「東京の賃貸オフィスビル市場は揺るがない。でも、"決まる"ビルと"決まらない"ビルの差はすでに始まっている。」
皆さん、こんにちは。
株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事「東京の賃貸オフィスビル市場は揺るがない。でも、"決まる"ビルと"決まらない"ビルの差はすでに始まっている。」のタイトルで、2025年12月16日に執筆しています。
少しでも、皆様に新たな気づきをもたらして、お役に立てる記事にできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
第1章:なぜ東京の賃貸オフィスビル市場は「揺るがない」と言われ続けるのか
1-1.東京の賃貸オフィスビル市場の「安定神話」
東京の賃貸オフィス市場は、長期にわたり安定という評価を受け続けています。実際、空室率の推移を見ても、世界的な経済危機やパンデミックといった外部ショックにより一時的な上昇はあったものの、主要5区・7区では3〜4%台という比較的低水準で推移しており、致命的な崩壊には至っていません。賃料についても、リーマン・ショック時の一時的な下落を除けば、じわりと上昇し続け、急落する場面はほとんど見られませんでした。
過去を振り返れば、コロナ禍により一時的に空室率が急上昇した局面はありました。しかし、その後、需給バランスの回復とともに空室率は低下に転じました。リモートワーク普及によるオフィス需要減少が懸念されたものの、現在の空室水準を見る限り、東京市場はリモートワーク影響を一定程度織り込んだうえで、なお安定を保っていると評価できます。
この「堅調さ」は東京という都市の経済規模、企業集積力、情報インフラの優位性など、複合的な強みに支えられています。だからこそ、外部環境が大きく変動しても、すぐには揺らがない市場構造が形成されているのです。
1-2.安定の裏にある「盲点」
ただし、表面上の安定に安心しきるのは危険だ。空室率や賃料単価といった指標には現れにくい、質的変化が確実に進行しているからです。
例えば、成約条件の変化。フリーレント(賃料免除期間)が長期化する案件がじわりと増え、内装工事負担を貸主側が一部引き受けるケースも珍しくなくなってきました。こうした実質的な値引きは、表面的な賃料統計には反映されません。
また、ビル間競争も水面下で激化している。立地、規模、築年数だけでなく、建物コンディションや管理品質といった目に見えにくい差が、テナントの選定基準として徐々に重みを増しています。いわば、同じ安定市場のなかで、静かな勝ち組・負け組の分化が進んでいるのです。
だからこそ、「表面数値だけを見て安心する」という態度は、実務者にとって大きなリスクとなりえます。空室率が数%台と低水準で推移する東京においても、ビルは自然に決まるわけではない。そこに気付けるかどうかが、今後の成否を分けるのです。
1-3.なぜ「揺れ」が目立たないのか
東京の賃貸オフィス市場においてミクロな揺れが目立ちにくい理由は、いくつかあります。
第一に、マーケット全体の供給規模とテナント需要のバランスが絶妙に維持されていること。大規模な新規供給が出ても、都心部需要の強さがそれを吸収し、表面的なバランスを保ってしまいます。
第二に、中小賃貸オフィスビルの細かな動きがデータに反映されにくい構造がある。空室率や平均賃料などの集計は、大規模賃貸オフィスビル中心に数字を対象として集計する設計になりやすく、築古・中小規模の賃貸オフィスビルで起きている微細な劣化や成約難は、集計された数字上では可視化されにくいのです。
第三に、テナント側の行動変容も緩慢であること。オフィス移転は多大なコスト、労力、そしてリスクも伴うため、多少の不満があっても即座に退去には結びつきにくく、結果として、現場レベルでは細かい違和感が積み重なっているにもかかわらず、市場全体としては「安定」に見えるというギャップが生まれています。
1-4.まとめ:安定を疑うのではなく、微差に気づく目を持つ
東京の賃貸オフィスビル市場の「安定」は確かに事実であると言えます。しかし、全体として安定しているからといって、すべてが変わらず順調だというわけではありません。むしろ、全体として安定しているからこそ、微細な変化や兆候に気づきにくくなるリスクが高まっています。
表面的に集計された数値に現れないズレ。成約条件の微差。テナントニーズの静かな変容。これらにいち早く気づき、対応できるかどうかが、これからのオーナー・実務者に問われています。安定を信じつつ、同時に「静かな揺れ」に敏感であること。それが、次の10年を乗り切るための実務感覚です。
第2章:「決まるビル」「決まらないビル」の差はどこに現れるか
2-1.成約リードタイムの違い
空室になってから成約に至るまでのリードタイムは、賃貸オフィスビルごとの競争力を映し出す実に重要な指標です。募集開始から成約までのスピードには、立地や賃料水準だけでは説明しきれない要素が潜んでいます。
リードタイムが短い賃貸オフィスビルは、物件情報が公開された直後から問い合わせが入り、案内・打診・成約というプロセスが比較的スムーズに進む傾向があります。こうした物件は、立地条件や物理スペックが一定以上であることに加え、エントランスや共用部のコンディション、管理対応の信頼感、入居後を見据えた安心感など、見えにくい付加価値が効いているケースが多いのです。
逆に、リードタイムが長引く賃貸オフィスビルには、明確な致命傷こそないが、総合的な評価で後回しにされる微妙な引っかかりが存在しています。例えば、空調の古さ、室内の暗さ、共用部清掃の雑さなど、数字やスペック表には現れにくいが、内見時に確実に印象を左右する要素なのです。
重要なのは、こうしたリードタイム差は、募集開始から早い段階で現れるという点です。初動が鈍い場合、条件見直しや物件調整に迅速に動けるかどうかが、最終的な成否を左右します。
2-2.フリーレント・内装負担交渉の有無
次に注目すべきは、成約交渉時の譲歩要請の有無なのです。
成約にあたって、テナント側からフリーレントの延長や内装工事費用の一部負担を求められる場面が増えている。これは一見すると、単なる市況対応の一環に見えるかもしれません。しかし、実態としては、貸主側が条件面で歩み寄らなければ成約が難しいという、競争力低下のサインであることが多いのです。
フリーレントは、表面的な賃料単価を維持しつつ、実質的に値引きを行う手段なのです。これが長期化・大型化するということは、賃料水準に対する市場の受容度が低下している裏返しとも言えます。また、内装費用負担の要求は、物件自体のスペック(天井高、空調、レイアウト柔軟性等)に不満があることを示唆するサインでもあります。
つまり、決まるビルは、こうした譲歩交渉を最小限に抑えながら、スムーズに契約をまとめられます。一方、決まらないビルでは、貸主側の負担コストが水面下で積み重なり、収益性をじわじわと侵食していくのです。
2-3.内見後フィードバックの質
内見後にテナント側から得られるフィードバックは、極めて貴重な市場の声だ。ここにも、ビルの競争力差が如実に表れます。
前向きな検討を進めるテナントは、たとえネガティブな要素があったとしても、それを具体的に指摘してくる。たとえば、「レイアウト変更が必要だが、コスト次第で検討したい」とか、「照明の暗さが気になるので改善案を出してほしい」といった具体的コメントが返ってきます。
これに対して、検討対象外と判断された場合、フィードバックは曖昧になるか、最悪の場合は無言になる。「一旦持ち帰ります」「また社内で検討します」という形式的な回答が続いた後、自然消滅するパターンです。
重要なのは、こうしたフィードバックの質を敏感に読み取り、案件進行の温度感を早期に把握することだ。無言や棚上げのサインが出たら、条件や訴求方法の見直しを迅速に検討すべきです。
2-4.条件以外の要素への目線
賃料や立地だけでは、もはや賃貸オフィスビル選定の決め手にならない時代が到来しています。テナント側の目線は、快適な日常を支える運営品質に鋭く向けられています。
たとえば、空調の温度管理が適切か、エレベーター待ち時間が許容範囲か、共用部のトイレ清掃が行き届いているか。こうした細部への配慮が、入居後の満足度を大きく左右することを、実務担当者たちは肌で理解しています。
さらに、問い合わせ段階からの対応スピード、内見時の案内品質、契約締結までのレスポンス力も、賃貸オフィスビルの印象形成に直結します。賃貸オフィスの選定は、単なるハードスペック勝負から、ハード×ソフトの総合評価へと確実にシフトしているのです。
第3章:目立たない「選ばれない兆候」とは
空室が長期化する前には、必ず何らかの「兆候」が現れています。
しかし、その兆候は大抵、明確なデータや大きな異変として表れるのではなく、
問い合わせ内容や案内後の反応といった、微妙なニュアンスに滲む形で現れます。
本章では、表面上は変化がないように見えても、
静かに「選ばれにくさ」が進行している兆候を、どのように見極めるかを整理します。
3-1.問い合わせ数の変化に潜むサイン
まず、注視すべきは単純な問い合わせ件数の増減ではありません。
問い合わせ数自体は、季節要因や景気動向によって変動するため、
一時的な増減だけで物件力を判断するのは危険です。
むしろ重要なのは、問い合わせの「質」です。
たとえば、
・明確なニーズを持って問い合わせてくる件数が減り、
・「とりあえず資料だけ欲しい」「まずは内見だけ」というような、温度感の低い打診が増えている。
こうした傾向が見えた場合、
物件自体への関心度が相対的に低下しているサインだと捉えるべきです。
問い合わせがある=安心、ではありません。
問い合わせの質が下がっている=「候補にしてもらうスタート地点」にすら立てなくなりつつある、この危機感を持つ必要があります。
3-2.案内後の反応鈍化
さらに注視すべきは、内見後の反応の変化です。
以前であれば、内見後すぐに、
・具体的な質問
・条件交渉
・賃料や入居時期に関する打診
といった、積極的な動きが出ていたはずです。
しかし、兆候が進行すると、
・「社内で検討します」
・「上層部に確認します」
といった引き伸ばし型のリアクションが増え始めます。
これは、表面的には前向きな姿勢を保っているように見えますが、実際には物件選定の優先順位が下がっている状態を示しています。
特に注意すべきは、
「明確な断りがないまま、フェードアウトを狙うケース」が増えることです。
これに気づかずに条件引き下げを持ちかけると、
かえって物件の市場価値を毀損してしまうリスクもあるため、反応の「質」を冷静に読み取る力が求められます。
3-3.競合比較時に受ける"消極的な評価"
また、競合物件との比較過程でも、消極的な評価が現れることがあります。
たとえば、
・「駅から若干遠いが、賃料が安いから一応候補にしている」
・「設備は古いけど、広さがちょうどいいから検討リストには入れている」
といったコメントです。
これは、表面的には検討対象に入っているように見えますが、
本命として積極的に選ばれているわけではないことを示しています。
テナント側の心理として、
・少しでも条件の良い競合が出れば、即座に乗り換える
・ちょっとした減点ポイントでも、あっさり脱落する
というリスクが潜んでいます。
消極的な比較評価が目立つ場合、
すでに「選ばれにくい物件」としてカテゴライズされつつあると認識すべきです。
3-4.見えない減点プロセスに気づくこと
テナントの物件選定プロセスは、加点方式ではなく減点方式が基本です。
つまり、
・初期段階では候補リストに残すが、
・案内中に小さな減点を積み重ね、
・最終的には静かに「見送り」と判断する。
この「見えない減点」が、成約できない最大の原因となります。
そして恐ろしいのは、
この減点プロセスが目に見える形では表れないことです。
・特に指摘もされない
・表面的には検討しているように見える
・問い合わせ件数も案内件数も一見悪くない
こうした中で、静かに、確実に候補から外されていく、このプロセスに気づかないまま放置すると、
やがては「空室長期化」という形で、大きなダメージとなって跳ね返ってきます。
だからこそ、
・案内時の小さな違和感
・ちょっとした反応の鈍さ
・非言語的なサイン(微妙な間合い、不自然な引き延ばし)
こうしたものに敏感になり、表面だけでなく「水面下の動き」を読む力を養うことが、リーシングの担当者に求められており、また、オーナーも認識を共有する必要があるのです。
第4章:表面的リノベーションだけでは埋められない差
築年数を重ねた賃貸オフィスビルにおいて、リノベーションは重要な打ち手の一つです。
しかし、単なる見た目の刷新だけでは、テナントからの評価は得られず、結果として空室解消には結びつかないことが少なくありません。
本章では、表層的リノベーションの限界を整理し、大規模投資を避けた、機能性重視の改善策に即した、現実的な対応ポイントを整理します。
4-1.リノベーションの目的と期待値ギャップ
多くのビルオーナーが、ビル管理会社と相談をしながら、リノベーションを実施する際、どうしても「見た目の刷新」を最優先してしまう傾向があります。
一方で、テナント側の本質的な期待は、実務上の使いやすさ、日々の快適性、そしてランニングコストの削減にあります。
例えば、いわゆるデザイナーズ仕様の導入。
確かに目を引き、一時的な訴求力を持ちますが、質感や色彩などのデザイン要素にばかり注力した結果、エネルギー効率や空調性能といった「機能の本質」が後回しにされるケースが目立ちます。
実例で見てみましょう。
●Aビル事例
エントランスに高価な大理石パネルを採用し、視覚的には新築同様の高級感を演出しました。
しかし、空調設備は旧態依然のままで、夏季に室内の温度ムラが発生し、テナントからクレームが相次ぎました。
入居後の不満が募り、結果的に短期解約が続出してしまいました。
Bビル事例
一方で、視覚的リフレッシュを最小限に留めながら、空調システム更新と二重窓設置に注力したBビルは、
快適性と省エネ性能を地道に改善。
その結果、竣工2年後も高い成約率と安定した稼働を維持しています。
この違いは単純です。
「見た目の演出」ではなく、「使って快適かどうか」という実用レベルでの評価が、テナントの意思決定に直結しているのです。
したがって、リノベーションにおいて真に問われるのは、期待値ギャップを埋める「本質機能の強化」であることを肝に銘じるべきでしょう。
4-2.基本性能(光熱費・空調)への対応が評価される
現代のテナント担当者は、単に賃料の額面だけを見ていません。
電気代、冷暖房費等の効率性といった要素に対しても敏感になっています。
ランニングコストが月額で数千円違うだけでも、テナントにとっては長期的には大きな負担差となるからです。
内装工事を施す際、こうした点への配慮がリノベーションの成否を左右します。
具体例を挙げます。
●LED照明の段階的導入
全館一括更新ではなく、共用部・トイレ・階段エリア、テナント入れ替え時の入居工事と合わせて、照明器具のLED化を進める。これにより、消費電力を当該入替部分について約30%削減。年間の電気代の負担も低下し、テナント側には「実質賃料の抑制」として好感される効果をもたらします。
●空調フィルター清掃・交換の徹底
大規模な空調リニューアルに踏み切らなくても、フィルターの月次清掃・交換をルーティン化することで、運転効率を高め、室温の安定性を確保。結果として冷暖房コストを抑えられる。
これらはすべて、派手な設備更新をしなくても可能な「着実な改善」です。
4-3.機能性重視のリニューアル
当社が重視するのは、派手なデザイン刷新ではなく、細部の機能維持・更新です。
既存仕様を最大限活用しながら、必要最低限の手を加えることで、コスト効率を高めつつ、現場の満足度を上げていきます。
代表的な実務対応例を挙げます。
●局所補修と再塗装
壁や天井の一部に生じた傷・剥がれに対し、フロア全体の塗装ではなく、部分補修+部分塗装で対応。工期も短縮でき、無駄なコストを抑えつつ清潔感を保つことができます。
●部分的な床材貼り替え
例えば、執務室入口のマット部や、エレベーターホール前のタイル部分など、損耗が激しい箇所だけを重点的に貼り替え。全面リニューアルよりも格段に安価で、ビル全体の印象をリフレッシュできます。
さらに、設備・建物の信頼感を高めるためには、地道な定期点検と清掃が何より効果的です。
・エントランス・トイレ等、使用頻度が高い共用部の週次拭き掃除
・給排水配管の月次漏水チェック
こうした小さな積み重ねが、テナントに対して「このビルはしっかり管理されている」という安心感を与えるのです。
4-4.共用部・動線改善による無意識レベルの差別化
賃貸オフィスビル選定の際、テナント側が重視するのは必ずしも物件のスペック表の数字だけではありません。
案内体験時に感じる無意識レベルの「好感度」が、成約の大きな分岐点になります。
当社では、小規模ビルでも取り組める改善策として、以下を重視しています。
●明快なサイン計画
フロアインジケーターや誘導矢印を設置し、訪問者・テナント従業員が迷わない動線を確保します。特に、エレベーターホールから執務室までの動線案内は、最小限のコストで大きな効果を生みます。
●動線上の照度維持と清掃強化
階段・通路の照明をLED化し、明るさを確保。併せて、手すりや床の拭き掃除を重点的に行い、見えない部分での清潔感を演出します。
これにより、案内時にテナント担当者が無意識に感じる「管理状態への信頼感」を高め、成約率向上に直結させる狙いがあります。
第5章:なぜオーナーは変化に即応できないのか――現場と経営の静かなギャップ
賃貸オフィスビル経営において、テナント需要の変化や市場環境の揺らぎは、小さな波のように確実に押し寄せています。市場が安定しているように見える今でも、現場では微細な変化が積み重なり、「ズレ」が発生し、「選ばれるビル」と「選ばれないビル」の差を静かに広げつつあります。
その変化に対して、オーナー側の対応が遅れる理由は、単純な怠慢でも、無関心でもありません。むしろ、多くのオーナーは状況を何となく理解しながらも、動けずにいるのが実情なのです。
本章では、「なぜ動けないのか」という根本原因を掘り下げ、実務改善へのヒントを整理します。
5-1.「静かな変化」への感度の低下
賃貸ビル運営に携わっていると、どうしても「日常が続く」という感覚に陥りがちです。
・いままではこの条件で決まっていた
・いままではこの清掃水準で問題なかった
・いままではこの程度の案内対応で十分だった
こうした「これまでと同じ」感覚は、安定している時期には合理的でもあります。
しかし、現実には、市場の揺らぎが着実に進行しています。テナントのオフィスに対する考え方、入居基準の微妙な変化(省エネ志向、快適性重視)といった、「小さな変化」に感度を持てるかどうかが、静かな「ズレ」を生み出す第一歩になります。
5-2.「現場からの情報」に対する受け止め方の歪み
たとえ現場から小さな異変の兆候が上がってきても、オーナー側でそれをどう受け止めるかによって、対応の質は大きく分かれます。
典型的なパターンはこうです。
【現場】:
「案内の反応が鈍くなってきた」
「フリーレント交渉が前より強気になった」
案内時のフィードバック傾向の変化(ちょっとした使い勝手への不満点の指摘が増加)
【オーナー受け止め】:
「たまたまだろう」
「今すぐ動くほどではない」
つまり、小さな異変を大きな問題と認識できず、軽視してしまうのです。
この「受け止め方の歪み」が、変化への初動を遅らせ、さらにズレを拡大させる原因になっています。
・何かが大きく壊れるまで、動かない
・気づいた時には手遅れ
こうした事態を避けるためには、
現場から上がる違和感を、「小さいからこそ早く動くべきシグナル」と捉える視点が不可欠です。
5-3.「分かっていても動けない」オーナー心理の正体
では、仮に状況を正しく理解していたとして、
なぜオーナーは動けない、あるいは動かないことがあるのでしょうか。
そもそも、小さな異変に対する対応は、その場限りのものではありません。
たとえ個々の打ち手が小さな改善に過ぎないとしても、
小さな異変の正しい認識に基づき、中期的に「ズレ」を修正し、正しい方向へ事態を収束させていくべきものである――この点について、オーナー自身は、たとえ明確に言語化していなくても、直感的には理解しているはずです。
にもかかわらず、小さな異変を認識し、その改善の意義も分かっていながら、なぜ動くことができないのでしょうか。
その背景には、次のような現実的な内面要因が複雑に絡み合っています。
(1)対応するリソース不足
時間、人手、予算といったリソースが常に逼迫しており、
「分かってはいても、手が回らない」という切実な事情が存在します。
優先順位を付ける中で、目先のトラブル対応やコスト管理に追われ、小さな異変に対する小さな改善は、どうしても後回しにされがちです。
(2)効果への確信の欠如
たとえば、
「サインを一枚直しても、成約が決まる保証はない」
「募集資料の写真を更新しても、本当に効果が出るか分からない」
といった、効果がすぐには可視化されにくい改善に対して、
慎重姿勢が強まり、結果として動きを止めてしまう心理メカニズムが働きます。
(3)小さなことを軽視する感情バイアス
さらに、無意識のうちに、
「そんな小さなことに手間をかけるのは無駄だ」
「もっと大きなリノベーションや抜本策の方が意味がある」
といった感情バイアスに引きずられ、
本来であれば重要な「小さな改善」を格下扱いしてしまう傾向も見られます。
これらの要因が複合的に絡み合い、
状況も理解している、やるべきことも分かっている、にもかかわらず、動けない・動かないという現象が生まれているのです。
第6章:変わり続ける前提に応じた、小さな実務更新を積み重ねる
賃貸オフィスビル経営は、安定しているように見える局面であっても、
テナント側のニーズや市場環境の微細な変化によって、静かに地殻変動が進んでいます。
こうした変化は、賃貸ビル市場全体のデータには現れにくいものの、確実に蓄積していきます。
この静かな変化に対して、オーナーがビル管理会社と連携して実務において、どれだけ柔軟に対応できるか――
そこが、これからの競争力を左右します。
本章では、派手な改革ではなく、小さな実務更新を着実に積み重ねるための考え方を整理します。
6-1.「今まで通り」では通用しないことを前提にする
賃貸オフィスビル運営において、つい「これまでと同じで問題なかったから、今回も大丈夫だろう」と考えてしまいがちです。
しかし、実際には市場環境もテナントの価値観も、目に見えないレベルでじわじわと変化しています。
例えば、
・賃貸借契約における細かな条件(保証金水準、更新料の有無など)に対する要求がシビアになってきた
・オフィスの「使い勝手」への期待水準が上がり、従来より細かい不満が出やすくなった
こうした変化は、単発では大きな影響を及ぼしません。
しかし、対応を後回しにすると、じわじわと競争力の低下に直結していきます。
つまり、
「今まで通り」こそがリスクである、という認識に立つ必要があるのです。
6-2.募集条件の微調整と対抗物件比較の地道な積み重ね
空室募集においても、細かな条件設定の見直しが欠かせません。
単に以前と同じ条件をコピーするのではなく、最新の競争環境とのズレをきちんと検証する姿勢が重要です。
具体的には、
・保有賃貸オフィスビルの仕様(面積、設備スペック、共用部整備状況など)を正確に整理し、
・同エリア内で競合する対抗物件の賃料水準を、仕様を踏まえての比較
・賃料単価、保証金、更新料といった条件が、過不足なく市場水準と整合しているかを確認
これらの作業をビル管理会社と連携して進めることによって、
保有賃貸オフィスビルのどのポイントに強みがあり、どの点で微修正が必要かを見極めることができます。
この地道な調整の積み重ねが、
「成約スピードが鈍る前に、食い止める」ための実務基盤になります。
6-3.運営品質の維持と即応の地道な実践
賃貸オフィスビル運営における日常のメンテナンスも、
「当たり前のことを、当たり前に続ける」ことが最大の差別化ポイントになります。
・ビル管理会社の月次レポートで清掃状況や設備点検の結果を確認する
・ビル管理会社の担当が巡回時に発見した小さな修繕ポイント(たとえば、蛍光灯切れや床材の浮きなど)に対する即対応を徹底する
・設備不具合が起きた場合には、応急対応だけでなく、再発防止まで視野に入れて措置を検討するよう、ビル管理会社と意思統一する
これらは一つ一つは地味な作業です。
しかし、こうした地道な運営管理の積み重ねが、テナントからの信頼感につながり、
結果として空室リスクの低減につながっていきます。
特別な新施策を打ち出す必要はありません。
既存の仕様・水準を、ぶらさずに、きちんと維持していくことこそが、静かな市場変動に耐える実務対応です。
まとめ
変化が大きく見えないからこそ、
オーナー自身が「小さな変化を前提とした柔軟な運営感覚」を共有することが求められます。
・今まで通りを疑う力
・募集条件の微調整を怠らない姿勢
・日常管理の地道な即応力
これらを丁寧に積み上げていくことが、
結果的にビルの競争力を守り抜く力になります。
大きな変化を待つのではなく、
日々の「小さな更新」を静かに続ける――
それがこれからのオーナーにとっても、最も重要な実務基盤となるのです。
第7章:静かに、しかし着実に備える――安定市場におけるオーナー実務の深化
賃貸オフィスビル市場は一見安定しているように見えますが、
その内側では、テナントニーズの変化、コスト構造の揺らぎ、競争環境の微妙な変化が、静かに進行しています。
これらに対して、大きな改革を打ち出すことだけが対応策ではありません。
むしろ、安定市場だからこそ必要なのは、「静かに、しかし確実に備える」オーナー実務です。
本章では、その備え方を、具体的に整理していきます。
7-1.「守るべきもの」と「見直すべきもの」を区別する
すべてを刷新する必要はありません。
ビルの資産価値や運営方針にとって、
守るべきものと、見直すべきものを峻別する視点が必要です。
建物自体の基本スペック(構造、立地、基本設備)は大きく変わらない
一方で、
・募集条件の表現
・空室募集の初動スピード
・日常管理オペレーション
これらの「運用に属する部分」は、時代や市場に応じて柔軟に見直すべき対象となります。
安定市場では、守るべきコアと、変えるべきフローを冷静に切り分ける目が求められるのです。
7-2.小さな改善を継続するための実務視点
静かな市場変動に対応するために、必要なのは「特別な施策」ではありません。
むしろ、
・空室時のリーシング条件レビュー
・いつもの共用部・設備点検を踏まえた必要補修のとりまとめ
・日常運営における即応型の小修繕対応
といった、小さなサイクルを地道に回し続けることが、本質的な備えになります。
大きな変化を待ってから動くのではなく、
「変わり続けることを前提に、微修正を積み重ねる運営感覚」こそが、
長期的な資産価値維持・空室リスク抑制に直結します。
7-3.変化を前提とした「耐性」を静かに育てる
安定しているように見える東京の賃貸オフィスビル市場でも、テナント需要の揺らぎ、コスト構造の変化、法律・制度の改定など、外部環境要因は静かに、しかし確実に変わっていきます。
これに対して必要なのは、
・「変わらないこと」を前提に運営することではなく、
・「変わること」を前提に耐性を育てていくこと
です。
小さな点検、小さな補修、小さな条件見直し――
それらを積み上げることで、いざというときに柔軟に対応できる「運営耐性」を築くことができます。
これが、安定市場における真のリスクヘッジになります。
まとめ
オフィスビル市場の安定は、変化を無視してよいということではありません。
むしろ、
・小さな変化を前提に、
・小さな改善を積み重ね、
・静かに耐性を育てる。
この地道な実務感覚が、これからのオーナーに求められます。
──賃貸オフィスビルの運営は、不動産だと思っているだけでは間違う。本当は、ちょこちょこ動き続けなければいけない仕事なのだ。
地味でありながら確実な運営改善の積み重ねこそが、選ばれ続けるビルを育てていくのです。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2025年12月16日執筆