旧耐震ビルの賃貸経営をあきらめない ――中小規模オフィスオーナーのためのリスク管理と活路
皆さん、こんにちは。
株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事は「旧耐震ビルの賃貸経営をあきらめない──中小規模オフィスオーナーのためのリスク管理と活路」のタイトルで、2026年2月19に改訂しました。
少しでも、皆様のお役に立てる記事にできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめに
突然ではありますが、あなたの保有している賃貸オフィスビルは「旧耐震基準」で建てられたものではないでしょうか。1981年以前の耐震基準(いわゆる「旧耐震」)で設計・施工された建物は、日本各地にまだ多く存在しています。
「旧耐震ビルのリスクはなんとなく知っている。でも、使えているうちはこのままでいいのではないか?」
こう考えるビルオーナーは、実は少なくないのです。すでに建物の減価償却が終わっていて、毎月の賃料収入がほぼ「実入り」となっている状況であれば、わざわざ大きな投資をしてまで建替えや耐震補強を行わなくても、今のところは利益が出ているため、決断を先延ばしにするのも自然な流れなのかもしれません。
しかし、耐震基準が古いということは、地震大国である日本において見過ごせない問題と言えましょう。大地震が発生したとき、倒壊や大規模な損傷が生じるリスクが高く、万一の際にはテナントにも大きな被害が及びかねません。近年では、テナント企業が賃貸オフィスビルを選ぶ際、BCP(Business Continuity Plan)の観点から建物の耐震性能を重視する傾向も強まっています。結果的に、旧耐震の賃貸オフィスビルはテナント募集の際の選択肢から外されやすくなっているのです。
さらに、あなたのビルの周辺には新耐震基準の下、制震・免震構造を備えた新しいビルが増えています。賃料や立地条件が同程度であれば、「安全かつ設備が備わったビル」を選ぶテナントが大半でしょう。古いビルであるがゆえに空室リスクが高まるうえ、大地震のニュースが流れた直後などは、一時的にでも解約を検討する動きが出るかもしれません。
とはいえ、旧耐震ビルに「全面的な耐震補強」を実施するのは、コスト面でも建物形状の面でも簡単ではありません。オフィスフロアの基準面積が100坪以下など比較的コンパクトな建物ほど、耐震壁やブレースの増設が執務スペースを大きく圧迫してしまい、窓を塞いでしまうようなケースも出てきます。テナントからすれば、使い勝手が悪く見栄えも損なわれるため、魅力が下がる懸念があるでしょう。
こうした状況下で、多くのビルオーナーが「建替えしかないのか、それとも改修でしのぐべきか」と頭を悩ませています。実際、大規模な改修や建替えには多額の資金調達が必要ですし、仮にそこまで踏み切ったとしても、ビル経営的にペイするかどうかは不透明です。そのため、結局は“現状維持”を選択してしまうケースも少なくありません。
しかし、建物の老朽化は待ってはくれません。耐震性の不安だけでなく、設備・配管・内装など、多方面の劣化が進むことで、想定外の修繕費用が急に発生したり、突然のトラブルでテナントからクレームが増えたりするなど、オーナーとしての負担は後々一段と大きくなる恐れがあります。
そこで、本コラムでは、そうした問題を抱える旧耐震の中小型賃貸オフィスビルのオーナーを対象に、以下の点を中心に解説していきます。
- 旧耐震ビルが抱えるリスクと、賃貸オフィス市場での評価が下がる背景
- 実際に耐震補強を行う場合に生じる課題と、メリット・デメリットの整理
- 大規模改修・建替え・売却などの意思決定を迫られたときの考え方
- プロパティマネジメント(PM)やビルメンテナンス(BM)導入の具体的意義とメリット
- 事例紹介を通じた、収益改善や資産価値向上につなげるためのヒント
これから、このコラムでご紹介しようとしているPM/BMは、「オーナーが管理業務の多くを専門家に委託し、不動産経営を最適化するための仕組み」です。単に清掃や警備を外注するビル管理業務(BM)だけでなく、テナント誘致や契約管理、修繕計画立案などを総合的に担うプロパティマネジメント(PM)を活用することで、オーナー自身が把握しきれていない建物の価値を引き出したり、将来のリスクに備えることが可能になります。特に小規模ビルでは、オーナーが自分ひとりで全てを運営管理しているケースが多いため、専門知識や時間的リソースがどうしても不足しがちです。PM/BM導入により、そうした弱点を補い、最終的に建替えや売却を検討する際にも、視野を広げた判断ができるようになります。
本コラムは、建替えや売却を当然として推奨するわけではありません。むしろ、「旧耐震ビルに耐震補強を施す」という一見まっとうに思える選択肢が、本当に得策かどうかを改めて考えてみる必要がある、という問題提起をしたいのです。そして、その検討過程においてこそ、PM/BMの活用が大いに役立つはずであると考えています。
もし、このコラムを読んでいるあなたが「うちは旧耐震だけど、まあ大丈夫だろう」と漠然と考えているのであれば、ぜひ最後までお付き合いください。建物の将来について早めに情報を集め、必要に応じた対策をとることで、結果的に余計なコストやリスクを大幅に削減できる可能性があります。なにより、“決断しないまま時が経って、いよいよどうしようもなくなる”という事態だけは避けたいところです。費用面のハードルや工事時期の問題など、悩みは尽きないかもしれませんが、本コラムの内容が少しでもヒントになれば幸いです。
それでは、次章からは本題に入りましょう。まずは「旧耐震ビルとは何か」という基本的な定義やリスクを改めて整理し、現状を正確に把握することから始めていきたいと思います。
第1章:旧耐震ビルとは何か
旧耐震ビルとは、1981年以前の耐震基準(いわゆる「旧耐震基準」)で設計・施工された建物のことを指します。日本においては、1950年に制定された建築基準法の改正に伴い、幾度か耐震設計に関する規定が強化されてきました。その転換点となったのが、1981年6月1日に施行された新耐震設計法規です。この新基準以降に建てられた建物を「新耐震」、それより前の基準をもとに建築された建物を「旧耐震」と呼び分けています。
1-1.旧耐震基準と新耐震基準の違い
そもそも、なぜ1981年という年が大きな区切りなのでしょうか。それは、1978年に発生した宮城県沖地震での被害を踏まえ、建物が「倒壊しないため」に必要な耐震強度を再検証し、耐震設計の方法が大幅に見直されたためです。新耐震基準では、主に以下のようなポイントが強化されました。
- 設計用地震力の見直し
地震発生時に建物に作用すると想定される水平力(地震力)の想定値を見直し、より大きな地震を想定して構造計算を行うようにした。
- 靭性設計の導入
建物の構造部材や接合部が、ある程度の変形に耐えうるように設計する考え方。これにより、大地震が起きてもすぐに崩壊せず、人命被害を防ぐことを重視。
- 施工精度・品質管理の強化
単に設計段階だけでなく、施工段階のコンクリート強度や鉄筋のかぶり厚さ(鉄筋を覆うコンクリートの厚み)などの品質もより厳しく求めるようにした。
一方、旧耐震基準は「中規模地震で倒壊しない程度」というおおまかな基準で、現行の新耐震基準ほどの詳細な検討や品質管理が行われていない場合が多いのです。その結果、旧耐震基準で建てられたビルは「大きな地震が発生すると、倒壊または重大な損傷のリスクが高い」と見なされています。
1-2.旧耐震ビルが抱えるリスク
旧耐震ビルは、単に“古い”というだけでなく、構造的・物理的にリスクをはらんでいます。代表的なものを挙げると、次のとおりです。
(1)地震による倒壊・大損傷のリスク
耐震強度が不足しているため、大地震の発生時に建物が部分的に崩落したり、大きく傾くおそれが高まります。建物が万一倒壊すると、テナントの事業継続はもちろん、人命に関わる非常事態になり得ます。
(2)テナント募集時のネガティブ要因
テナント企業の安全意識やBCPが浸透している昨今、旧耐震というだけで敬遠される場面が増えています。特に、社会的信用を重視するテナント(金融機関やIT企業など)は耐震性能を重視する傾向が強いです。結果的に空室が埋まらない、賃料を下げざるを得ない、という悪循環が起きやすいのです。
(3)資産価値の下落
建物の評価額は、耐震性や築年数、建物グレードなど多角的に評価されます。旧耐震ビルの場合、いくら立地が良くても、耐震リスクや老朽化の懸念で資産価値が低く見積もられることが多々あります。賃貸オフィス市場のトレンドも加味すれば、将来的に売却を検討する際、想定よりもはるかに安い価格が提示される可能性があります。
(4)今後の法改正や行政指導リスク
地震防災対策や都市計画の観点から、行政が段階的に耐震化の基準を引き上げる方向にあることは周知の事実です。既に、一部の公共施設や大規模建築物には、耐震診断や補強実施の義務化が進んでいます。今後、基準がさらに厳しくなる可能性はゼロではなく、行政からの指導や是正命令が下るリスクも想定されます。
1-3.中小型賃貸オフィスビル特有の状況
賃貸オフィスビルと一言でいっても、大規模なタワービルから数十坪規模の小型ビルまでさまざまです。ここで注目したいのが、オフィスフロアの基準面積100坪以下の中小規模ビルに固有の“制約”です。
旧耐震の議論は耐震性能だけに目が行きがちですが、中小規模のビル特有の意思決定を難しくする要因があるので、以下、説明します。
(1)建物の構造上、改修工事の物理的な影響が大きく収支が悪化するリスク
大規模ビルに比べてスペースの余裕が少なく、耐震補強を施そうとすると執務スペースを侵食しやすいのが現実です。窓を塞ぐ、ブレースが張り出す、動線が崩れる――こうした変化を以て、普通、耐震補強後、賃貸オフィスが貸しづらくなり、収支が悪化するリスクも想定されます。
耐震補強の検討にあたっては「構造の正しさ」だけでなく、以下のポイントについても確認・評価します。
- 耐震補強後に貸室がどれだけ減るか(㎡/坪)
- 採光・レイアウト自由度がどれだけ落ちるか
- 工事中の退去誘発リスク(騒音・振動・工期)
(2)テナントも小規模・零細だと共倒れになるリスク
中小規模の賃貸オフィスには、地元の小規模・零細な企業/個人事務所が入居しがちです。対応余力が乏しく、移転が先延ばしになりがちだったりします。
オーナー側から見ると「なんとなく使い続けてもらえる」点は安心とも思えるのですが、問題が先送りされて、共倒れになるリスクには留意しておく必要があります。
(3)ビル経営が属人化して、「意思決定」が正しく行われないリスク
中小規模の賃貸ビルほど、ビルオーナーが一人で運営判断を背負っているケースも多く見受けられます。結果として、修繕判断が行き当たりバッタリになり、ビル経営の観点に鑑みると、問題が放置され易い状況が起こりがちです。
ビルオーナーが自ら、状況を「見える化」して、整理することができないようであれば、PM/BMを使って、運営をオーナー個人から切り離すことが現実解なのかもしれません。
1-4.旧耐震ビル数の現状データ
東京23区における旧耐震オフィスビルの割合
東京23区内で賃貸オフィスとして利用されている建物のうち、1981年以前の旧耐震基準で建てられたビルは、おおむね全体の2割前後を占めると推計されています。
中小規模ビルほど旧耐震率が高い
オフィスビル全体の傾向を、規模別に見てみます。
大規模オフィスビル(延床5,000坪以上)に比べて、延床5,000坪未満の中小規模ビルは旧耐震が多く残っている傾向にあります。
ザイマックス総研の「東京オフィスピラミッド2025」によると、旧耐震基準のビルの割合が大規模ビルで12%だったのに対し、中小規模ビルでは22%に上っています。
都心部で大規模再開発が進んだ結果、比較的大きなビルの建替えや耐震補強は先行して行われてきた一方、中小規模のオフィスビルについては、更新が遅れがちな状況が数字でも見てとれます。
耐震化は進んでいるが、「未達が残る領域」もはっきりある
東京都が公表している「特定緊急輸送道路沿道建築物」(条例により旧耐震の耐震診断が義務付けられる領域)では、旧耐震建築物のうち改修済等で耐震性を満たす割合は57.3%(令和6年12月末)にとどまり、4割強は未達という状況です。
また国交省資料では、耐震診断義務付け対象建築物(全国)について、2024年3月末時点の耐震化率は約72%と整理され、耐震性不十分な建築物が残っていることも示されています。
結論:旧耐震は“もう少しで消える在庫”ではなく、当面残る前提で経営判断が必要
東京23区でも旧耐震の在庫は、延床300坪以上の範囲に限っても2,000棟規模で残っています。つまり「古いから仕方ない」で流せる話ではなく、募集・改修・管理体制・出口(建替え/売却)を、現実の数字の上で組み直す必要があります。
第2章:なぜ今「対策」を検討すべきなのか
旧耐震の賃貸オフィスビルのオーナーが耐震補強や建替え、売却などについて「いつかは考えなければいけない」と思いつつも、実際に大きなアクションに踏み切れないケースは少なくありません。減価償却が終わっていれば、毎月の賃料収入は、そのまま実入りに見えますし、現状維持の判断に傾くのも自然です。
ただし、旧耐震の問題は「危ないかどうか」だけではありません。先送りの本当のコストは、支出額そのものより“選択肢が減ること”です。(運営改善・補強・建替え・売却のどの選択肢も、タイミングを逸してしまうと、後になるほど条件が悪くなる)
2-1.建物寿命と老朽化、そして地震リスク
RC造やS造は法定耐用年数を超えても使えますが、築年が進むほど、構造体より先に設備・防水・配管などが劣化しやすくなります。劣化は静かに進むため、「今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫」と判断しがちです。
しかし一度、大きな故障や漏水が起きると、復旧コストの問題にとどまりません。テナントの業務停止や営業機会の損失につながり、最悪の場合は退去に至り、賃料そのものが消えることがあります。
さらに旧耐震の地震リスクは、「地震で壊れたら直す」だけの話ではありません。旧耐震下での対応を「耐震補強工事をする/しない」「地震後の復旧費用をどうする」に限定すると、賃貸経営の判断としてズレます。地震リスクは、建物の損傷・復旧コストだけでなく、テナントの事業継続、従業員の安全、対外説明、そして更新・移転判断にまで波及するからです。
2-2.地震リスクは「起きた後」ではなく、「起きる前」に効いてくる
日本で地震リスクがゼロになることはありません。旧耐震は新耐震より倒壊・大破リスクが高いと見られやすく、仮に倒壊に至らなくても、損傷が出れば継続利用が難しくなり、賃料収入が止まる一方で復旧費用が発生します。
ただ、いま考えるべき地震リスクは「発災後の被害」だけではありません。発災後のリスクを前提に、テナント側ではBCPやリスク管理の観点から、入居・更新・移転の判断基準が組み立てられています。旧耐震であることは、次のような形で“いま”効いてきます。
- 入居候補から外される(=空室リスクに直結する)
- 契約更新で慎重になる(=移転検討が始まる)
2-3.行政・金融機関の見方が変わると、動けなくなる
耐震改修促進法や自治体の施策により、建物の用途・規模・立地条件によっては、耐震診断・報告・改修の流れが強まっています。今は対象外でも、対象領域の拡大、運用の厳格化の進捗次第では、オーナーの負担は後から重くなりかねません。
また、金融機関は「旧耐震かどうか」だけでなく、修繕計画があるか、資料が揃えてあるか、運営体制が規定化されているかなどを見ます。旧耐震で資料に不備があると、担保評価が下がるだけでなく、借換えや追加投資の局面で条件が悪くなりやすい。結果として「動きたいのに動けない」状態を招きかねません。
2-4.この章の結論:今やるべきは「工事の決断」ではなく「判断材料の整備」
ここまで見てきた通り、旧耐震のリスクは「建物が壊れるかどうか」だけではありません。老朽化や地震は、復旧費用に加えて、テナントの継続利用・更新判断・移転判断に波及し、賃料収入そのものを不安定にします。さらに、行政対応や金融機関の見方が変わると、資金調達や改修の自由度も下がり、動きたいときに動けない状況が起きます。
だから旧耐震の対策は、いきなり耐震補強や建替えを決める話ではありません。先送りの本当のコストは、修繕費そのものより“選択肢が減っていくこと”です。
今やるべきは、次の情報を整理して、耐震補強・建替え・売却・運営改善を同じ土俵で比較できる状態を作ることです。
- 建物と設備の状態
- 修繕履歴と今後の支出見通し
- テナント状況と契約条件
次章以降で、具体的な選択肢を順に見ていきます。
第3章:耐震補強という選択肢の実情
旧耐震の賃貸オフィスビルにおいて「耐震補強を実施する」というのは、安全性を高めるための最も正攻法のように見えます。耐震性能を上げること自体は合理的です。
ただし、賃貸オフィスビルの経営として見たとき、耐震補強は、“やれば勝ち”の施策ではありません。中小規模ビルほど、補強のやり方次第では、かえって、賃貸オフィスビルとしての価値が下落して、既存テナントが退去して空室となり、さらに、空室を埋める際の募集賃料が下落して、賃料収入が低減することになりかねません。
この章では、耐震補強が向く/向かないの判断基準を整理します。
耐震補強で失敗するパターンはだいたい同じです。
オフィスの執務スペースの面積の減少/採光性が損なわれ/工事でテナントの退去が連鎖する/回収の筋が立たない。
まずは、ここを外さないための視点を押さえます。
3-1.中小規模ビルでは耐震補強工事の物理的な影響が大きい
中小規模ビルの耐震補強にあたっては、耐震性能だけでなく、面積・採光・レイアウト自由度等の物理的影響についても細心の注意を以て確認する必要があります。
図面でチェックすべきポイント
- 執務スペースの面積がどれだけ減少するのか:ブレース・耐震壁・袖壁の張り出しで、実質有効面積が何㎡(何坪)減少するのか確認
- 採光がどこまで損なわれるのか:窓前に耐震壁・ブレースが設置される場合の影響度合い
- 執務スペース内の動線への影響:入口〜執務〜水回りの通行に支障が生じないか
- 執務スペースのレイアウト自由度が確保できるか:会議室・執務・倉庫などの区画が成立するか
これらの点を確認しないまま「耐震補強の可否/性能」だけで議論すると、耐震補強後に“貸し難い賃貸オフィスビル”が出来上がりかねません。特に、中小規模の賃貸オフィスビルでは致命的な状況に陥りかねません。
3-2.工事コストと資金調達の負担
耐震補強の検討にあたって、工事費だけで是非を決めようとする、判断を誤りやすくなります。耐震診断を起点に、設計・工事・テナント対応まで含めた費用総額と、その後の収益への影響もあわせて整理する必要があります。
(1)耐震診断・補強設計費も含めた総コスト
耐震補強工事の前提として耐震診断・補強設計が必要です。ここだけでも数百万円規模になることがあります。当然のことながら、補強工事費はさらに別にかかって、建物条件次第で振れ幅が大きく、近年のコスト増に鑑みると、相応の負担を覚悟する必要があります。
(2)減価償却が終わっている物件ほど、ビルオーナーにとって、追加投資の心理ハードルが上がる
旧耐震の賃貸オフィスビルは築年数が経過しているので、会計上の減価償却が既に終了しているケースが少なくありません。賃料収入を“そのまま収益”と捉えてしまうと、ビル・オーナーの心理上、現状維持バイアスがかかり易く、借入をして耐震補強工事に踏み出し難くなります。
耐震補強を検討する出発点は、「いまの収益が将来も同じ形で続くとは限らない」という前提を置くことです。現状の収益だけを基準に判断すると、必要な検討や準備が遅れ、結果として選択肢を狭めてしまう可能性があります。
(3)公的支援制度は“補助”であって“全額負担の肩代わり”ではない
一部の自治体や国土交通省が行っている耐震化の助成制度は、適用要件や上限金額が限定的で、補強費用全体をカバーできるほどの補助は期待しにくい面があります。使えるものは使う、ただし当てにしすぎない。これが現実的な対応です。
3-3.耐震補強工事のテナントへの影響
耐震補強工事は、建物の躯体に手を入れるため、工事の影響が大きくなりやすい工種です。ここでの対応を誤ると、工事費そのもの以上に、テナント退去による空室、賃料収入の低下といった形でビル経営に跳ね返ってくるリスクを想定しておく必要があります。
(1)騒音・振動によるテナントの業務への影響
耐震補強工事は騒音や振動が発生しやすく、工事期間が数か月に及ぶ場合もあります。入居中テナントの業務への影響が避けられません。
(2)テナント退去が連鎖するリスク
耐震補強の規模によっては、工事期間中にテナントの退去を要するケースも想定されます。また、工事対象区画が空室になることに加えて、同じビル内の他テナントが工事による業務影響を嫌い、更新を見送る・移転を検討する、といった動きが連鎖する可能性もあります。この点は、耐震補強の是非を左右する重要な論点です。
(3)周辺・他テナントとの調整
ビル内のテナントが退去しなくても、搬出入・騒音等で周辺に影響が出るので、工事内容やスケジュールについて事前調整が必要になります。調整が長引けば工期が延び、結果としてコスト増につながるおそれもあります。
「工事で失う金額」を整理する(工事費以外も含めて捉える)
耐震補強の負担は、工事費だけではありません。検討の段階で、少なくとも次の要素も踏まえて整理しておくと、より的確な判断の前提となります。
総コスト(経営目線)=工事費(含む、耐震診断・補強設計費)
+近隣対策費用
△耐震補強工事期間の賃料減
△自治体等の補助
3-4.耐震補強のメリット・デメリット(整理した上で、判断に落とす)
ここまでの話を踏まえた上で、耐震補強のメリット・デメリットを“経営判断”の観点から整理します。
メリット
(1)安全性の向上
耐震性能が上がれば、地震時の倒壊・大破リスクの低減が期待できます。その結果、テナントの安心材料にもなります。
(2)売却・融資での説明力が増える可能性
耐震性が高い物件は、売却時や金融機関の担保評価が相対的に高まることが期待できます。今後、災害リスクへの意識が高まると、「安全な建物」であることが資産価値向上に寄与するでしょう。
(3)将来的な行政対応の負担を軽くする可能性
耐震診断・改修が義務化される流れが強まっていることを前提にすると、早めの耐震補強を実施しておくことで、将来的な是正命令などに対応する負担を減らせます。
デメリット
(1)初期投資額が嵩む
先述のとおり、耐震診断や設計費用、工事費などを合わせると数千万円規模でかかることも少なくありません。十分な資金が確保できない場合、耐震補強工事の実施自体が困難となる場合もあります。
(2)耐震補強工事中の退去による空室、収益低減リスク
前項の耐震補強工事に関連する費用発生に加えて、耐震補強工事の影響で発生する空室による収益の低減は重要なファクターです。
(3)貸室価値が落ちると、投下の回収が厳しくなる
耐震補強工事の物理的影響(賃貸面積の減少/採光に支障/レイアウトに支障)により、賃貸オフィスとしても魅力が低減してしまい、耐震補強後、将来に向けて、賃料の引上げが難しくなる可能性も想定されます。
【耐震補強工事の是非に関する判断チェックリスト(耐震補強が向く/向かない)】
耐震補強工事の是非に関する判断基準を明示します。
A:補強が向く
- 耐震補強しても貸室面積の減少が軽微と判断。
- 採光・動線・レイアウト自由度を確保できる。
- 耐震補強工事中でも一定程度、テナントの維持ができる。
- 耐震補強後、賃貸オフィスとしても魅力を保持できる。
B:補強が向かない
- ブレース・耐震壁で貸室面積が顕著に減少/窓の採光が妨げられる
- 退去工事中のテナントの退去の連鎖が想定される
- 耐震補強後、テナント募集して稼働、賃料水準の維持・改善が期待できない
- 近い将来、賃貸オフィスビルの建替え・売却を想定していて、耐震補強に資金と時間をかける意義が薄い
このチェックリストは、専門家の結論を待つ前に、ビルオーナーが判断の軸を持つためのものです。
3-5.耐震補強とは別に「貸しやすさ」を回復させる改修という選択肢
耐震補強は「安全性」の論点ですが、賃貸オフィスビルの経営判断は、それだけで決まりません。仮に耐震補強に費用を投じたとしても、耐震補強の内容や進め方によって貸室価値が低減したり、耐震補強工事を契機にテナント退去が連鎖したりすれば、経営上はマイナスに働く可能性があります。
そこで現実的な選択肢として出てくるのが、耐震補強とは切り分けて、“貸しやすさを回復させる改修”を検討するという考え方です。ここで言う改修は、テナントの入居判断に直結する機能面の改善を指します。たとえば、次のような項目です。
- 空調設備の更新(故障リスクの低減と快適性の改善)
- 給排水・防水の更新(漏水リスクの抑制)
- 電気容量・配線まわりを含む電気設備の整理・更新
- 共用部の機能不全の解消(使いにくさ・不具合の是正)
耐震補強が結果として貸室価値を下げる見込みが強い場合は、補強仕様を見直すか、あるいは耐震補強とは別に“貸しやすさ回復”の改修を優先したほうが合理的なケースもあります。
一方で、貸しやすさを回復させる改修を行っても、空室が埋まらない/募集賃料の低減/大きな修繕や更新が連続して必要になるといった状況が見えている場合は、「改修で運営を続ける」だけでは解決にならない可能性があります。ここまで来ると論点は、改修の是非ではなく、保有を続けるのか、建替えるのか、売却するのかという“資産の出口”の判断に移ります。
次章では、耐震補強や運営改善と並べて比較できるように、建替え/売却という選択肢を、メリット・デメリットと判断ポイントに分解して整理します。
第4章:賃貸オフィスビルの建替え/売却という選択肢(出口設計を整理する)
旧耐震の賃貸オフィスビルは、耐震性の不足だけでなく、設備の老朽化や賃貸市場での競争力低下といった課題を抱えています。対策の検討を後回しにするほど、建物の劣化は進み、ビルの安全性、テナントの確保がますます難しくなっていくでしょう。
前章で検討してきた、耐震補強や“貸しやすさ回復”の改修は、うまく効けば、賃貸オフィスビルの経営を立て直す手段になりえます。
ただし、耐震補強工事の影響が大きすぎる/テナント募集が難しくなる/賃料水準の維持が困難/大きな修繕が連続する見通しといった状況が見えている場合、賃貸オフィスビルの経営上の論点は「どの工事・改修をするのか」ではなく、
「建替え」あるいは「売却」の方向性をより真剣に検討するフェーズに入っている可能性が高いのです。
ここでは、まず、耐震補強・建替え・売却を、同じ土俵で比較できるように整理します。
4-1.まず比較表で“意思決定の土台”を作る
| 比較項目 | 耐震補強 | 建替え | 売却 |
|---|---|---|---|
| 初期費用 | 中〜高 (診断・設計・工事) | 高 (解体+建築+設計+諸費用) | 低〜中 (仲介・測量等) |
| 賃料収入の停止期間 | 工事影響あり (減収〜空室の可能性) | 工事期間中 (解体〜竣工まで) | 売却完了で賃料収入はゼロ |
| テナント調整の難易度 | 中〜高 (工事影響・退去連鎖) | 高 (明渡し・補償・移転調整) | 中 (契約条件と引継ぎ次第) |
| 将来の自由度 | 補強内容次第ではあるが、限定されがち | 高 (商品を作り直せる) | 高 (資産入替・撤退が可能) |
| 失敗パターン | 貸室価値低下 →空室・賃料下落 | 資金計画破綻/期間長期化/出口が読めない | 情報不足で買い手が限定されると売価が低下 |
4-2.建替え(メリットと注意点)
建替えは、旧耐震の賃貸オフィスビルに残る課題を「部分的に直す」のではなく、建物そのものを作り直す選択肢です。耐震性だけでなく、設備・電気容量・レイアウト自由度・共用部の機能など、賃貸オフィスとしての条件をまとめて更新できます。
一方で、建替え工事は大規模なので、資金調達の金額が大きくなり、入居中テナントとの明渡し調整も不可避です。ビルの解体、テナントとの明渡し調整を、一旦、始めると、関係者も動き出して、コストも発生するため、途中で方針転換するのが難しくなります。
したがって、建替えで解決したい課題と、それに伴って発生する負担を、最初に確認し、明示した上で判断する必要があります。
メリット(建替えが効く場面)
(1)“商品を作り直せる”という強みがある
建て替えることで、現行の耐震基準を満たすのはもちろん、老朽化が進んだ設備(空調・給排水・防水・電気)も一括で更新できます。建替えは「個別修繕の継ぎ足し」では解決しにくい問題をまとめて整理・解決できる可能性があります。
(2)テナント募集戦略と賃料設計を“前提から”組み直せる
建替えの効果は、竣工後に「どういうテナントを想定するか」を先に定め、その想定に合わせてオフィス賃貸の前提条件を整えられる点にあります。
築年数が経過している旧耐震の中小規模の賃貸オフィスビルで、テナントに敬遠されやすい条件は、耐震性能だけではありません。電気容量が足りない、空調が不安定、給排水や防水の不具合の発生が見通しにくく、電気設備の老朽化で停電のリスクが高い――こうした設備由来の事故・停止リスクが、入居判断と更新判断に影響します。
建替えでは、設備更新によって事故・停止リスクを下げ、万一の不具合が起きた場合でも影響範囲を限定しやすい構成にできます。あわせて、防災設備や非常用電源の有無、停止時の復旧手順などを含め、従業員の安全と事業継続に関わる前提条件を整理して、募集条件として提示できます。結果として、テナントの懸念点が減り、リーシングの組み立てがしやすくなり、賃料水準の維持・見直しの余地が生まれます。
注意点
必要資金が大きく、資金計画・資金調達の前提を先に固める必要がある
建替えには、建築費だけでなくて、解体費、設計監理費、各種申請費、仮移転対応・近隣補償などが積み上がり、必要資金は想定より膨らみやすいです。
さらに、旧耐震の賃貸オフィスビルの場合は、担保評価が伸びにくいケースもあり、資金調達上の制約になりやすい点も考慮しておく必要があります。
建替えは、具体的な「工事の話」に入る前に、金融機関と資金調達の話をつけておく必要があります。一般的に、金融機関は、いくら貸せるか、いつ実行するか、返済条件をどうするのかを、次の材料で判断します。
- 総事業費の内訳(解体・設計・建築・諸経費)と資金の出し方(自己資金/借入)
- 資金が必要になる時期(解体〜竣工までの支払予定)と、賃料収入が入らない期間の資金繰り
- 竣工後の賃料収入見込み(想定賃料・稼働率)と運営費、返済計画
- テナント明渡しの進め方(スケジュール、補償の考え方)と想定リスク
これらが整理されていないと、融資額や実行時期が決まらず、着工までの手続きが長引きかねません。結果として、賃料収入がない期間が延びて、追加費用が発生して、当初の資金計画の前提が崩れ、建て替えプロジェクトの進捗にとって大きなリスク要因となりかねません。
また、着工後も、追加工事、行政協議、調整の遅れなどにより、工期と費用が想定の範囲内に納まらない可能性もありえます。したがって、資金計画は「見積りどおりに進む前提」で組むのではなく、予備費と予備期間をあらかじめ織り込んだ設計にしておく必要があります。
4-3.売却(メリットと注意点)
耐震補強・建替えは、資金調達ならびに工事実施を前提にした「続けるための選択肢」です。これに対して、売却は、賃貸オフィスビルを保有し続ける前提をいったんやめて、資産を現金化する選択肢です。
耐震補強や設備更新等、「続けるための投資」を抱え込まず、いまの条件で手仕舞いして次の選択に移るための判断になります。
旧耐震の築古の中小規模の賃貸オフィスビルにおいては、この選択肢を検討対象に入れておくのは、充分、意味があるものと考えられます。
メリット
- 将来コストと運営リスクから解放されます
耐震補強、大規模修繕、設備更新、空室の長期化など、築年が進むほど発生しやすい支出と対応が続きます。売却すれば、こうした不確実性を「自分が抱える運営課題」から外せます。金額面だけでなく、判断の回数や調整の手間が減る点も、現実的なメリットです。
- 手元資金を確保し、次の選択肢を可能とします
売却によってまとまった手元資金を確保できれば、借入返済、別物件への投資、資産配分の見直し、事業・生活設計への充当など、次の選択肢を具体化できます。賃料収入の維持と「別の形での期待収益」とのバランス判断がポイントです。
ハードル
- 資産査定額は「買い手が見込む追加コスト」に左右されます
旧耐震の賃貸オフィスビルは、買い手が現状のまま長期運用する前提になりにくく、大規模改修、建て替え等の対応コストを見込んだうえで査定額が算定されます。具体的には、解体費、耐震補強や改修の費用、用途変更・建替えに向けた手続き負担などがポイントになります。
そのため、売主がそれらの工事を実施しなくても、これらの見込みコストは売却価格に織り込まれやすいです。さらに、買い手がどの前提で収支を置くかによって、同じ物件でも提示価格に幅が出ます。
- 各種費用や税金負担を控除したネット金額を想定する
売却代金だけで判断せず、仲介手数料、譲渡にかかる税金、ローン残債の精算、その他の付随費用まで引いた後の金額を以て想定しておく必要があります。
例:手元資金概算 = 売却代金 − 仲介手数料 − 譲渡関連税 − 残債精算 − その他費用
4-4.結論:出口は、比較できる状態を作ってから決めます
建替えと売却は、どちらも大きい判断です。判断の質を左右するのは、同じ土俵で比較できているかです。この章の冒頭、4-1でも示しましたが、以下の判断材料を揃えることが重要です。
- 建物・設備の状態、修繕履歴、テナントの賃貸契約条件、賃料・運営コストの収支を整理します。
- 耐震補強/建替え/売却の選択肢について、初期費用・賃料収入がない(減収)期間・テナント調整を同じ軸で見ます。
- この比較ができるうちに、次の打ち手に移れる状態にしておきます。先送りで減るのは、修繕費の余裕よりも選択肢の余裕です。
次章では、これらの判断材料を揃えて、更新していくために、PM/BMをどう使うかを扱います。
第5章:PM/BMを、出口判断の判断材料を揃えるために活用します
旧耐震の賃貸オフィスビルを巡る意思決定には、耐震補強・建替え・売却などの選択肢があります。どの選択肢にも、投資金額とリスクが伴いますので、ビルオーナーが迷うのは当然です。
問題になるのは「迷うこと」そのものではありません。比較の前提となる判断材料が揃わないまま、検討が進まず、時間だけが過ぎていくことです。
結論を出すには、まず、「比較の土台」を作る必要があります。耐震補強/建替え/売却を並べるのであれば、少なくとも次の情報が、同じ整理軸で揃っていることが前提になります。
- 建物・設備の現況(不具合・劣化の状況、故障傾向、法定点検の実施状況など)
- テナントとの賃貸借契約の条件(解約条項、原状回復義務の範囲、工事制限、特約など)
- 収支と将来支出(賃料、運営コスト、修繕・更新の見込み、賃料減収の想定期間など)
- 工期とテナント調整(通知、移転の要否、休業補償の論点、工程上の制約など)
ただ、この「比較の土台」をオーナー自身で作り切るのは、実務上ハードルが高いかもしれません。必要な情報は、竣工図・点検報告・修繕見積・工事履歴・契約書・収支資料など複数の資料にまたがります。さらに、集めるだけでなく、抜け漏れの確認、情報の粒度・確度の確認、同じ形式への整理といった作業が必要になります。
ここで検討に入るのが、PM(プロパティ・マネジメント)とBM(ビル・メンテナンス)という役割の導入です。なお、PM/BMの役割は、ビル管理会社が担う場合もあれば、外部専門家と連携・分担する場合もあります。重要なのは、旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断に必要な材料が、比較できる形で整う体制になっているかどうかです。
次節では、PMとBMの違いを整理します。
5-1.PM/BM:機能の違い
PM(Property Management)とBM(Building Maintenance)は、どちらも「賃貸オフィスビル管理」に関わりますが、見ている対象が違います。旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断に必要なのは、この違いを押さえたうえで、それぞれの役割を活かして活用することです。
PMは、賃貸経営の運用を扱います。賃料や募集条件、契約条件、収支、テナント対応、修繕の優先順位づけ、外部業者や関係者の調整など、ビルを事業として回すための業務です。結論を出す場面では、集まってきた情報を整理し、耐震補強/建替え/売却を同じ条件で並べられるように整えます。
BMは、建物設備の維持管理を扱います。設備の点検・保守、故障対応、法定点検の実施と管理、衛生・安全面の段取り、工事手配の実務など、建物と設備を止めずに動かすための業務です。結論を出す場面では、現況の把握や劣化の状況、故障傾向など、比較の前提になる「現場の根拠」を出します。
この章で扱う旧耐震の賃貸オフィスビルの意思決定では、PM/BMの価値は次の形で整理できます。
- PM:比較できる形に整える側(判断に使える形式へ整理します)
- BM:比較の根拠を出す側(現場の状態を把握し、根拠を示します)
5-2.まず整理して揃えるのは「判断用資料」(比較の土台を形にします)
PM/BMの役割を踏まえて、実務では「結局、何が揃えば比較できるのか」が曖昧なまま進んでしまうことがあります。
旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断においては、必要な情報の種類が多く、粒度もばらつきやすいためです。そこで、最初にやるべきことは、比較に必要な判断用資料を先に定義し、同じ形式で整理して揃えることです。
出口判断に必要な判断用資料は、最低限、次の5点です。これが揃うと、耐震補強/建替え/売却を同じ土俵に載せられます。
(1)建物・設備の現況一覧(根拠の入口)
- 主要設備ごとの状態(劣化・不具合・故障傾向)
- 法定点検・定期点検の実施状況と指摘事項
- 直近の修繕・更新履歴(いつ、何を、どの範囲で)
- 当面の注意点(止まると影響が大きい箇所、優先度の高い不具合)
※これは基本的にBMの領域です。「現場の事実」をここで固めます。
(2)将来支出の見立て(修繕・更新の候補整理)
- 今後数年で現実に出てきそうな更新・修繕項目
- 概算費用は“点”ではなく“幅”(レンジ)で置く
- 不確定要素(追加調査が必要な箇所、見積条件の前提)
※BMの見立てをベースに、PMが収支と接続します。
(3)テナントとの賃貸借契約の条件とテナント調整の論点整理
- 解約条項、工事制限、原状回復の扱い、特約
- 休業補償や仮移転が論点になり得る条件の有無
- 通知期間・工事可能時間帯など、工程に効く制約
※ここが抜けると、工期や減収期間の比較が成立しません。PM側で整理するのが基本です。
(4)3案比較表(耐震補強/建替え/売却)
- 初期費用(概算レンジ)
- 工期と減収期間の見込み
- テナント調整の難所(どこがボトルネックか)
- 収益・売却の見通し(前提条件つきで整理)
- 前提条件(何を仮定しているか)と、条件が崩れた場合の影響
※ここが「比較の本体」です。PMが形式を作り、BMが根拠を供給します。
(5)未確定事項リスト(次に何を確かめるか)
- 追加調査が必要な項目
- 追加見積が必要な項目
- 判断に影響する前提のうち、まだ確定していないもの
※“分からないこと”を残したまま比較表だけ整えると、結論の再検討が増えます。最後に必ず残します。
この5点が揃うと、議論は「情報が足りない」状態から抜け出して、比較の質が上がります。PM/BMを使うかどうかに関わらず、この判断用資料セットを基準にしておくことで、旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断の実務を進捗させることができます。
5-3.PM/BMへの頼み方(判断用資料を基準に委託範囲を決めます)
PM/BMを使う場合、最初に決めるべきなのは、「判断用資料」と「責任範囲」です。判断用資料を基準に委託範囲を定義すると、判断材料の整理、とりまとめが進めやすくなります。
①判断用資料ごとに担当範囲を割り当てます
5-2の判断用資料に沿って、中心となる担当を分けます。
- BMが中心になる範囲
(1)現況一覧
(2)将来支出の技術的な見立て(更新・修繕候補と根拠)
- PMが中心になる範囲
(3)テナントとの賃貸借契約の条件とテナント調整の論点
(4)3案比較表
(5)未確定事項リストの整理と更新管理
同一の会社がPM/BMを一体で担う場合でも、判断用資料ごとに「根拠を出す責任」と「比較表に整理する責任」を分けておくと、責任範囲が曖昧になりません。
②比較の土台を揃える(検討フェーズ/対象範囲/数字の前提)
耐震補強/建替え/売却を比べるときは、各案の数字がどのフェーズの、どの前提条件で、どこまでを対象に出ているかを揃えないと比較になりません。
片方が机上の概算、もう片方が詳細調査ベース──この状態で表に並べても、結論がブレます。
揃えるのは次の3点です。
1)検討フェーズと、数字の根拠レベルを明記する
いまが「方向性を絞る一次検討」なのか、「実行可否を判断する段階」なのかを、はっきりさせます。
後者なら耐震診断を含む必要調査が前提です。一次検討なら、概算で進めてOKですが、“概算の前提条件”と“未確定の残し方”(どこから先は次段で確定させるか)も合わせてはっきりさせます。
例:夜間工事の要否/搬入条件/工事可能時間/追加調査が必要な箇所の扱い…など、概算に直撃する条件は必ず明示します。
2)耐震補強が「どこまで影響するのか」を踏まえて検討する
耐震補強工事の影響範囲を「構造要素だけ」に限定せず、付随して影響し、検討・調整が必要になる範囲を明示した上で検討します。
例:天井・間仕切り・内装・什器/設備更新や機器移設の要否/工事中の使用制限/テナント調整の範囲/賃料の減収期間の見立て。
3)比較表の“必須項目”を統一して、判断に使える形にする
比較表のそれぞれの選択肢について、費用・工期・賃料の減収(空室/賃料影響)・調整論点(テナント/行政/金融)・将来支出・前提条件・未確定事項を項目として網羅します。
未確定事項が残るのはOK。ただしその場合は、次に何を調べれば確定させられるのか(追加調査・見積条件・判断形成の手順)まで付記します。
③判断資料の提出の締め切りとスケジュール(比較表を“更新できる運用”にする)
前提条件は途中で必ず変わります。だから「比較表の完成版を一気に作る」のではなくて、短いサイクルで提出→判断→更新します。
ここで決めるのは提出物と締切と判断ポイント(ゲート)です。
標準的な進め方(目安)
第1段階:1週間以内
(5)未確定事項リスト一次版を提出
└ 不足資料、追加調査の要否、調査の優先順位、次段で確定させる項目を明記
ゲートA:一次検討として走れるか/追加調査が先かを決める
第2段階:2週間以内
(1)(2)(3)の一次版を提出(=比較の土台)
└ 前提条件/概算の根拠レベル/影響範囲(波及工事・制約)を揃える
ゲートB:3案を同じ土俵で並べる準備ができたかを確認
第3段階:3〜4週間以内
(4)3案比較表一次版を提出
└ 費用・工期・減収・調整論点・将来支出・前提条件・未確定事項をセットで
ゲートC:方向性を絞る(残す案/捨てる案)
第4段階:追加調査・見積反映(+4〜8週間が目安)
(4)比較表改訂版を提出
└ 第1段階の未確定事項を潰した反映版(必要なら複数回更新)
ゲートD:実行可否の判断(やる/やらない/売る)
重要な補足(ここが肝)
- 一次検討だけで「絞る」なら、最短3〜4週間でいける(第3段階まで)
- 「やる/やらない」を判断するなら、調査を入れるので+1〜2か月は見ておく(第4段階)
- つまり、ここでは「順番」の話じゃなくて、“比較表を継続的に更新していく前提で締切と判断点を置く”って話。
5-4.判断用資料が揃っても、ビルオーナーの「判断の閾値」が必要です。
5-2の判断用資料が揃うと、耐震補強/建替え/売却は同じ土俵で比較できるようになります。ただし、比較表があっても結論は自動的に出ません。最後に必要なのは、オーナー側の判断の閾値です。
旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断で、閾値になりやすいのは次の3つです。
- 投資の上限額(いくらまで出すか)
耐震補強・建替えの工事費・設備更新・改修費用等を含めて、投下できる金額上限を決めます。この上限値の設定がないと、どの案も「もう少し追加資金を投下すれば良くなる」で終わって、最終判断が下せません。
- 資金繰りの限界(何ヶ月・最大いくらまで耐えるか)
比較表に出てくる「賃料収入の減収額・減収期間・追加支出額」の結果を見て、
①賃料収入の減収が続いてよい最大額・月数、②その期間での追加支出の許容を設定します。投資金額だけでなくて、キャッシュフローを見ておいて、どこまでの持ち出しに耐えられるかの許容額を設定しておく必要があります。
- テナント対応リスクの許容(どのレベルの個別協議まで受けるか)
テナント調整の進捗は、重要なポイントです。個別協議(減額・補償・合意書・退去協議など)の方針によっては、協議期間、補償・減額の金額に幅が出ます。
具体の交渉実務は、PM等の専門家のサポートを受けるべきですが、協議の方針については、最終的にビルオーナーが判断する必要があります。
PM/BMができるのは、比較表の項目を埋めて、それぞれの選択肢がこの判断の閾値を超えるかどうかを見える化することです。
逆に言えば、判断の閾値が決まっていないと、判断用資料が揃っても結論には辿り着けません。
第6章:旧耐震の賃貸オフィスビル経営の核心は「リスク管理」
これまでで整理した通り、耐震補強/建替え/売却の選択肢は、判断材料が揃っても、最後にはビルオーナーの判断が必要です。
ただし、その前に押さえるべき前提があります。旧耐震の賃貸オフィスビルでは、経営の基本姿勢が定まっていないと、判断の軸が定まらず、いくら判断材料を並べても結論が出ません。
この章では、旧耐震の賃貸オフィスビル経営を「リスク管理」として成立させるための基本姿勢を整理します。
6-1.旧耐震の賃貸オフィスビルの意思決定は、運営と責任の整理から始まる
旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断は、耐震補強/建替え/売却のどれを選ぶにしても、「誰が何を整理して、誰が何を判断するのか」の分担で決まります。
PM/BMは、比較し、判断を下すのに必要な情報を揃え、論点を整理し、選択肢を同じ土俵に載せる役割を担います。一方で、どのリスクをどこまで引き受けるのか、どこで線を引くのかについては、ビルオーナーの判断が必要です。
意思決定を成立させるために、PM/BMに委ねる領域と、オーナーが引受ける判断を、明確にします。
借主との調整が、一番、不確定要素があって、期間・金額の振れ幅への影響が大きいので、その点にフォーカスして、それぞれの分担を整理します。
- PM/BMが担う領域(材料を判断に使える形に整える)
- 借主への影響を、条件別に整理する(在館工事/部分退去/段階退去など)
- 借主の同意が必要になる論点を洗い出し、協議の論点・想定期間・条件・補償/精算額の幅を整理する
- 費用が上振れしやすいポイントを押さえ、レンジと前提条件を示す(追加工事・追加調査・施工条件の制約など)
- 以上を、耐震補強/建替え/売却の各案で、比較できる形にまとめる
- オーナーが担う判断(許容範囲を決める)
- 判断上、重視するリスクを決める(安全性/収益/資金繰り/出口など)
- 借主対応として、どこまでの調整を前提に置くかを決める(時間・条件変更・追加負担の許容)
- その前提の下、耐震補強/建替え/売却の選択肢を決める
借主がいる以上、耐震補強/建替え工事や売却の判断は借主の営業に影響します。合意の取り方次第で工期・賃料の減収期間/幅・補償の見通しが変わり、収支も変わります。だから、材料の整理はPM/BMに任せながらも、最後に「どこまで背負う/覚悟するのか」を決める判断はオーナーが下します。
6-2.旧耐震の賃貸オフィスビルの経営における「リスク管理」
賃貸オフィスビルの経営におけるリスク管理とは、一般的に、不確実要素を棚卸しし、影響(安全・法務・収支・工期・出口)を評価し、対応方針を選び、前提更新に合わせて見直すことです。国際的にも、リスクを「特定・分析・評価・対応(treatment)し、監視とコミュニケーションを回す」フローの下、整理されます。
旧耐震の賃貸オフィスビルの経営において、実務上、ボトルネックになりやすいリスクについて、以下、上げておきます。
- 法令・制度対応リスク
耐震改修促進法の枠組みでは、一定の建築物に耐震診断が義務付けられ、結果の報告・公表まで含めて制度化されています。
さらに、建築基準法の「定期報告制度」は、使用開始後も適法状態を維持するための定期調査・検査・報告を所有者に求めています(建築物、防火設備、昇降機など)。
東京だと防火対象物点検報告制度(消防法)も、一定の対象で点検・報告が義務になります。)
- 安全・賠償責任リスク
地震発生時、建物が損壊し損害が出たときに「建物の安全性」「維持管理の相当性」が争点になり、所有者側の責任が問題化し得る、という意味でのリスクです(いわゆる土地工作物責任の射程など)。
- 契約・テナント対応リスク
賃貸借は「使用・収益させる」契約なので、工事や不具合で使用が制限されると、賃料減額や修繕をめぐる運用が現実の論点になります。改正民法では賃貸借のルールが整理され、修繕や原状回復等の考え方も明文化されて、「借主の立場の尊重」の傾向が見てとれます。借主の使用が妨げられると、契約上の論点(賃料・補償・合意書・解除)に直結して、収支と工期に影響が及びます。
- 工事・更新リスク
耐震補強、建替え等、老朽化対応工事は、見積りの時点で“確定”しない部分が残りやすい(追加調査、追加工事、施工条件、夜間・搬入制約など)。この上振れは、金額だけじゃなく工程・テナント調整にも波及します。
- 収益・資金繰りリスク
「投資総額」も重要ですが、キャッシュフロー(キャッシュアウトのタイミング・追加・長期化)で資金繰りが行き詰るリスクは想定しておくべきです。
- 売却時の価格リスク
売却価格・条件を協議するにあたって、デューデリで指摘される論点(耐震、法定点検の履歴、是正、テナント条件等)によって、買い手の幅を狭めると、最終的な売却価格に影響することがあります。耐震診断が公表対象になる場合、さらに情報の整理が必要です。
最後に。PM/BMの役割は、それぞれのリスクについて、論点・前提条件・影響(工期/収支/合意難易度)に分解して、比較表に載る形へ整えること。ビルオーナーが、どのリスクを優先して取りに行くか/抑えに行くか、の選択について判断します。
6-3.出口判断は「収益比較」ではなく、リスクを踏まえた許容度の設定で決まる
旧耐震の賃貸オフィスビルで出口(耐震補強/建替え/売却)を判断するとき、議論が迷走しやすい原因は、リスク管理の観点(何をリスクと見なすか/どこまで見込むか/誰が負うか/許容できない線はどこか)を踏まえずに、表面的な計算で収入と支出を設定して、優劣を付けようとすることにあります。
それでは、リスク管理の考え方に沿って出口判断を組み立てようとするにあたって、以下の4つのステップに分解できます。
①リスクを「特定」する
まず、旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断に影響するリスクを、法令・制度対応、安全・賠償責任、契約・テナント対応、工事・更新、収益・資金繰り、売却価格等に整理します。
ここで重要なのは、細目を増やすことではなく、「どのリスクが、この物件では支配的なのか」を見える形にすることです。
②リスクを「評価」する(影響の出方を揃える)
次に、各リスクが出口判断にどう影響するかを、同じ物差しで揃えます。
具体的には、影響を工期・賃料収益への影響(減収)・追加支出(持ち出し)・実行難易度・不確実性(幅)に落とします。
この段階では、数字は、単一の見込み値というのではなく、変動幅を踏まえたレンジとして扱います。レンジの幅について、未確定事項があるからなのか、リスク要因の性質に根差したものであるのかにつちえも整理します。
③リスクへの「対応方針」を決める(選択肢を作る)
評価までできたら、リスクへの向き合い方を決めます。
旧耐震の賃貸オフィスビルの出口判断は、だいたい次の3タイプに分類できます。
- リスク低減型:安全性・適法性・設備リスクを優先して低減させて、運営の不確実性を小さくしようとする(耐震補強・更新寄り)
- リスク回避型:長期の不確実性を抱えず、外部化しようとする(売却寄り)
- リスク転換型:一度大きく動かして、以後のリスク発生の構造を作り替え、制御しようとする(建替え寄り)
どのタイプが優れているのかではなく、この物件とこのビルオーナーが、どのリスクを許容して、どのリスクを回避するのかという選択になります。
④「見直し前提」で運用する(出口判断を一回で終わらせない)
出口判断は、一度、方針を決めたら、それで終わりではありません。
追加調査や見積、制度・市場環境の変化で前提は更新されます。だから判断材料は「更新できる形」で維持します。
このようなかたちで運用していくと、途中で前提条件、外部環境が変わったとしても、判断を更新して、対応することが可能となります。
6-4.出口判断のタイミングは選べない
旧耐震の賃貸オフィスビルでは、出口判断(耐震補強/建替え/売却)を、“当初の想定通りの時期”まで持ち越せるとは限りません。実際には、以下の事情・要因を以て判断の前倒しが迫られることもあります。
- 設備故障が続き、設備更新が避けられなくなる
故障対応が「都度修理」からすぐに「設備更新」が必要な状態に移行すると、将来支出の前提が変わってきます。
- 空室が長期化し、募集賃料を下げてもテナントが決まりにくくなる
賃料の収益面だけでなく、改修・耐震補強・建替え・売却、それぞれの選択肢の見え方にも影響します。
- 行政・金融・売却候補先から、耐震性を踏まえた法制への適合性について確認・説明を求められる
調査・点検・是正の要否が、意思決定の前提になります。
- 相続・共有者の異動・借入の期限などの事情により、意思決定が迫られる
“いつか判断する”という先送りが成り立たない状況になります。
ここで重要なのは、判断の結論を早急に下そうとすることではありません。
前提条件が変わったときに、耐震補強/建替え/売却の選択肢の比較の判断をやり直せる状態にしておくことです。やることは次の4点です。
①判断の前提条件の内、変わる要因を押さえておく
補助制度、工事費の水準、売買市場の見え方、稼働状況(空室・賃料)など、前提を動かす要因に絞って把握します。
②修繕・更新の記録(一覧+根拠資料)を整備
「いつ・どこを・何で・いくらで直したか」を一覧にし、点検報告書・工事報告書・図面・保証書も紐づけておきます。これらが整備されていると、調査・見積・売却査定の立上げの際、“調べ直し”の手間が軽減できます。
③判断材料を整理し、揃える作業を継続して進めておく
たとえば、追加調査の段取り、見積条件の整理、設備更新の優先順位付け、売却の障害になりやすい論点の洗い出し。これらの作業は、結論を出す作業ではなく、あくまでも「判断材料を整理する作業」です。
④意思決定の手続きを決めておく(特に個人・共有)
誰が最終的に決めるのか、どこまで委任するのか、いくら以上は誰の同意が必要か。これらの点が曖昧だと、相続・共有者の異動の局面にあたって判断を円滑に下すことが難しくなります。
第7章:旧耐震の賃貸オフィスビル経営で有効な「意思決定の型」
おわりに
旧耐震の賃貸オフィスビルと向き合う「今」から始める一歩
旧耐震の賃貸オフィスビルのオーナーは、多かれ少なかれ同じ感覚を持っています。
「家賃は入っている。でも、このままで本当にいいのか」
この“引っかかり”は、弱さではありません。旧耐震という前提を踏まえたとき、経営者としての自然な感覚です。
耐震補強も、建替えも、売却も、そうそう簡単に決められる話ではありません。
費用、工期、テナント調整、資金の手当て、法的な論点など、どの選択肢にも負担と不確実性があります。
ただ一つ確かなのは、何も決めないまま時間が過ぎるほど、現実に取り得る選択肢が減っていくということです。設備の更新時期、空室、資金繰り、金利、相続や共有者の事情など、外側の事情・要因が先に動き、オーナーが選びたかった道を狭めていきます。
ここで必要なのは、いきなり大きな決断を下そうとすることではありません。結論を出せる状態に近付けることです。
その最初の一歩は、小さくても構いません。
- 現状を見える形にする(建物・設備・賃貸条件・市場・資金の整理)
- 判断に必要な材料を、比較できる形で揃える(概算、工期の見通し、テナント調整の難易度、資金の当たり、法的な致命傷の有無など)
- 判断材料が揃った時点で一度判断し、必要なら前提を更新して次に進む(揃える→判断する→更新する、を繰り返せる形にする)
オーナーが主役であることは変わりません
ただし、主役が一人で舞台を支える必要もありません。
判断材料を整える役、選択肢を比較可能にする役、実行の段取りを作る役を揃えていくと、経営者としてのあなたの決断は「いちかばちかの賭け」ではなく「納得できる経営」になります。
旧耐震の賃貸オフィスビルの将来に、完璧な正解はありません。工事費も賃料も金利も、テナントの動きも、判断に影響する前提が途中で変動するからです。
それでも、判断を先送りにしない方法はあります。何を確認すれば比較できるのか、いつ一度結論を出すのか、前提が変わったらどこを見直すのか――この3点を決めて、材料を揃え、判断して、必要なら更新する。
その方法が手元にあれば、どの選択肢を選んだとしても、判断した理由と前提を記録しながら、常に検証可能なビル経営として、次の一歩に進めます。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2026年2月19日執筆