であり、個別条件によって変動あり。
| 項目 | 概算費用(税抜) | 備考 |
|---|---|---|
| 便器の交換(1基) | 40〜50万円 | 撤去・廃材処分含む |
| 洗面台の交換(1台) | 30〜40万円 | 特注デザイン仕様 (配管接続・鏡含む場合は上昇) |
| 流し台の交換(給湯室・1台) | 50〜70万円 | 特注デザイン仕様 (既存撤去・壁面補修あり) |
| 内装改修(床・壁・天井) | 5〜10万円/坪 | 材質・範囲により変動 |
このように、「印象を変えるための更新投資」を行うにはそれなりの資金負担を伴う。
期待された効果がリーシング等において目に見えて発揮されなかった場合等、これらの投資支出の回収において不確実性を伴うことについては常に留意が必要である。
だからこそ、踏み切るかどうかは、状況を見極め、反応を観察しながら慎重に判断するべき領域である。
まとめ:築古の賃貸オフィスビルの水回り整備は、「順番」を間違えないこと
築古の賃貸オフィスビルにおいて、水回りはたしかにテナントの印象に影響を与える空間だ。
ただし、それは「見映えがいいかどうか」ではなく、清潔に保たれ、日常的にきちんと機能しているかどうか――つまり機能的清潔感によって評価される。
だからこそ、清掃や簡易な補修といった基本的な整備対応が不十分なまま、いきなり設備更新に踏み切っても、本質的な改善にはつながらない。
まずは、今ある人員や管理体制の中で、どこまで整えられるのかを突き詰めるべきだ。
それでもなお、「自分たちの整え方として更新が必要だ」と判断できるかどうか――そこが、次の一手を決める本質である。
設備更新は、印象を上げるための手段ではあっても、それだけが目的ではない。
整える順番を間違えないこと。
そこにこそ、築古の賃貸オフィスビル運営のリアリティと戦略が宿る。
第5章:「整っている」ことの次へ―水回り整備に“判断の軸”はあるか?
「清掃してきちんとしている」だけでは足りない時代に
今どき、築古の賃貸オフィスビルであっても、トイレや給湯室の手入れがまったく手入れされていないような物件はほとんど見られない。
きちんと定期清掃が入り、基本的な日常管理がされていれば、表面的な汚れや破損は一定水準で抑えられている。水回り整備の評価ポイントは、「やってあるかどうか」ではありえなくて、「どう整えているか」という側面へと移ってきている。
ただし、この「どう整えているか」という視点は、単なる清掃のオペレーション・レベルを意味するものではない。
清掃や日常管理に始まり、修繕、さらには設備更新まで含めて、
どこを・どの水準まで整えるのか、そしてどのタイミングで更新に踏み切るのか――
こうした水回り整備に対する考え方や判断の積み重ねが、最終的には物件全体の印象としてテナントに伝わっていく。
大切なのは、いま目の前の水回りが「整っているか」ではなく、「どんな方針で整えているのか」。
その違いが、築古の賃貸オフィスビルにおいて選ばれる理由になる可能性は、たしかに存在している。
「整備の水準」ではなく、「整備の設計思想」が印象を決める
たとえば、トイレの床材が傷んできたときに、それを張り替えるべきか、清掃で様子を見るか。
便器の形状が古くなってきたが、まだ機能的には問題がないとき、更新すべきかどうか。
給湯室の流し台がくすんできたが、使える状態ではある場合、それをどう判断するのか。
こうした場面では、「整っている/いない」という二択では答えが出ない。
大切なのは、それらの判断に一貫した考え方や優先順位があるかどうかである。
- ・どこにコストをかけ、どこを割り切るのか
- ・何を維持の対象とし、何を更新の対象とするのか
- ・整備の方針は、物件全体の印象とどう連動しているのか
こうした設計思想があれば、水回りの整え方は判断の積み重ねとして明確になってくる。
そしてその積み重ねは、テナントの受ける印象にも、静かににじみ出ていく。
整備の判断が「場当たり」になっていないか?
築古の賃貸オフィスビルの水回り整備において最も避けたいのは、方針のない場当たりの対応である。
たとえば
- ・便器が割れたから、そこだけ最新型に交換
- ・クレームが出たから、特定の箇所だけ照明をLED化
- ・担当者が替わったから、内装テイストが急に変わった
個別の判断としてはどれも妥当性があると言えるかもしれない。だが、こうした整備が全体として「何を目指しているのか」が見えない場合、結果として雑然とした印象に流れていくリスクがある。
そして、そうした整え方の不一致や整備のちぐはぐさは、テナント側に無意識の違和感として伝わってしまう。
「ちゃんと整えようとしている」感覚が持てない空間に、テナントが従業員を安心して送り込めるはずがない。
整え方に「方針」があるビルは、印象がブレない
整え方に「方針」があるビルは、印象がブレない
評価の高い築古の賃貸オフィスビルでは、水回りの整備ひとつ取っても、運営の中に一貫した方針が感じられる。
たとえば、次のような姿勢が典型的だ。
- ・設備の交換までは行わないが、清掃と軽微な補修は徹底する
- ・更新を行う際は、色や素材、意匠を他の空間と調和させる
- ・派手な演出は避けるが、放置感や使いづらさは決して残さない
こうしたどこまで手を入れるかという線引きが明確に設計されている物件は、内見者や入居者の目にも「印象がブレない」と映る。
そして何より、「このビルは、きちんと考えて運営されている」と感じさせる空気がにじむ。
それは、設備が新しいかどうか、デザインが凝っているかどうかといった表面的な話とは、まったく別の次元の信頼感だ。
まとめ:「整っている」は、あくまで手段である
水回りを整えるという行為は、それ自体が目的ではない。
本来は、テナントに不快感を与えず、安心して使ってもらうための手段である。
だからこそ重要なのは、「何のために整えるのか」を言語化できていること。
そして、その目的に照らして、一つひとつの判断が組み立てられていること――。
これが、「整え方に判断の軸がある状態」だと言える。
整え方に一貫性があるかどうか。
その違いは、最終的に「このビルに入って大丈夫かどうか」という、テナント側の根本的な信頼判断に影響してくる。
つまり、「水回りで勝てるかどうか」とは、単に見た目を整える話ではない。
“整える”という行為に、筋が通っているかどうか――その姿勢そのものが問われている。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2026年1月8日執筆