「そこにあるから借りているだけ」というのは、ホントなの? ── テナント企業は賃貸オフィスのことを、どこまで真面目に考えているのか
皆さん、こんにちは。株式会社スペースライブラリの飯野です。
この記事は「そこにあるから借りているだけ」というのは、ホントなの?──テナント企業は賃貸オフィスのことを、どこまで真面目に考えているのか」というタイトルで、2026年2月9日に執筆しています。
少しでも、皆様に新たな気づきをもたらして、お役に立てる記事にできればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
序章:「そこにあるから借りてるだけ」なの?
賃貸オフィスビルの運営に携わっていると、ふと、不思議な感覚に襲われることがあります。
テナント企業にとって、賃貸オフィスは「なくては困る」インフラです。
明日から突然、その賃貸オフィスが使えなくなれば、営業も、バックオフィス事務も、採用も、会議も、ほとんどの業務が立ち行かなくなる。いわば、事業の基盤を支えている場所と言えます。
けれども、賃貸オフィスの現場で耳にする言葉や、社内の意思決定のされ方を見ていると、どうも、その“インフラ”としての重要性と、テナントの社内での扱われ方のあいだに、微妙なギャップがあるようにも感じられます。
「たまたま、そこに空いている物件があったから」
「予算の範囲で、いちばん条件が良かったから」
「社員から文句が出ていないので、今のところ大丈夫」
どれも、現場でよく聞かれるフレーズです。
もちろん、オフィス移転のたびに、経営方針を踏まえて、経営の哲学にまで立ち返った議論をしてほしい/しなくてはいけない、というつもりはありません。
ただ、「なくては困るインフラ」にしては、あまりに“その場しのぎ”の言葉が並んでいるな、という違和感は拭えないのです。
たとえば、製造業の会社において、工場のことであればどうでしょうか。
どのエリアに建てるのか。どのくらいの投資をして、どのような製造ラインを組んで、どのように人と設備を配置するのか。その工場を、10年後、20年後にどのように使っていくのか。こうした問いは、経営のど真ん中で議論されるはずです。
工場は、製造業の会社にとって、ビジネス上の競争力に直結するインフラだからです。
そこに「たまたま空いていたから」「予算的にちょうど良かったから」で決めて良いことなど、あり得ません。
しかし、賃貸オフィスになると、話は一気に軽くなっているように見受けられます。
さすがに、オフィスの立地については、経営会議で一定の議論が行われるかもしれません。
けれど、そのあとの賃貸条件の検討や、日々の運営、更新や解約の判断といった“インフラとしての運用”の部分は、多くの会社で「総務の仕事」として、一段下のレイヤーに落とされているのではないでしょうか。
賃貸オフィスはテナント企業にとって、「止まったら困るインフラ」であるにもかかわらず、社内の位置づけとしては“雑務の延長線上”に置かれやすい。
そのギャップが、現場でのコミュニケーションや交渉、ビル管理会社との関係性に、じわじわと影響を与えています。
オフィスは「そこにあるから借りているだけ」なのか。それとも、本来は工場や物流拠点と同じように、もっと真面目に向き合うべきインフラなのか。
このコラムでは、賃貸オフィスビルのビル管理会社という立場から、テナント企業が賃貸オフィスをどのように扱っているのか、その結果、どんな不都合が生まれる可能性があるのか、
そして、その前提を踏まえたうえで、貸主側(ビル・オーナー・ビル管理会社側)はどこまで付き合い、どこで線を引くべきなのか――
そんなことを、整理してみたいと思います。
第1章:賃貸オフィスに関連する社内の意思決定は、なぜ“隙間”に落ちるのか
序章で触れたとおり、賃貸オフィスは「止まったら困るインフラ」です。
それなのに、実務の世界をのぞいてみると、その扱われ方はどう見ても“インフラ級”ではない。
このギャップの正体を、まずは社内の意思決定プロセスから分解してみます。
1-1.賃貸オフィスの話には、本来いろんな部署が絡むはずなのに
賃貸オフィスについて、本当は誰が何を考えるべきなのか。
ざっくり分解すると、こんな感じになります。
- 経営陣
- 事業ポートフォリオと拠点戦略
- 中長期の人員計画・働き方の方向性
- 固定費としての賃料水準・投資配分
- 事業部門(現場)
- 実際の働き方(来社頻度・会議のスタイル・来客の多さ)
- 必要な席数・会議室数・倉庫スペース
- 拠点ごとの役割分担(開発拠点なのか、営業拠点なのかなど)
- 人事・労務
- 採用・定着に効くロケーションやオフィス環境の水準
- ハイブリッドワークなど就業制度との整合性
- 安全衛生・従業員のコンディション管理
- 財務・経理
- キャッシュフローと賃料負担のバランス
- 原価・販管費としての位置づけ
- 長期の賃貸借契約がもつリスク
- 総務・ファシリティ
- ビル側との窓口・日々の運用
- レイアウト変更・増員対応・修繕の取り回し
- 契約更新や原状回復、移転プロジェクトの実務
こうして並べてみると、賃貸オフィスの話って、本来は会社のほぼ全部門にまたがる「ど真ん中のテーマ」なんですよね。
工場ほど露骨ではないにせよ、経営、事業、人、カネ、現場運用――全部が絡んでくる。
……なんですが、現実の会社を見ていると、この全員がちゃんと集まって、腰を据えてオフィスを議論しているケースは、そこまで多くないのでは、ないのでしょうか。
1-2.プロジェクトのときだけ“総力戦”、ふだんは“総務預かり”
賃貸オフィスの話が社内で大きく扱われるタイミングは、だいたい決まっています。
- 賃貸契約の更新が近づいて、「このビル、出るか・残るか」を決めるとき
- 事業拡大や統合で、「増床・移転が必要だ」となったとき
- 働き方改革やコロナ後対応で、「オフィスのあり方を見直そう」となったとき
こういう「一大イベント」のときには、経営陣も事業部門も人事も巻き込んで、プロジェクト・チームが立ち上がる。
そこでは確かに、かなり真面目な議論が行われます。
ただ、問題はその後です。
- 移転・増床のプロジェクトが終わった瞬間、チームは解散される
- その後の運営・細かな条件調整・更新の検討は、総務・ファシリティが単独で担う形に戻る
- 「とりあえず今の条件からあまりブラさない範囲で更新しておいてください」というざっくりした指示だけ降りてくる
結果として、オフィスに関する日々の意思決定は、どうしても
「上でざっくり方向性を決める→具体的な判断は総務が現場で処理する」
という構図に収まりがちです。
ここで問題にしているのは、賃貸オフィス関連業務の扱いが結果的に“隙間業務”に落ちてしまう会社の仕組みであって、「総務がオフィスを真剣に考えていないから」というわけではありません。
会社組織の業務分担とリソース配分の設計によって、賃貸オフィスの検討が会社組織の“隙間の仕事”に押し込まれてしまっているという点です。
総務の仕事の現場を見てみると、
- 株主総会・取締役会の準備
- 社内規程・押印・契約書管理
- 郵便・電話・来客対応
- 備品・印章・社有車・携帯・PCの管理
- 社内イベントや福利厚生の取り回し
……といった、会社の裏側全般を抱えながら、その延長で「賃貸オフィスも見る」ことを求められているというようにも見受けられます。
そこに突然、賃貸オフィス関連で、
- 「年間◯億円レベルの固定費」を左右する賃貸条件の交渉
- 10年スパンで効いてくるオフィスのレイアウトや仕様の判断
- ビル・オーナー、ビル管理会社との長期的な関係構築
などが業務分掌のリストに追加されてのってくるわけなので、「雑に扱っている」というより、物理的・能力的に“抱えきれていない”って状況になってしまうんですよね。
1-3.「賃貸オフィスだけのことを考える人」が、社内にいない
もう一つ、大きな会社の構造的な問題があるのではって思っています。
それは、ほとんどの会社には
「オフィスのことだけを、専門的に考えるポジション」が必ずしも置かれていない、という点です。
- IR担当は、投資家とどうコミュニケーションを取るか、で評価される
- 人事担当は、採用・定着・評価制度などで評価される
- 経営企画は、事業戦略・中期計画の実現度で評価される
じゃあ、
「このオフィスが、事業と人にとってベストな状態かどうか」という点で評価されている人は、社内にいるか?と言われると、正直かなり怪しい。
総務にしても、
- 「トラブルなく回っているか」
- 「コストが膨らんでいないか」
- 「社員から大きな不満が出ていないか」
といった、“マイナスを出さないこと”で評価されるケースが多い。
プラスをどこまで取りに行くか、という視点でオフィスを設計する役割は、そもそも誰にも割り当てられていない。
つまり、
- 工場:「生産性」という、めちゃくちゃわかりやすいKPIがある
- 物流拠点:配送リードタイムや在庫回転率など、測れる指標がある
- オフィス:
- 生産性はチームや人によってバラバラ
- 売上との因果関係も測りづらい
- 「ここをこう変えたら〇%業績が上がる」とは言いきれない
こうなってくると、賃貸オフィスの話は、どうしても
「誰のKPIでもないから、誰も本気でその問題のオーナーシップを取りにいかない」
という状態に陥りがちです。
1-4.重要だけど緊急じゃないものは、だいたい後回しになる
さらに追い打ちをかけているのが、「緊急度と重要度」の問題です。
- いますぐ困るわけではないけど、じわじわ効いてくるコスト
- いますぐクレームになるわけではないけど、じわじわ効いてくる使いにくさ
- いますぐ採用難になるわけではないけど、じわじわ効いてくる立地や設備の見劣り
オフィスに関する課題は、ほとんどが「重要だけど緊急じゃない」ゾーンに入ります。
その一方で、会社には
- 法改正対応
- システムトラブル
- 大口顧客の対応
- 組織再編・人事異動…などなど
「重要かつ緊急」なタスクが、毎日のように降ってきます。
その結果どうなるか。
- 賃料の適正水準や、契約条件の見直しは「今度ちゃんと検討しよう」で棚上げ
- レイアウトの最適化や、フロア構成の見直しは「増員したら考えよう」で先送り
- 更新のタイミングになって、ようやくバタバタと協議が始まり、結局「現状維持」が一番通しやすい選択肢に見えてしまう
貸主側(ビル・オーナー/ビル管理会社の側)から見ると、
「このタイミングで、ちゃんと議論&検討のリストにのせて、関係者でテーブルを囲んで話せれば、結果的に、テナント側にもメリットが出るのに」という局面は、正直かなり多いです。
でもテナントの会社内では、そういう中長期の調整に時間を割く余裕がない。
ここにも、個人のやる気とか能力というより、会社の構造として“後回しになりやすいテーマ”に分類されてしまっているという事情があります。
1-5.「総務のせい」にしても、何も前に進まない
ここまで整理してくると、
- 賃貸オフィスの話は、本来ほぼ全社的なテーマ
- でもプロジェクトのときを除けば、総務・ファシリティに集約されがち
- そもそも「オフィスの最適化」で評価される人が社内にいない
- 重要だけど緊急じゃないので、構造的に後回しになりやすい
という、ちょっと意地悪なパズルのような構図が見えてきます。
この状態を前にして、
「総務がちゃんとやっていないからだ」
と結論づけてしまうのは、正直かなり乱暴だし、非生産的です。
人も時間も足りないなかで、会社の“裏側全部”を担っている部署に、
「オフィス戦略まで完璧に設計しておいてください」は、さすがに荷が重すぎる。
むしろ、
- 経営側が「オフィスをどう位置づけるか」をちゃんと決めているか
- 事業側が「自分たちの仕事にとって、どんなオフィスが必要か」を言語化できているか
- その上で総務が、ビル管理会社との交渉や日々の運用を“実務として回せる状態”になっているか
をセットで見ないと、現場の状況は変わっていきません。
第2章:テナント企業は、賃貸オフィスのどこで“マイナスになっている”のか
第1章では、賃貸オフィスに関連する意思決定が、会社の仕組み上、どうしても“隙間”に落ちやすいという話をしました。
ここからは、その結果として、テナント企業側にどんな“マイナス”が生じ得るのかを、もう少し具体的に見ていきます。
ここで言う「マイナス」は、いきなり、大きな損失が生じるというのではなくて、
- 余計な費用負担
- もう少し楽に回せたはずの日常的な業務運用が、ジワジワとしんどくなってしまうという状況
みたいな、「ジワジワ系のマイナス」がメイン・ストーリーです。
複数の賃貸オフィスビルを横断してテナントの動きを見ていると、同じようなパターンが繰り返されているのがわかります。
しかもそれは、「誰かがサボっているから」ではなく、テナント企業での社内の意思決定プロセスそのものがそういうマイナスを生みやすい設計になっている、という言い方のほうがしっくりきます。
2-1.賃料だけ見て「まあ妥当」という判断
わかりやすい例として、「賃料単価だけ見て、なんとなく“相場並みだからOK”になっているケース」です。
よくある流れは、こんな感じです。
- 立地と賃料は、仲介会社が持ってきた比較表で確認
- 「この条件なら予算内なので大丈夫そう」ということを以て社内で意思決定
表面上の立地を踏まえた賃料は“相場並み”でも、賃貸オフィスビルのグレード、床面積、設備、ビル管理の状況が、本当に見合っているのかについての確認、判断は複雑で難しいので、テナント企業自身が必ずしも重視していないポイントで余計な賃料プレミアムを負担しているというケースも珍しくなくて、そのことが見過ごされていたりもします。
ここでのポイントは、
- 社内の議論のテーブルに上がるのが、「立地を踏まえた賃料」と「床面積」に限定されがち
- 賃貸契約の諸条件、賃貸オフィスビルのグレード等を細かく読み込んで、メリット、デメリット、将来コストを試算するだけの時間も、ツールも、役割も用意されていない
という「テナント企業の社内の意思判断、組織設計の事情」にあります。
個々の担当者の能力の問題ではなく、「賃料、床面積、立地」以外の論点が、そもそも議論に乗りにくい社内の意思決定の仕組みになっている、ということ。
2-2.「とりあえず今のまま」でという判断
次に多いのが、賃貸契約の更新局面で、本来なら検討すべきポイントを自分から見なかったことにしてしまうパターンです。判断としては「現状維持」なんだけど、実態は「現状維持しか選べない状態に自分で寄せていく」みたいな進み方になります。
典型例はこうです。
- 賃貸契約の更新が近づいても、社内検討がギリギリまで進まない
- 更新時期が見えているのに、社内での議論が始まらない(始める担当も決まらない)。結果、ビル管理会社から
- 「更新どうしますか?ちなみに適正賃料は○○なので、賃料を○○円上げたいです」
- という連絡が来て初めて、ようやく社内が“目覚める”。
- ビル管理会社との交渉での「落としどころ探し」だけになる
- 社内で準備がない状態だと、できることが限られます。
せいぜい、「とりあえず更新前提で、提示賃料と現状賃料の“真ん中あたり”を目安に交渉する」みたいな、反射的な対応になりやすい。これでは交渉の主導権は握れません。
- 賃料の妥当性チェックが、近隣相場を踏まえて適正賃料を提示している管理会社の資料の妥当性の確認だけ。
- 本来、テナント企業のビジネスにとっての、賃貸オフィスのロケーションの妥当性を踏まえて、賃料をどこまで負担できるのかということを社内で検討して、判断の上で、協議に臨むべきなのですが、そこまでの判断が下されているのでしょうか。
本来、協議のテーブルに乗る前に、テナント側で最低限ここまで整っていると話は一気に前に進みます。
- 社内で移転/残留のシナリオ比較がある程度できている
- 「この条件なら残る」「ここまで上がるなら移転も検討せざるを得ない」というライン(判断基準)が、関係者の間で共有されている
この状態で話が始まれば、相場賃料との乖離があるのに「現状維持一点張り」で停滞し続ける、みたいな不毛なプロセスは避けられます。貸主側も、条件の根拠を出しやすいし、テナント側も“どこが争点か”を絞れる。つまり、お互いに時間を溶かさずに済む。
でも現実は、そこまでたどり着かないケースがかなり多い。結局、
- 更新期限ギリギリで
- 「とりあえず継続」を前提に
- 賃料の折り合いどころだけを探す
この形に落ちます。
この進み方の問題は、単に交渉がお互いにとって非効率的であるだけじゃありません。立地、床面積、人員配置、運用のしやすさ、コスト負担――そういう要素を並べて、費用とメリットの両面から最適化する機会を、テナント自身が放棄している、とも言えます。更新は本来、そこを見直す“数少ない節目”のはずなので。
ここでも原因は、個人のやる気の問題ではなく、ほぼ「社内の意思決定プロセスの設計」にあります。
- 賃貸契約の更新検討に必要な時間が、社内スケジュールとして確保されていない
- 「誰が」「どこまで決めるのか」という社内ルールが曖昧
この2つが残っている限り、賃貸契約の更新のたびに同じことが起きます。だからこの節で言いたいのは、「賃貸契約の更新で揉める」のが問題なんじゃなくて、揉め方が毎回“準備不足の揉め方”になってしまう構造が問題、という点です。
2-3.人員増とレイアウト変更のたびに、じわじわと運用コストを払わされる
テナント企業の組織改編、人員増を踏まえたとオフィス・レイアウト改変・調整の“ズレによるマイナス”も無視できません。
よくあるのは、
- オフィスの移転、組織改編、人員増に対応した増床のタイミングで、レイアウトの基本設計をそこまで詰めないままスタートする
- そのときは「とりあえず目の前の人数が入ればOK」が最優先になる
- その後の組織改編、人員増を見越していないので、そのたびに、間に合わせで対応するので、オフィスで業務を進めるにあたって、やりにくさが露呈してくる
というパターン。
結果として、
- 少し人が増えたり、組織をちょこっといじくるたびに、都度、レイアウト変更している
- 会議室が足りなくなりがち
- 文書保管のスペース等が後から足りなくなり、その調整に手間がかかる
みたいな形で、「最初にちゃんと設計しておけば避けられたコスト」が、後からジワジワ出てきます。
ここでも共通しているのは、
- レイアウト設計のときに、事業計画・人員計画とセットで検討されていない
- 「どう増えるか」「どう縮むか」のシナリオを描ける人が、その場にいない
という業務プロセス、組織の構造的なポイントです。
「個人の担当者の判断が甘かったから」ではなく、オフィス計画と事業計画が別々のテーブルで進んでしまう組織設計になっているから、こうなりやすい、という見方のほうがしっくりきます。
2-4.賃料だけを重視して、賃貸オフィスビルのグレードを下げると、採用・従業員の定着で見えないマイナスが生じやすい
もう1つ、数字には乗りにくいけれど無視できないのが、テナントの従業員側の“小さな我慢”の積み上げによるマイナスです。
例えば、賃料をケチって、賃貸オフィスビルのグレードを下げると、どうしても、設備、ビル管理に皺寄せがいってしまって、エレベーター、トイレ・給湯室、空調等のキャパ不足、不調が起こりがちです。
どれも1つ1つを取り出すと、「致命的な不具合」とまでは言いにくいものです。
でも、毎日・毎週・毎月と積み重なっていくと、テナントの従業員、オフィスへの来訪者への印象に、普通にネガティブに効いてきます。
例えば、
- ちょっとした不満が、「この会社で長く働きたいか?」の判断に影響する
- 採用面接で来社した候補者が、辞退しがち
- お客様が来たときの印象が、営業のスタートラインに反映される
こういった影響は、KPIとして明示され難いのかもしれません。
そのため社内ではどうしても「とりあえず現状維持で」で処理されがちです。
ただ、複数のオフィス環境を見比べていると、“我慢の総量”が一定ラインを超えたあたりで、従業員の離職のタイミング、採用の手ごたえ、お客様からの「見られ方」に、ジワっと差が出てくるよな……という感覚は、どうしても拭えません。
ここも結局、「従業員の小さな不満」を拾って、人事・総務・ビジネスの現場マネージャーの間で情報共有する場がなく、社内コミュニケーション・プロセスの設計不足が問題の背景にあります。
2-5.場当たり対応が、貸主側との関係性をじわじわ削っていく
最後に、少しセンシティブですが、貸主側(ビル・オーナー/ビル管理会社側)との関係性の“マイナス”の話です。
例えば、テナントが:
- 賃貸契約の更新の際、合理的な事由を示さずに「賃料は絶対に現状維持」とだけ主張し続ける
- 社内の意思決定プロセスが外から見えず、「誰が何を決めているのか」が、まったくあやふや。
こういったことが続くと、貸主側としては、
- 「このテナントとは、中長期の前提を共有し難いな」
- 「何か問題があっても、合理的に協議し検討するのは難しそうだ」
と感じざるを得ない部分が出てきます。
その結果として、テナントを重要なパートナーとして位置付けるが難しくなってしまい、入替え可能な相手先として扱わざるを得なくなりがちで、“一歩踏み込んだ提案・相談”をすること自体難しくなるという形のマイナスが出てきます。
これも、「総務の対応が悪い」と切ってしまうと、ものすごく雑です。
実際には、
- 社内の意思決定に必要な時間が確保されていない
- 誰が窓口で、どこまで権限を持つのかが曖昧
- 「賃貸オフィスのことをちゃんと話す場」がそもそも用意されていない
といった、テナント企業の会社としてのガバナンス設計・役割設計の問題として立ち上がってきます。
第3章:賃貸オフィスの賃料を「ただの場所代」と見做す視線の根っこ
賃貸オフィスがテナント社内で軽く扱われるのは、「隙間に落ちている」からだけでもありません。
もう少し根っこのところに、オフィス賃貸で成り立つ収益不動産=そこにあるだけで賃料を生むものというイメージが、かなり強く影響しているのではないか――私はそこを疑っています。
もちろん、収益不動産の仕組みや歴史をここで掘るつもりはありません。
ここで押さえたいのは、テナント側の感覚として自然に立ち上がってくる“見え方”です。
前提として、テナント側の頭のなかでは、だいたい次のような図式で整理されがちです。
- オーナーは、収益不動産を保有し、賃料を受け取る側
- テナントは、事業で稼いだ収益から、賃料という固定費を支払い続ける側
事実と言えば事実です。問題は、この図式そのものではなく、この図式がどう受け止められるかです。
実務では、交渉や連絡の相手は管理会社になります。するとテナントの目には、オーナーと管理会社がひとまとめに「同じ側」に見えやすい。ここで“見え方”が固定されます。
さらに、賃料という支払いは、モノの納品や工事の完了のように、「これと引き換えに払った」と言い切れる対象が見えにくい。
よく考えれば、建物・設備の整備、共用部の運用、保守、ルール整備、トラブル対応など、支払いの背景にはいろいろな実務がある。
ただ、その内側を詳しく見ない限り、表面上は「箱に居られる権利にお金を払っている」ようにも見えてしまう。
つまり賃料は、等価交換として測りにくい。
測りにくい以上、比較軸が持ちにくい。比較軸が持てないと、人は納得のための物語を作ります。
いちばん手っ取り早い物語が、「相手は持っているだけで入ってくる側」「こちらは稼いで払っている側」という整理です。
そしていつの間にか、“払っている側が主導権を持つはずだ”という錯覚に寄っていく(※この「払った側が上」という感覚は、贈与と返礼の関係に近い構造として理解できる、という見方もあります。)
この錯覚が定着してしまうと、振る舞いも変わってきます。
本来、賃貸オフィスは、責任分界、連絡の経路、判断のタイミング、情報の粒度といった運用仕様を前提に回すインフラです。
ところが“主導権の錯覚”が前提になると、そうした仕様の細かい話が細っていき、「結局いくらか」という一点に議論が寄っていく。
隙間に落ちる以前に、テナント側に「賃貸オフィスの運用を見ないようにさせる装置」が内在している――私はむしろ、そう考えています。
そして、その錯覚があるからこそ、結果として賃貸オフィスが「隙間に落ちている」とも言える。
その結果、賃貸オフィスを巡る協議の経過も粗略に扱われやすくなる。
「誰が何を言ったか」「どこまで決まっているか」「何が前提条件か」を社内で丁寧に共有しなくなる。ビル管理会社側にも前提が伝わらない。話が再現できない。だから同じ説明を何度も繰り返し、最後に揉める。
さらに厄介なのはここから先です。
この“主導権の錯覚”が強くなると、嘘や誇張への罪悪感が薄くなることがある。
「相手はどうせ取っている側だ」「こちらは払っている側だ」という自己正当化が、雑なコミュニケーションを正当化してしまうからです。
人間は、納得しづらい支払いに対して、後から理屈を作るのがうまい。
賃料が等価交換として測りにくい以上、この手の“見え方”は、ある意味で自然に発生しがちです。
この章の結論はシンプルです。
“賃貸オフィスの賃料をただの場所代として扱う視線”が、テナント側との協議や運用を荒らしやすいのです。
そしてその荒れは、結局、テナント側のコストとリスクにも跳ね返ってくる。
次章では、その荒れ方がテナントごとにどのように分岐するのかを見ていきます。
賃貸オフィスをインフラとして扱うテナント企業と、雑務として扱うテナント企業で、何が決定的に違い、どちらが長期でマイナスを積み増していくのか。そこを冷静に分解します。
第4章:賃貸オフィスをインフラとして扱うテナント企業と、雑務として扱うテナント企業の差
第3章では、「賃料が等価交換として測りにくいこと」が、テナント側の見え方を歪め、ビル側との協議や運用を荒らしやすい、その根っこを整理しました。
ここからは、その荒れ方がテナント企業によってどう分岐しているのかを見ていきます。
結論はシンプルで、差は「意識」ではなく、会社としてのプロセス設計(=運用の仕様)で決まります。
4-1.差は“やる気”や“意識の高さ”じゃない。運用の仕様の有無で決まる
賃貸オフィスは業務の基幹インフラです。止まったら業務が止まります。
それなのに、賃貸オフィスだけが、製造工場や物流拠点のように「運用の仕様」が定められていないテナント企業が少なくないように見えます。
ここで言っている「運用の仕様」というのは、立派な戦略のことではありません。もっと地味な話です。
- 誰が最終判断するのか(決裁ライン)
- 何を、いつ、どの粒度で共有するのか(情報のルール)
- 例外が起きたとき、どう裁くのか(責任分界)
- ビル管理会社と、どの頻度で何を確認するのか(運用の型)
こうしたポイントを押さえた運用の仕様の「型」があるテナント企業は、賃貸オフィス関連業務が、隙間に落ちにくい蓋然性を備えていると言えるかもしれません。
逆に、そのような「型」がない会社は、賃貸オフィス関連業務が、いつまでも“雑務の延長”のまま片手間に処理されることになります。
4-2.運用の仕様が定まっていないテナントで起きている「いつものこと」
テナントごとに賃貸オフィスビル関連業務の運用の仕様はいろいろなカタチがあってもよいと思います。
ただし、運用の仕様が定まっていない、または、実質的に機能していない場合、現象としては、だいたい同じような形で「いつものこと」が起きています。
場合①スケジュール管理が回っていない
担当者が気付いた時点で手遅れになりやすい。
もっとも重要な賃貸契約の更新だけでなく、レイアウト変更工事の段取り、ビル側の設備更新工事、定期法定検査等のイベント管理等が後手に回って、結果として、社内外の関係者の業務の効率性を下げてしまいます。
場合②社外の関係者に粛々と情報伝達ができない
現場の不満、設備の不具合、使い勝手の問題。本来は「何が困っているか」を社内で整理すべきなのに、重要度・緊急度・個人の感想なのか会社としての要請なのか、そこすら整理されないまま外に転送される。ビル管理会社側も、何をどう優先して取り組んだらいいのか判断できなくなります。
場合③ビル側とテナント側の協議の経過が残っていない
「誰が何を言ったか」「どこまで決まったか」「前提条件は何か」が社内で共有されていない。その結果、テナント側の担当が変わるたびに話が巻き戻る。最後は、「言った・言わない」の水掛け論に帰結して、ビル側とテナント側の関係が荒れていきます。
この3つの場合は、単なるテナントの担当者の不手際ではありません。
賃貸オフィス関連業務の運用の仕様がないと、必然的に起きてしまう「いつものこと」なのです。
4-3.賃貸オフィスをインフラとして扱っているテナント企業は、何が違うのか
賃貸オフィスをインフラとして扱っているテナント企業は、別に、その会社の従業員の「意識が高い」わけではありません。やっていることはシンプルで、賃貸オフィスをインフラとして扱うための運用の仕様が定められ、社内で機能している、それだけです。
- 賃貸オフィスを含めた業務拠点の位置付けについて、経営側の言葉で定義されている
- 総務・ファシリティが、窓口だけでなく、権限と情報を持っている
- ビル管理会社とのやり取りが、単発の交渉として処理されるのではなく、一連の運用の流れとして認識され、連続的に記録されている
- 条件の変更や例外的な事態が発生したときのテナント側の判断基準が、最低限、共有されている
これだけで、賃貸契約の更新も、設備対応も、クレーム対応も、円滑に処理されて、ビル側との関係性も荒れにくくなります。
ビル側と「揉めないテナント」は、だいたいこのような運用の仕様を備えています。
4-4.どっちが長期でマイナスを積み増すか:コストとリスクの話
運用の仕様を定めるか否かについては、それぞれのテナントが決めることです。
ただし、長期で見ると差ははっきり出てくるものと思われます。運用の仕様の有無によって影響が出てきそうなポイントを、以下、あげておきます。
①交渉・協議の長期化
情報が整理されていない。経過が残っていない。決裁ラインが曖昧。
だから毎回、説明、協議と合意形成をやり直すことになり、時間が溶ける。
②事故処理コストの増加
意思決定が遅れ、対応が後追いになる。
結果として、余計な費用や無理なスケジュールが発生しやすい。
③コストの硬直化
競合案件との比較検討ができない。改善についての判断が下せない。
すると運用を最適化する機会を失い、賃料負担を含めたコスト構造が硬直化していく。
④ビル側との関係性の脆弱化
ビル側から合理的に協議ができない相手として見られがち。
長期の前提を共有しにくくなり、関係を安定させることが難しくなっていく。
4-5.ここまでの整理:差を生むのは「運用の仕様」、損を生むのは「曖昧さ」
第3章で見た“見え方の錯覚”があると、運用の仕様は細っていきます。
そして運用の仕様が細っていくと、賃貸オフィス関連業務は、隙間に落ちる。
隙間に落ちると、また錯覚が強まる。ここはループです。
だから、第4章の結論はこれです。
- 賃貸オフィスをインフラとして扱っている会社は、運用の仕様を持っている。
- 運用の仕様がなくて、雑務として扱っている会社は、曖昧さのまま走り、マイナスを積み増していく。
次章では、ここから貸主側(オーナー/PM/ビル管理会社)が持つべき視点に移ります。
テナント側が賃貸オフィス関連業務をどのように扱っているのかを、そのままの「条件」として織り込み、どこまで付き合い、どこで線を引くべきか。実務として整理します。
第5章:貸主側が持てる視点:テナント側の運用に問題があることを前提に対処する
第4章で見たとおり、賃貸オフィスを“事業インフラ”として扱うテナント企業もあれば、総務の雑務として処理しているテナント企業もあります。
ここで大事なのは、「テナントを変えよう」としないこと。無理です。変わりません。
貸主側(オーナー/PM/管理会社)がやるべきは、テナントの進め方に是非をつけることではありません。
「テナント側の運用に問題があって、社内の意思決定が円滑になされずに、起こり得るトラブルの発生」を前提に、貸主側が、どこまで関わり、どこから距離を取り、テナント側との協議や運用が“荒れる/壊れる”確率をどう下げるか。第5章はその話です。
5-1.テナント企業の「社内の仕組み」は書き換えられない
まず前提。貸主側は、テナントの会社の仕組みを書き替えることはできません。
- 事業戦略・人員計画・組織設計を踏まえた予算の設定
- 社内意思決定の稟議決裁フロー
- 実質的な決定者が誰か
- どこまでが担当者権限で、どこからが経営判断か
これらはテナント企業のガバナンス領域です。
貸主側がここに踏み込むと、テナント側との関係が壊れてしまいがちですし、背負う必要のない責任まで背負うことになりかねません。
だから、貸主側がやるべきは、テナントの「社内の隙間」を埋めてあげるではなくて。
“隙間があるかもしれない”前提で、テナントとの協議の事故の確率を下げるために、最初から、テナントとの境界線を引く。それだけです。
5-2.埋めにいける「隙間」と、埋めにいけない「隙間」を切り分ける
テナント側の社内プロセスには介入できない。でも、判断材料と時間の条件なら貸主側でコントロールできます。貸主側が“埋めにいける”のは基本ここまで。
- 近隣・競合も踏まえた賃料水準(レンジ)の提示
- 設備仕様・更新履歴・制約条件などの客観情報
- いつまでに何を決める必要があるか(段取りと期限の言語化)
ポイントはシンプルで、判断の土台は出す。でも判断そのものには踏み込まない。この線を崩さない。
そのために、出し方は必ず「ファクト」と「提案」を分ける。混ぜると、テナント社内で誤解が発生しやすく、判断が歪みます。
例:賃料改定の提示
- ファクト:成約賃料レンジ/需給/現行条件との乖離/前提(面積・階・設備・契約条件)
- 提案:貸主としての新条件(賃料、FR、工事負担、契約年数など)
「提案はする。でも決めるのはテナント」。ここは固定。
あともう1つ。テナント事情を“読み過ぎない/斟酌しない”のも大事です。
相手に寄せて条件を歪めると、関係が良くなるどころか、後で揉める火種になります。馴れ合いは結局、協議を壊します。
5-3.テナント側に問題がある場合でも、協議が壊れないインターフェースを作る
テナント側が賃貸オフィス運用を軽視していたり、運用の仕様がなかったりすると、テナント側との協議や運用は“荒れる/壊れる”方向に行きがちです。
相手の問題を上書きすることはできないので、貸主側としては、接点(インターフェース)の仕様を設定して、事故の発生確率を下げる他ないのです。
①テナント側の決裁の“段差”を見つけ、決裁者を特定する
窓口担当と意思決定者が違うのは普通です。
更新・賃料改定・工事負担みたいな重い話ほど、淡々とこう聞く。「この件は、社内でどこまで決裁が必要ですか?」
決裁権限がない担当者と延々と漫然と話していても、協議は進捗しません。
②テナント側に提示する「前提条件」を文章で固定する(協議の土台を動かさない)
条件・期限・対象範囲・比較前提は、毎回テキストで残す。メールで十分。
協議の前提さえ固定されていれば、担当交代や社内の抜けがあっても、話の巻き戻しや漂流を防げます。
③期限をこちらから提示する(相手都合任せにしない)
協議においては、「いつまでに決める必要があるか」「この提案の有効期限」をセットで提示します。相手方を圧迫するのではなくて、協議が停滞することを防ぐこと。期限を設けない協議は、だいたい迷走します。
④例外はあやふやな“判断”ではなく“ルール化”する
例外対応は極力避ける。やむを得ずやるなら、その場での温情判断ではなく、ルール化(条件化)します。曖昧な優しさは、後々、双方を苦しめます。
終章:「そこにあるから借りてるだけ」を、言葉どおり受け取らない
「そこにあるから借りてるだけ」。
この言い方は、テナント側の本音というより、考える手間を省くための便利な言い訳として使われている場面が多いのではないでしょうか。
でも、賃貸オフィスはただの“箱”ではありません。
立地・面積・賃料だけで完結する商品ではなく、建物・設備の整備、共用部の運用、保守、ルール整備、トラブル対応といった付帯サービスがあってはじめて成立します。そして、それぞれの仕様や条件設定については、テナント側でも本来は検討が必要です。
本来、賃貸オフィスは工場や物流拠点と同じく、会社のビジネスを「止まらせない」ためのインフラです。だから運用には仕様が要ります。
それでも現実には、賃貸オフィス関連の業務は社内の「隙間」に落ちやすい。賃料は等価交換として測りにくいので、いつの間にか単なる「場所代」に見えてしまう錯覚も起きやすい。結果として、貸主とテナントの協議が荒れやすくなる。ここまでが本稿で追ってきた流れです。
では、貸主側が取るべき態度は何か。答えはシンプルです。
テナントの言い分を、貸主の立場から無理に否定する必要はありません。代わりに、こちらの前提条件を明文化して、境界線を先に引く。そのうえで、ファクトと提案を分けて提示する(判断材料は出すが、判断には踏み込まない)。必要なら、協議の接点=インターフェースの仕様を固定する。これが一番効きます。
「そこにあるから借りてるだけ」という言葉は残ります。たぶん消えません。
でも、こちらがそれを言葉どおり受け取る必要はない。むしろ、その“省略”を前提にして対処したほうが、仕事として強い。
貸主側の立場を一文で言うなら、こうです。
「ここまではこちらの責任として整える。ここから先は、御社の判断です。」
この線を、静かに引けるかどうか。
そこに、ビル管理会社の実務の実力が出ます。
執筆者紹介
株式会社スペースライブラリ プロパティマネジメントチーム
飯野 仁
東京大学経済学部を卒業
日本興業銀行(現みずほ銀行)で市場・リスク・資産運用業務に携わり、外資系運用会社2社を経て、プライム上場企業で執行役員。
年金総合研究センター研究員も歴任。証券アナリスト協会検定会員。
2026年2月9日執筆