『契約更新時の賃料アップ交渉術|テナントの納得を引き出す秘訣』
皆さん、こんにちは。
株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事は「契約更新時の賃料アップ交渉術|テナントの納得を引き出す秘訣」のタイトルで、2025年12月19日に執筆しています。
少しでも、皆様にお役に立てる記事にできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめに:賃料アップ交渉は難しいのか?
賃貸オフィスビルのオーナー/管理会社にとって、「契約更新時の賃料アップ」は、頭の痛い問題のひとつです。
東京のオフィスマーケットは、空室率の変動、景気の動向、周辺相場の変化など、さまざまな要因に左右されます。とりわけ築年数が経過したビルや中小規模の賃貸物件では、値上げを切り出した途端に、テナントが「退去」をちらつかせるケースも珍しくありません。
こうした場面に直面すると、特に担当ベースでは「賃料を上げたいが、テナントの退去リスクが怖くて交渉に踏み込めない」というジレンマに陥りがちです。
しかし、果たして本当に賃料アップは、それほどリスクの高い交渉なのでしょうか?
実際の現場では、「値上げ=即退去」という構図が常に成立するわけではありません。むしろ、市場より割安な水準の賃料で安易に妥協して更新してしまうことで、その賃貸オフィスビルの資産価値を自ら毀損することになる、という側面も見逃せません。
だからこそ、客観的な視点を持ち、冷静に交渉を設計し、テナントに納得感を与えながら、退去を招くことなく契約を維持しつつ、適正な賃料水準への調整を実現していく。そのための現実的なアプローチを、本コラムでは取り上げたいと思います。
「値上げ=退去」の誤解を払拭する交渉術とは?
本コラムの目的は、単に「値上げを成功させるテクニック」を伝えることではありません。むしろ、テナント側の心理を深く理解し、交渉のタイミング、客観的データ活用、合理的な説明方法など、実務の現場で使えるリアルな交渉術を整理して提供することです。
交渉術のベースになるのは、「客観性」「合理性」「フェアネス(公平性)」という3つの視点です。これらを押さえることで、テナント側が「納得できる値上げ交渉」を進めることが可能になります。
これから述べる章立てを通じて、実際に成功した事例、心理学的アプローチ、市場相場の活用法、そして実務でのコミュニケーション方法まで具体的に解説します。
賃料アップ交渉は、やり方次第で「テナントの不満を高めるリスク」にも、「テナントからの信頼を得るチャンス」にもなり得るものです。このコラムを読んでいただくことで、現実的で効果的な交渉手法を身につけ、自信を持ってテナントとの契約更新交渉に臨んでいただければ幸いです。
それでは次章から、具体的な内容を順に見ていきましょう。
第1章:なぜテナントは賃料アップを拒否するのか?(心理分析)
賃料アップを嫌がるテナントの心理とは?
賃料アップ交渉の場で、テナント企業の担当者が真っ先に考えるのは「コスト増による損失感」です。
特に中小規模のオフィスビルに入居する企業は、大手企業ほど潤沢な経営資源を持たない場合が多く、少しの値上げであっても「コスト圧迫」として敏感に反応します。実際にはわずかな金額の差であったとしても、心理的にはそれ以上の抵抗感を生じてしまうものです。
この背景には、「プロスペクト理論」と呼ばれる行動経済学の重要な考え方があります。人は利益を得る喜びよりも、損失を被る苦痛の方を約2倍強く感じると言われています。
たとえば、テナントが年間500万円の賃料を支払っているとして、年間20万円(月額約1万6千円)の値上げを求められた場合、金額としては全体の4%ほどに過ぎません。しかしテナント側は、この「年間20万円の支出増」を実際以上に重く感じ、心理的な抵抗感が生まれるのです。
テナントの心理的抵抗を和らげるポイントとは?
では、このような心理的抵抗を少しでも軽減するには、どのような対応が効果的でしょうか。
ポイントは以下の3つに集約されます。
①「値上げの根拠」を明確に示す
テナントが最も嫌うのは、値上げが「根拠がない」「納得できない」と感じることです。
「周辺相場が上がっている」「継続的に設備投資をしている」など、テナントが納得できる「具体的で客観的な根拠」を示すことが、心理的抵抗感を大きく和らげます。
②「納得感」を重視し、唐突感を避ける
値上げを突然突きつけられると、テナント側の抵抗感は倍増します。
そのため、更新時期の前段階から一定期間の予告をし、心理的な準備期間を与えることで、テナントは感情的な拒否感を軽減できます。
例えば、契約更新の半年~3か月前に「次回更新時には市場相場に基づき若干の調整を予定しています」と伝えておくだけでも、テナント側は心の準備を行うことができます。
③「協議の結果、譲歩を引き出した」と感じさせることで、テナントに“心理的コントロール感”を与える
テナントが「一方的に値上げを押し付けられた」と感じると、その瞬間に強い拒否反応が生まれます。
そこで有効なのが、テナント側に「選択肢があった」「協議の中で自分たちが一定の譲歩を引き出した」と感じさせる工夫です。これは、交渉の主導権を完全に奪うのではなく、一定の“心理的コントロール感”をテナントに持たせるというアプローチです。
詳しくは後ほど、説明しますが、たとえば以下のような提示が考えられます。
・「周辺相場と比べて控えめな上昇幅にとどめている」
・「賃料引き上げの適用を半年後に繰り延べる」
・「段階的にアップしていく選択肢を用意している」
こうした選択肢を事前に用意し、「ご相談の結果、この範囲で調整できるご提案です」と伝えることで、テナント側は「交渉の中で譲歩を勝ち取った」と自然に感じるようになります。
結果として、値上げに対する抵抗感や損失感が和らぎ、「押し付けられた」というネガティブな印象を抑えることができます。
テナントの心理を踏まえた交渉が「成功の第一歩」
テナントが賃料アップを嫌がる理由は、決して単なる金銭的負担だけではありません。
心理的な抵抗感や「理不尽さ」「一方的である」という印象が大きな原因となっています。
したがって、テナントの心理をしっかり把握し、具体的な根拠を提示しつつ、段階的な告知や選択肢提示による納得感の演出が賃料アップ交渉成功の鍵です。
次章からは、具体的にどのように客観的データを交渉に使えば効果的か、具体的なテクニックや事例を解説していきます。
第2章:「市場環境」を味方にする交渉術
賃料アップ交渉の成否を分ける鍵のひとつは、客観的な市場環境データを上手に使えるかどうかです。特に築30年前後の中小型のグレードがさほど高くない賃貸オフィスビルの場合、テナント側から「なぜ値上げするのか?」という明確な根拠を求められることが少なくありません。その際、感覚的な説明ではなく、市場の具体的な数字や指標を提示できると、テナントも納得しやすくなります。
本章では、東京の主要5区(千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区)の築古・中小型・賃貸オフィスビルを想定し、客観的な市場データを活用した賃料交渉のポイントをご紹介します。
①市場賃料相場データの効果的な使い方
賃料交渉で特に説得力があるのは、市場相場との比較です。まず、対象ビルと同じエリア、規模、築年帯の物件の賃料相場を把握するところからスタートします。
例えば、『三幸エステート』のオフィスマーケットレポート(2025年第1四半期)によると、東京の主要5区における築30年程度・Cグレード以下のビルは、市場平均賃料が直近四半期で約4.5%上昇し、坪単価で約18,924円に達しています。特に2024年後半から需給が逼迫し、明確な上昇トレンドが続いています。
さらに、『日経新聞』がオフィス仲介大手4社への聞き取り調査を基にまとめたデータによると、以下のエリアの既存ビルの募集賃料は前年と比較して上昇しています。
| エリア | 既存ビル坪単価 | 前年同期比(騰落率) | 市場コメント |
|---|---|---|---|
| 神田駅周辺 | 11,000~33,000円 | △ (5%未満の上昇) | 需要が回復し空室が少ない |
| 水道橋・飯田橋・市ヶ谷 | 9,000~35,000円 | △△△ (10%以上の上昇) | 空室面積が少ない。新築への移転例も |
| 八重洲・京橋・日本橋 | 11,000~55,000円 | △△△ (10%以上の上昇) | 既存ビルの募集が減少、強気の賃料設定 |
| 八丁堀・茅場町 | 10,000~33,000円 | △△△ (10%以上の上昇) | 空室消化が進展、需給が引き締まる傾向 |
当社の場合、公表されている数値に、独自の調査で補足した上で、データを取りまとめています。
このように、市場データを提示する際には、「当ビルと同じような既存物件」の相場感を具体的に示すことで、賃料アップの説得力が増します。
②客観的指標を交渉材料として示すタイミングとテクニック
市場データを示すのに適したタイミングは、契約更新の約半年前です。更新の直前に提示するのではなく、テナント側が予算的に準備をするための時間的余裕を持てるように配慮すると、交渉がスムーズに進みます。
また、データ提示時には、いきなり数値を伝えるのではなく、以下のようなストーリー仕立てで説明すると効果的です。
「最近、当エリア全体の需給状況が引き締まっています。特に近隣エリアでは、既存ビルの募集賃料が前年と比べて10%以上も上昇していることが報告されています。
例えば八重洲・京橋・日本橋エリアでは既存ビルの募集が減少し、賃料が大幅に上昇しています。幸いにも、現在の当ビルの賃料は相場に比べて割安な状態でご提供していますが、市場環境との乖離を適正な範囲内に保つためにも、今回の改定をお願いしたいと思います。」
このような丁寧な状況説明の後にデータを示すことで、テナント側が「単なる値上げ」ではなく、「妥当な価格調整」と感じられるようになります。
③「値上げの根拠」の示し方と事例紹介
賃料交渉では、「なぜ値上げをするのか?」という根拠が最も重要になります。特に築古ビルのテナントからは、「古いのになぜ値上げなのか?」という疑問が出ることも少なくありません。その際に、「市場環境」を中心に客観的な根拠を示すことが有効です。
実際の交渉成功事例をご紹介します。
東京都中央区(八丁堀)の築約30年のCグレードビルのオーナーは、テナント企業との契約更新交渉に際し、「市場環境を根拠とした交渉」を実践しました。
オーナーは日経新聞のデータを使い、「八丁堀エリアでは既存ビルの募集賃料が前年より10%以上上昇している」と提示しました。さらに、三幸エステートのレポートを併用し、「同エリアの空室率が約3%まで低下し、需給が非常に逼迫している」と説明しました。
テナント側はこの明確なデータによる説明に対して、「社内稟議を通しやすい明確な根拠が示された」として、値上げを受け入れました。
このように、客観的な市場環境データを明確に示すことができれば、テナントも社内で説得がしやすくなり、交渉がスムーズに進むケースが増えます。
市場データを味方につけることができれば、オーナー/ビル管理会社はテナントの理解を得やすく、賃料アップを円滑に進められるようになります。客観的な数字を示した説得力ある交渉術を使い、「値上げ=退去」というテナントのマインド・セットを修正していきましょう。
第3章:「自然な賃料アップ」を実現する日頃の取り組み
築30年前後の中小型の賃貸オフィスビルにおいては、日頃から価値を保つための細かな取り組みを淡々と続けることが欠かせません。
こうした「日常的な小さな取り組み」が自然に積み重なることで、結果としてビルの価値が維持され、相場に見合った賃料を無理なく得られるようになります。
本章では、この緩やかで自然なロジックに基づいた、賃料アップの土台となる日常的な実務について整理していきます。
①日常的な小さな取り組みが、緩やかに価値を維持する
築古の賃貸オフィスビルにおいて重要なのは、長期修繕計画に基づく大規模な改修・設備更新だけではありません。
むしろ、日頃の地道で細かな改善や管理を、ブレずに積み重ねていくことのほうが、テナントにとって“実感”として伝わりやすいものです。
たとえば、以下のような日常対応が挙げられます。
・老朽化が見え始めた箇所を放置せず、軽微なうちに対応する
・日常的な清掃や小修繕を確実に行う
・設備の簡易なメンテナンスを定期的に実施する
こうした取り組みを日常的に続けることで、「築年数のわりに古さを感じさせない」「どことなく居心地がよい」という自然な評価につながります。
その結果、テナント側にも「このビルであれば、この賃料は妥当」と感じてもらえる状態が、少しずつ形成されていきます。
②賃料アップ交渉は、市場との「自然な調整」に過ぎない
賃料アップ交渉とは、契約更新を利用してテナントに値上げを納得させる“説得”のプロセスではありません。
ビルの価値が適切に維持されていれば、交渉自体も単なる「市場相場に合わせた調整」という、極めて自然なやりとりになります。
実際の交渉でも、以下のようなシンプルな言葉で十分です:
「周辺市場の賃料が上昇していますので、今回の契約更新では市場水準に合わせて適正に調整させていただきます。」
テナント側も、日常の利用を通じて感じているビルの印象と、提示された賃料とを照らし合わせ、「そのくらいなら妥当」と自然に納得できる範囲であれば、交渉が無理なく成立する可能性が高まります。
③「自然な納得」を生むコミュニケーションの姿勢
賃料交渉の場面で、オーナー/ビル管理会社が特別なアピールを試みる必要はありません。むしろ、日頃の管理業務において、誠実で丁寧な対応を積み重ねることこそが、ビルに対する信頼感を育てる土台となります。そうした日常的な信頼の積み重ねが、「このビルであれば、この賃料でも納得できる」という自然な感覚を、テナントの中に育んでいくのです。
理想は、「言葉で説明せずとも、日々のやりとりの中で伝わっている状態」です。
ビルの手入れが行き届いていること、トラブルがあったときの対応が早いこと、日常のコミュニケーションが誠実であること――。
こうした積み重ねが、テナントとの信頼関係の基盤になります。
【この章のまとめ】
築古の中小型・賃貸オフィスビルであっても、日頃の地道な管理や小さな改善の積み重ねによって、ビルの価値は自然と保たれていきます。
そしてその積み重ねが、テナントにとっての「納得できる賃料」の土台になります。
賃料アップ交渉をオーナー都合の押し付けではなく、価値の維持と適正な相場調整の延長線上で、自然と成立するものとして捉えていく。
そんなスタンスが、テナントとの健全な関係を保ちながら、長期的な安定経営を実現する鍵になるのではないでしょうか。
第4章:「予告」と「段階的アップ」という交渉テクニック
賃料の改定交渉をスムーズに進めるためには、「伝え方」や「提示方法」に工夫が必要です。特に、賃料アップを一度に大きく提示すると、テナントが心理的抵抗を感じやすくなります。テナント側の「抵抗感」を和らげ、賃料改定を自然に受け入れやすくするためには、「予告」と「段階的アップ」という二つの交渉テクニックが非常に効果的です。
本章では、これらの交渉テクニックを具体的に解説し、賃料交渉の実践的なポイントを紹介します。
①急な値上げ提示を避ける「予告」の重要性
賃料改定をテナントに提示するときに、避けるべきなのは「突然、大幅な値上げを伝えること」です。人間は予期しない変化に対して大きな抵抗感を持つため、突然の提示は交渉を難しくするだけです。
そこで重要になるのが、「予告」というテクニックです。予告は、賃料改定の数か月前(理想的には6か月~1年前)に「市場の状況を踏まえて、次回の更新時には賃料を見直しさせていただく可能性があります」と伝えておくことです。
こうすることで、テナントは事前に賃料改定の心積もりができ、社内で予算を調整したり、意思決定の準備を整えたりする余裕を持つことができます。突然提示するのではなく、徐々に情報を開示していくことで、交渉の心理的なハードルを下げることができます。
②テナントが受け入れやすい「段階的アップ」の手法
一度に大きく賃料を上げるより、段階的に賃料をアップさせる方がテナントにとって受け入れやすくなります。特に、市場との乖離が大きく、一度に大きな賃料改定が必要になるケースでは、段階的アップが非常に有効です。
具体的には、以下のような方法が挙げられます。
例1:「二段階アップ」:「一定期間猶予後のアップ」
・契約更新時に半分の上昇幅で提示し、次回の更新時に残りの半分を調整。
・例えば、市場相場との差が坪3,000円なら、次回更新時に1,500円アップし、翌年にさらに1,500円アップを行う。
例2:「一定期間猶予後のアップ」
・契約更新時には現在の賃料を維持し、一定期間(半年や1年)の猶予期間を設け、その後に相場に調整する。
・テナントは予算調整の猶予ができるため、心理的抵抗が少なくなります。
段階的アップは、テナント側に「時間的余裕」を与えることで心理的な負担感を軽減し、賃料改定の受け入れをスムーズにします。
③心理的テクニック:「アンカリング効果」を上手に活用する
賃料交渉において非常に有効な心理テクニックに「アンカリング効果」があります。アンカリングとは、「最初に提示された数字が基準となり、その後の判断に強く影響する」という心理現象です。
交渉での具体的な活用例は以下の通りです。
・最初に「市場相場との差額」を大きく提示し、最終的な交渉ではその差額をやや緩める。
・例えば、最初に「市場との差が坪4,000円ほど開いています」と伝え、最終的な提示では3,000円のアップで交渉を進めると、テナントは「当初より1,000円安くなった」と感じ、受け入れやすくなります。
また、段階的アップの提示でもアンカリング効果を応用できます。
・例えば「本来であれば今回の更新で一気に坪3,000円の値上げをお願いしたいところですが、今回は半額の1,500円の値上げにとどめ、残りは来年度の更新時に調整させていただきます。」と伝えることで、テナントに心理的な「得をした感覚」を与えやすくなります。
こうした心理的テクニックを交渉プロセスに自然に組み込むことで、テナント側の受け入れ意識を高め、賃料アップ交渉を成功させやすくなります。
第5章:「関係性維持」を重視したコミュニケーション術
賃料交渉を成功させる上で最も重要な要素の一つは、テナントとの良好な「関係性」を維持することです。ビル管理会社がどれだけ客観的な市場データを持っていても、普段からのコミュニケーションに難があると、交渉時にテナントは値上げ要請を「対立」と受け取り、受け入れに抵抗を感じるようになります。
しかし、「良好な関係性」とは、際限なく、テナントとの距離感を詰めていくことでも、コミュニケーションの頻度を高めることでもありません。「自然で程よい距離感を保ちつつ、日常的なコミュニケーションがごく自然に行われている状態」を指します。本章では、この「自然な関係性」の中で行う賃料交渉術について解説します。
①テナントとの「自然な関係性」を築くための基本姿勢
良好な関係性とは、テナントに媚びることではありません。親密さを追い求めるのではなく、「自然体で、お互いに一定の距離感を保ちながら信頼感を維持できている」という状態です。
具体的には、次のようなポイントを意識します。
・普段から、事務的でも丁寧で適切な対応を心掛ける。
・テナントから相談があった場合には迅速かつ的確に対応する。
・こちらから積極的にコミュニケーションを取るというより、テナントが何か困ったときや要望があるときにスムーズに相談できる関係を作っておく。
このように自然体で程よい距離感の関係性を築いておくことで、賃料アップ交渉時の対話が自然な「調整」へとつながります。
②賃料交渉前に行うべき準備(コミュニケーション施策)
賃料交渉に臨む前には、あらかじめテナントの経営状況や社内事情をある程度把握しておくことが理想です。基礎的な情報としては、帝国データバンクのレポートなどのレファレンス情報に目を通し、上場企業であればIR資料なども確認しておくのが基本です。ただし、特別な調査を行ったり、あからさまな聞き取りをするのではなく、こうした情報は日常的なコミュニケーションの延長で、自然に把握できる状態をつくっておくことが望ましいでしょう。
例えば、次のような機会を活用して、自然にテナントの状況を把握します。
・日常的な施設点検や管理対応時に、テナント担当者と軽く会話をする。
・「何か最近お困りのことはありませんか?」など、管理上の相談ごとをきっかけに、自然にテナント側の近況を聞く。
このような自然なコミュニケーションを通じて、テナントの社内状況や業績傾向、移転検討の有無などがそれとなく見えてくることがあります。こうした情報を把握できていると、交渉時における適切なタイミングや伝え方のヒントになります。
③交渉を「対立」から「自然な調整」へと転換する会話術
交渉時の言葉の選び方や表現の仕方によって、テナントが抱く印象は大きく変わります。ここで重要なのは、交渉を「対立」や「駆け引き」ではなく、「市場に基づく自然な調整」としてテナントに感じてもらうことです。
そのためには以下のような表現が効果的です。
・「賃料を値上げさせていただきます」ではなく、
「市場の状況に合わせて、賃料を適正な水準に調整させていただきます。」
・「値上げを受け入れてほしい」という要求調ではなく、
「市場とのバランスを考えて、このくらいの水準が妥当ではないかと思いますが、いかがでしょうか?」という協調型の提案調にします。
・テナントの抵抗感が強い場合は、
「無理なご負担にならない範囲で調整したいと考えていますので、一緒に妥当なラインを探りましょう。」など、あくまで「調整・相談」のスタンスを維持します。
このように会話を進めることで、交渉が「対立」ではなく「自然な調整」に近づき、テナント側の心理的抵抗も軽減されます。
第6章:実践ケーススタディで学ぶ「賃料アップ交渉」
本章では、築古・中小型の賃貸オフィスビルにおいて実際に行われた賃料アップ交渉の成功・失敗事例をケーススタディとして取り上げます。各ケースから、どのような交渉の進め方が有効で、逆にどんな対応が失敗につながったのかを具体的に分析し、実務的な改善ポイントを明確にします。
【ケース1:成功事例】「市場データ」と「段階的アップ」の組み合わせが功を奏した例
概要
東京都中央区(八丁堀)の築32年・延床約150坪の賃貸オフィスビルで、更新時に坪当たり3,000円の賃料アップを目指した事例です。
交渉プロセス
ビル管理会社は契約更新の約1年前から「賃料の見直し可能性」をテナント企業(材料系商社、従業員数約50名)に対して緩やかに予告しました。そして更新の半年前に、三幸エステートのレポートに加えて、当社独自に調査した市場データ(同エリア既存ビルの賃料が前年比10%以上上昇)を提示しました。
一方で、テナント側の担当者が「一度に坪3,000円の値上げは社内稟議が通りにくい」と懸念を示したため、ビル管理会社は「段階的アップ(初年度1,500円アップ、その翌年にさらに1,500円アップ)」の妥協案を提案しました。
結果
テナント側は「市場状況を客観的に理解できたこと」と「段階的アップで社内説明が容易になった」ことを評価し、この妥協案を受け入れました。
成功要因と改善ポイント
【成功要因】
・市場データを早期から提示し、納得感を形成したこと。
・段階的アップによりテナント側の心理的抵抗を和らげたこと。
【改善ポイント】
・予告の段階で具体的な金額まで踏み込めば、さらに交渉の時間を短縮できた可能性あり。
【ケース2:成功事例】「自然な関係性」が交渉を円滑に進めた例
概要
東京都千代田区(神田)の築30年・約200坪の賃貸オフィスビルで、更新時に坪2,000円の値上げを提示したケースです。
交渉プロセス
このビルの管理担当者は、日頃から過度に親密なコミュニケーションは取らず、しかし設備の不具合対応などの要望には迅速かつ的確に対応していました。
交渉においても、値上げ理由を淡々と「市場動向に基づく適正賃料への調整」として提示しました。テナント企業(専門サービス業、従業員数30名)も、市場環境を理解した上で比較的容易に了承しました。
結果
ほとんど抵抗感なく値上げを受け入れてもらうことに成功しました。
成功要因と改善ポイント
【成功要因】
・日常の自然で適切な対応によりテナントとの信頼関係が築かれていた。
・値上げを「特別なもの」とせず、自然な調整として淡々と提示したことでテナント側がスムーズに納得できた。
【改善ポイント】
・テナント側から「もう少し事前に細かな資料があると社内調整がさらに容易になる」との声があり、提示資料の充実はさらなる改善点。
【ケース3:失敗事例】「急な値上げ提示」が抵抗感を生み、交渉が決裂した例
概要
東京都港区(芝・三田)の築約28年・約100坪の賃貸オフィスビルで、更新時に市場環境に伴う値上げ(坪2,500円アップ)を提示したものの、テナントから拒否され、交渉が決裂したケースです。
交渉プロセス
ビル管理会社がテナント(貿易関連企業、従業員数約40名)に値上げを提示したのは契約更新のわずか2か月前でした。日常的にコミュニケーションも希薄であったため、テナント側は唐突感を強く感じました。
ビル管理会社は市場環境の説明をしましたが、テナント企業は予算調整が間に合わず、「急な提示で対応が難しい」として値上げを拒否。双方折り合わず、結局テナントは退去を決定しました。
失敗要因と改善ポイント
【失敗要因】
・値上げの予告をせず、直前での突然の提示となった。
・普段のコミュニケーションが不足し、テナント側の事情を理解できていなかった。
【改善ポイント】
・早い段階(半年~1年前)での予告を徹底すべきだった。
・日頃から最低限のコミュニケーションを確保しておくことで、テナントの状況を把握できていれば別のアプローチが可能だった。
第7章:チェックリストで見る「賃料アップ交渉」成功要件
賃料アップの交渉は、テクニックだけでなく「段取り」と「準備」で8割が決まるとも言えます。築古・中小型の賃貸オフィスビルにおいては、交渉の複雑さを最小限にとどめ、必要な準備を一つずつ丁寧に進めることが、交渉を円滑にし、無理なく賃料改定を実現するための王道です。
本章では、これまでの実務ポイントを整理し、交渉に向けた準備・提示・フォローの3ステップに分けたチェックリストとしてご紹介します。実際の交渉に臨む前の確認用ツールとして活用してください。
ステップ①:交渉前の準備チェックリスト
| 項目 | 確認内容 |
|---|---|
| 市場相場の把握 | 対象ビルと同規模・同築年帯の周辺ビルの賃料相場を調査したか |
| テナント事情の把握 | テナント企業の業況・直近の在籍人数・社内体制・キーマンなどを把握しているか |
| 予告の有無 | 賃料改定の可能性を、テナントに数か月前から伝えているか |
| 社内稟議への配慮 | テナントが社内で稟議を通しやすくなる資料や説明方法を用意したか |
| 適正な金額設定 | 市場と対象ビルの状態を踏まえた無理のない上げ幅を設定しているか |
ステップ②:提示時のポイント確認リスト
| 項目 | 確認内容 |
|---|---|
| タイミング | 契約更新の少なくとも3か月前には正式に提示しているか |
| 表現のトーン | 「一方的なお願い」ではなく「適正な調整」として落ち着いたトーンで伝えているか |
| 資料の整備 | 市場賃料の根拠資料(相場表、エリアデータなど)を添えているか |
| 段階的提案 | 一度に大きく上げず、段階的アップ案を用意しているか |
| 余地の確保 | 一定の交渉幅(条件の緩和余地)をあらかじめ確保しているか |
| テナントの反応への備え | 想定される反応(予算懸念・納得感不足など)に対して備えているか |
ステップ③:交渉後のフォロー体制確認リスト
| 項目 | 確認内容 |
|---|---|
| 文書での記録 | 交渉内容と合意事項をメール/書面で明確に残しているか |
| 社内共有 | ビル管理会社・オーナー間での情報共有と方針統一ができているか |
| 次回交渉への布石 | 次回の更新交渉を見据えた情報蓄積・フィードバックが整理されているか |
| テナント満足度の観察 | 交渉後のテナント対応(問い合わせ内容や態度変化など)を観察しているか |
| 改善点の洗い出し | 今回の交渉での反省点・改善点を次回に向けて記録しているか |
【この章のポイントまとめ】
●賃料交渉は、交渉時のトーク力よりも「準備と段取り」が勝負を決める。
●市場データ・テナント事情・伝え方の整備など、各フェーズで確認すべきポイントを事前に洗い出すことで、交渉の精度が高まる。
●一度の交渉で終わらせず、次回に向けた観察と記録を残すことが、長期的な安定収益につながる。
このチェックリストを活用しながら、対象ビルの状況やテナントの関係性に合わせた賃料交渉を、実務的かつ丁寧に進めていきましょう。価格調整という行為を「対立」ではなく、「管理業務の一環」として、淡々と誠実に行える体制づくりが、結果的に安定経営につながります。
おわりに:賃料アップ交渉を「怖がらずに向き合える」ために
築古・中小型の賃貸オフィスビルにおける賃料アップ交渉は、一見ハードルが高そうに見えるかもしれません。ですが、事前に正しく準備し、伝えるべきことを丁寧に伝えることによって、粛々と対応していくべきビル管理業務のひとつです。
実際、テナント側にとっても、周辺の相場が上昇していることや、ビルの維持管理にきちんと取り組んでいることが日頃から伝わっていれば、必ずしも強い抵抗を示すわけではありません。むしろ、「現状維持が当たり前」という意識にとらわれて過剰に慎重になりすぎることで、市場との乖離が進み、次回以降の調整がかえって難しくなることもあります。
本コラムで取り上げた通り、賃料アップ交渉を成功させるための鍵は、特別な交渉術ではなく、以下のような現実的で地に足のついた取り組みにあります:
・周辺の市場データを活用し、「値上げ」ではなく「適正化」として位置づけること
・築古の中小規模のビルであっても、日頃から価値を維持し、「特別なアピール」をせずとも納得される状態を整えておくこと
・「段階的アップ」や「事前予告」など、テナントの心理的抵抗を和らげる工夫を組み込むこと
・過度に踏み込みすぎず、かといって距離を置きすぎない、「自然体の関係性」を日々積み重ねていくこと
つまり、賃料アップ交渉とは、「嫌がられる行為」ではなく、ビルの価値を適正に保ち、テナントと健全な関係を続けるための必要な調整プロセスなのです。そこに求められるのは、感情的な駆け引きや過度な演出ではなく、冷静な準備と実務的な対応力、そして日常的な信頼の積み重ねです。
賃料アップ交渉を「リスク」ではなく「前向きな見直し」と捉え、無理のない形で実施していけるオーナー/ビル管理会社こそが、長期的に安定した賃貸経営を実現していくことができる――
本コラムが、その一歩を踏み出すためのヒントとなれば幸いです。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2025年12月19日執筆